夢 破れ て 山河 あり 城 春 にし て 草木 深 し。 「国破れて山河あり」とは?意味や使い方を解説!

杜甫 『春望』の書き下し文と現代語 (五言律詩・対句の解説) / 漢文 by 走るメロス

夢 破れ て 山河 あり 城 春 にし て 草木 深 し

国破れて山河あり 読み: くにやぶれてさんがあり 国は戦乱で滅びてしまったが、山や川は元の自然のまま変わらず存在している。 「国破れて山河あり」とは、「変化する人の世」と「変わらない自然」とを比べ、今の自分の心境を表す言葉です。 自然の偉大さに感動する言葉と捉える人も多いですが、それよりも、時の流れを肌に感じたことで、今の自分の状況を嘆くのほうがが大きいです。 1-1.作者は中国の詩人「杜甫(とほ)」 「国破れて山河あり」は、中国の詩人、杜甫の記した「春望」という詩の冒頭の一文です。 杜甫は中国の唐の詩人です。 中国にはもう一人、中国文学史上最高の詩人として李白(りはく)という人がいます。 この人は「詩仙(しせん)」と呼ばれていることから、これに対し杜甫は「詩聖(しせい)」と呼ばれています。 杜甫は、詩の題材に社会情勢や政治の矛盾などを積極的に盛り込みました。 そのことから、後の世ではその作風が「詩史(しし)」と呼ばれています。 「詩史」とは、史実や伝記を詩の形で記すことをいいます。• 国破山河在:国破れて山河あり 城春草木深:城春にして草木深し 感時花濺涙:時に感じては花にも涙を濺ぎ 恨別鳥驚心:別れを恨んでは鳥にも心を驚かす 烽火連三月:峰火三月の連なり 家書抵万金:家書万金に抵る 白頭掻更短:白頭掻けばさらに短く 渾欲不勝簪:渾べて簪に勝へざらんと欲す 杜甫が46歳の時のことです。 当時唐を治めていた玄宗(げんそう)は、優れた皇帝でしたが、世界三大美女として知られる楊貴妃(ようきひ)に夢中になりました。 二人は深く愛し合いましたが、政治をほったらかして長安から離れた温泉に入り浸り、楊貴妃の一族が唐の政治を思うがままにするようになってしまい、それを快く思わない家臣の間で争いが起こります。 家臣の一人である安禄山(あん・ろくざん)が反乱を起こし、玄宗と楊貴妃は逃亡、長安の都は反乱軍に占領されてしまいました。 これが後の世にいわれる、「安史の乱(あんしのらん)」です。 (この時の玄宗と楊貴妃の逃避行は、後に「長恨歌(ちょうごんか)」という漢詩に歌われ、平安時代に日本に伝わり大ブームとなりました) 杜甫は新たに立った皇帝の元に急いで駆けつけようとして、占領された長安を脱出しようとします。 しかし反乱軍に捕まり、家族と引き離されて約二年も長安に閉じ込められ、監視されることになってしまったのです。 「春望」はこの時の不安や焦り、家族への思いといった心境を表した詩とされています。 2.松尾芭蕉が詠んだ「国破れて山河あり」の解釈は? 「奥の細道」の作者である松尾芭蕉は、平泉を訪れた時に、杜甫の「春望」を思い出し、句を詠んでいます。 <原文> 国破れて山河あり、城春にして草青みたりと、笠打敷て、時のうつるまで泪を落し侍りぬ。 <現代語訳> 杜甫は、「春望」で「国破れて山河あり」と詩を詠んでいる。 「国が滅びてしまっても、山や河は昔と変わらずそのままだ。 荒廃した城にも変わらず春は巡ってくるが、ここには草木がただ生い茂っているだけだなあ」。 私は笠を置いて腰をおろし、その詩を思い出しながら、いつまでも栄華盛衰の移ろいを思って涙した。 この話は「平泉(ひらいずみ)の段」です。 「奥の細道」で、芭蕉は見たままの風景を表現するために杜甫が詠んだ「青草深し」を「青草みたり」としました。 杜甫の表現した「青草深し」は、杜甫が見た風景であるとともに、人間の世とは関係なく営みを続ける自然に、人間の身勝手さをも嘆く気持ちが込められています。 ちなみに、芭蕉は平泉で、有名な「夏草や兵どもが夢の跡」という句も詠んでいます。 かつてこの地は、藤原一族が治め栄華を誇っていました。 源平合戦の後、源義経(みなもとのよしつね)が再起を誓い、落ち延びたこの地では、多くの兵士が戦い命を落としていきました。 しかし芭蕉がこの地を訪れた時には、平泉は草が生い茂る静かな場所へと様変わりしていました。 芭蕉は「人の行いや思いは時と共に消えてしまう。 だが自然はそれに関係なく営みを繰り返し残り続けていくのだ」としみじみ思い、この句を詠んだと言われています。• 今までがむしゃらに仕事をしてきましたが、中途退社せざるを得ない今は、 国破れて山河ありという心境です。 戦争に行った人が、日本に帰って思ったのは 国破れて山河ありという思いだった。 人間のすることの愚かさに対する悲しみだけだけが残ったそうだ。 「 国破れて山河あり」は中国の都の話が題材だが、平家物語にも通じるものがあるように思う。 変化し続ける人の世の中と自然の変わらない営みを比べることで、より 今の悲しい気持ちを強調する時にふさわしい言葉が「国破れて山河あり」なのです。 4.「国破れて山河あり」の間違った使い方に注意 「国破れて山河あり」を、 「国は滅びても自然は変わらず営みを続けるのあきらめるな」という励ましの意味で使う人もいます。 「春望」では、苦労の末にようやく高官に仕える仕事に就けた杜甫が、戦でその地位を失い、家族とも引き離され、不安を抱えていた時の心情を語った詩です。 そのため本来は「夢も希望もなくただただ不安だ」という心を示すものなので、使う時には注意しましょう。• The country is in ruins,and there are still mountains and rivers. (国は没落しても、山と川は変わらずあり続ける)• Empire broken mountain river remain. (国は壊れても山と川は残る) 「奥の細道」を英訳した、日本文学者のドナルド・キーン氏は、「国破れて山河あり」を以下のように訳しています。 「Countries may fall,but their rivers and mountains remain. 」 remainには「生き残る、取り残される」という意味があり、他の英訳が直訳であることに比べ、より心情を加味した訳となっています。 まとめ 「国破れて山河あり」は、中国の杜甫の詩「春望」の一節です。 日本でも多くの人がその詩を読み、松尾芭蕉の「奥の細道」にも引用されました。 「国が滅びてしまっても、山や川は変わらず営みを続けている」ことと「過去の栄光を失ってしまった今の自分」を重ね合わせ、今自分が置かれた現状を嘆く意味が込められています。 過去を振り返り、不安や悲しみにくれる心情を表現する言葉なので、使う場合には注意が必要です。•

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杜甫 『春望』の書き下し文と現代語 (五言律詩・対句の解説) / 漢文 by 走るメロス

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芭蕉句碑(松尾芭蕉と中尊寺) 岩手県、平泉町ににある中尊寺。 なかでも一番有名なのが中尊寺金色堂ではないでしょうか。 この金色堂は、1124年に奥州藤原氏、初代の清衡によって作られました。 現在も多くの観光客がこの金色堂を一目見ようと、中尊寺を訪れています。 ツアーなどでも必ず中尊寺がルートに入っているようです。 こちらには藤原三代の遺骸が 納められているとのことで大変歴史を感じることが出来る場所となっています。 この金色堂の脇に、ひっそりと建っているのが芭蕉句碑です。 松尾芭蕉は、この金色堂に立ち寄った際に 「五月雨の降のこしてや光堂」という句を詠みました。 この有名な句を芭蕉が詠んだなんと 57年後の1746年にこの芭蕉句碑建てられました。 年代的には江戸時代ということになります。 中尊寺と毛越寺にはどちらにも芭蕉句碑があるわけですが、 やはり中尊寺のほうが歴史を感じられる句碑となっています。 句碑の大きさは小さく、彫られた句の文字もだいぶ薄くなっています。 金色堂の輝かしさが先立ってあまり目に付かないかもしれませんが、 訪れた際にはしっかりと、この句碑を見て欲しいと思います。 もちろんその句にも目を通して欲しいと思います。 松尾芭蕉はこのように全国各地にその場所を詠んだ句を残していきました。 俳句や歴史に触れることで、 よりその土地のことに興味がわくかもしれませんね。 世界遺産である平泉の中尊寺は見所が たくさんある場所なので、ぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか。 芭蕉句碑 源義経が平泉に自害し、奥州藤原氏が滅亡して500年目にあたる元禄2年(1689)、松尾芭蕉は門人の曽良と2人、「奥の細道」の旅に出ます。 芭蕉46才、曽良41才の春です。 江戸を発ってから44日後の5月13日、細道のはて平泉を訪れた芭蕉は、まず義経公の居館があったと伝えられる高館の丘陵にのぼります。 丘の頂きに忽然とあらわれるのは束稲山のふもとに悠然と横たわる北上川と、それに合する衣川。 そこには往時の栄華はなく、旧跡は田野となってひろがっているばかりです。 夏草や 兵どもが 夢の跡 「国破れて山河あり、城春にして草木深し」という杜甫の句を思い起こしながら芭蕉はしばらく高館に笠を下ろします。 続いて中尊寺を訪れた芭蕉は、かねてより伝え聞いていた金色堂に参詣します。 鎌倉北条氏によって建てられたといわれる覆堂の中で、朽ち果てた金色堂はかろうじて光を投げかけます 五月雨の 降残してや 光堂 金色堂を光堂と称したのも、仏と人との間に介在する光と、その光の彼方にある盛衰の歴史に、芭蕉のまなざしが向けられていたからに相違ありません。 以上 松尾芭蕉と中尊寺.

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夢破れて山河有り。。。。国語の授業か何かで昔習ったと思うんですがこ...

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「国破れて山河あり」の意味と現代語訳 「国破れて山河あり」の読み方と意味 「国破れて山河あり」の読み方は「くにやぶれて・さんがあり」で、「国は滅んでかつての面影は失われてしまったが、故郷のうつくしい景色は在りつづける」という意味です。 「騒動のあとの空虚感に浸っている」や、「栄枯盛衰の人の世と、悠久の大自然を対比して物悲しくなる」といった心境を表現するときに用いられます。 「国破れて」の意味 「国破れて山河あり」の「国破れる」とは「国が滅びる」という意味で、ここでは「国は滅んでも」となります。 「敗れる(やぶれる)」と混同されることがありますが、国が戦争に負けるということではなく、国としての機構が破壊されて無くなってしまうということです。 「破」と「敗」では読み方は同じでも意味が違うため、表記する際には注意しましょう。 「山河あり」の意味 「国破れて」に続く「山河あり」は「山や河がある」ということで、いつの世も変わらずにある悠久の自然をあらわしています。 「国破れて山河あり」の使い方 「国破れて山河あり」は都が破壊され国が滅ぶという悲しい故事を由来とするため、人間社会の儚さや人生の悲しみ、国の将来に対する憂いといったネガティブな感情をともなう場面で使われることが多く、それだけに適切な使い方を押さえておきたいものです。 次に、具体的な使い方を例文で紹介します。 「国破れて山河あり」の例文• 今の国政を見ていると「国破れて山河あり」の一節が脳裏に浮かんで心が落ち着かない。 全力を尽くしましたが実力不足で夢かなわず、いまは「国破れて山河あり」といった心境です。 戦後多くの日本人が目にしたのは、まさしく「国破れて山河あり」の光景だった。 英語は「ドナル・ドキーン」訳が有名 「国破れて山河あり」を英語にすると、「The nation is ruined, but mountains and rivers remain. (国は没落するが、山河は依然としてありつづける)」となり、「春望」は「Spring View」です。 「おくの細道」を翻訳した日本文学者のドナルド・キーン氏は、「国破れて山河あり」の引用部分を「Countries may fall, but their rivers and mountains remain. 」と英訳しています。 「国破れて山河あり」の出典や原文 出典は杜甫の漢文「春望」 「国破れて山河あり」は、詩聖と呼ばれる中国唐代の詩人・杜甫(とほ)が詠んだ五言律詩「春望(しゅんぼう)」の一節です。 杜甫は当時の日本でも人気のあった詩人で、江戸時代の俳人・松尾芭蕉も「おくの細道」の中で引用していることから、現代の日本人にとっても馴染み深いフレーズとなっています。 「春望」の背景は「安史の乱」 「国破れて山河あり」の歴史的な背景は、「安禄山(あんろくざん)の反乱(安史の乱)」です。 世界三大美女として名高い楊貴妃にも関係の深い大規模な反乱は755年から8年間続き、唐の都として長く平安だった長安は陥落しました。 当時官職にあった作者の杜甫は、城内で軟禁された757年に「春望」を詠んでおり、全文は「国は滅んでも故郷に春は巡ってくるが、心の拠り所を失った今はうつくしい花を見ても涙が止まらない」と戦乱の世を悲しむ内容になっています。 中国語の原文は「國破山河在」 中国語による原文は「國破山河在」となり、全文は以下のとおりです。 前半部分は荒廃した城内と変化しない自然との対比が主題となっており、後半は「戦火は3か月も続き、家族からの手紙は宝物のようだ」「心労で髪は薄くなり、かんざしを差すこともできない」と身の上の不幸を嘆いています。 国破山河在:国 やぶれて山河あり 城春草木深:城 はるにして草木ふかし 感時花濺涙:時に感じては花にも涙をそそぎ 恨別鳥驚心:別れをおしんでは鳥にも心を驚かす 烽火連三月:ほうかさんげつに連なり 家書抵萬金:かしょばんきんにあたる 白頭掻更短:はくとう掻けばさらに短く 渾欲不勝簪」:すべてしんに耐えざらんと欲す まとめ 「国破れて山河あり」は、「おくの細道」で引用されたほど当時の日本でも人気の高かった「春望」の一節で、作者は李白や白楽天と並び「詩聖」とも称される唐代の詩人・杜甫です。 戦乱の世に国は滅び城は破壊されても、自然は悠久でいつまでも残り続けるところに深い感慨を覚えて詠ったものです。 現在では唐の末路になぞらえて自国の将来を憂えたり、奮闘むなしく夢破れたあとの心境を表現することわざとして使われます。

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