横山 やすし ダウンタウン。 今だから話せる!極悪若手芸人ダウンタウン事件!

ヒロミ 関西はダウンタウンの勢力が強すぎるから嫌い。でも横山やすしには好かれていた

横山 やすし ダウンタウン

ダウンタウンは当時23歳(芸歴4年)で、横山やすしは当時42歳(芸歴27年)でした。 「ひょうきん予備校」は、大物芸能人が講師としてやってきて、若手芸人たちに予備校スタイルでお笑いの授業をするという番組でした。 その回は、横山やすしさんがゲストで出演しており、当時、芸歴4年だったダウンタウンは、授業中にやすしさんに指名されネタをすることに。 横山さんはネタをやる前に「名前はなんだ?」と聞いたそうです。 すると二人は、 浜田さん「ダウンです」 松本さん「タウンです」。 まさかのウソ・・・ しかも番組の最後まで訂正せず、やすしさんが帰っていくまで「ダウンです」「タウンです」で通したとのこと。 この時、ダウンタウンは23歳(芸歴4年)、明石家さんまは30歳(芸歴12年)。 その回の講師は明石家さんまさんでした。 さんまさんが来る前、なんと浜田さんは 本番中にもかかわらず、たばこを吸いだしました! これには松本さんもびっくり。 ダウンタウンは当時25歳(芸歴7年)、タモリは当時43歳(芸歴13年)でした。 タモリさんといえば「笑っていいとも!」の司会をやっており昼の顔でした。 」SPでのこと。 ダウンタウンは当時27歳(芸歴8年)、関口宏は当時47歳(芸歴28年)でした。 「SHOW by ショーバイ!! 」はクイズの早押し番組で、ダウンタウンの2人は解答者として出演していました。 他の解答者には関口宏さんや山城新伍さんなどの当時の人気芸能人も参加していました。 クイズの早押しも熱が入ってきた頃、ある問題で関口さんが浜田さんよりも先にボタンを押しました。 しかし、浜田さんはどうしても答えたかったようで・・・ 離れた席から飛び上がってトントントンと台の上を走っていき、 なんと関口さんのクイズ台の上でメンチを切りだしたのです! [ad wildones] 大御所タレントに傍若無人なこの態度。 神経の太さがハンパありませんね・・・ しかもこれだけに留まりませんでした。 番組の終盤、再びクラスの早押しで熱が入ってき、浜田さんより先に山城新伍さんがボタンを押しました。 すると浜田さんが山城さんの前まで行き、一言。 「殺すぞ!オラ!!!」 若手からは考えられない肝の据わりようですね・・・ それにしても大先輩に対してこの態度は・・・ おそらく芸能界でこれだけ凄い人たちはそういないでしょうね。 こちらは大先輩をも全く恐れないお二人です! そんな恐ろしいお二人ですが、最近、おちゃめな癖が判明しました。 ダウンタウンのファンなら絶対に知っているコント番組です。

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ダウンタウン 横山 やすし エピソード

横山 やすし ダウンタウン

来歴 [ ] 3月、専攻卒業。 新聞記者志望だったが新聞社の入社試験に落ち、大学卒業後吉本興業に入社。 この時、父親は「お笑いの会社入るとは、罰当たり物やな」と落胆していたという。 担当スタッフを経て、製作部に配属となりのを8年半つとめ、、のマネージャーを務めた後、1980年に東京事務所(現在は東京本社)所長に異動となり、部下だったと共に漫才ブームを築いた。 1988年大阪本社へ戻って製作部次長に就くと、劇団との交流もきっかけとなり、低迷していたを再生させる。 1994年に取締役製作部長、4月にに昇進し、2002年10月に退社。 フリーとして「木村政雄の事務所(「の」は)」を設立し、独立した。 元顧問、代表取締役主宰、、元理事、フリーマガジン5L(ファイブエル)編集長なども務める。 妻は元ので長男と長女がいる。 妻とは「」で妻がアシスタントで出演した時に知り合った。 著書 [ ]• 笑いの経済学 吉本興業・感動産業への道(2000年、集英社)• 吉本興業から学んだ「人間判断力」(2002年、講談社)• 五十代からは、捨てて勝つ 自分株式会社をつくろう (2003年、PHP)• 「人をつくる」という仕事(2003年、青春出版社)• 35歳革命 (2005年、大和書房)• やすし・きよしと過ごした日々 マネージャーが見た波瀾万丈回想記 (2005年、文藝春秋)• 50歳力(2005年、大和書房)• プロに訊け!-明日が見えた瞬間 (2006年、丸善)• 客観力-自分の才能をマネジメントする方法 (2008年、祥伝社)• 内田さんに聞いてみた 「正しいオヤジ」になる方法(内田樹との共著、2013年、宝島社) 過去の出演番組 [ ]• (文化放送)• (TBSテレビ)• 事項を箇条書きで列挙しただけの節は、本文として組み入れるか、または。 ( 2012年8月)• 自称エグゼクティブフリーター。 が吉本から独立して東京で活躍したいと考えた時に、懸命に説得し慰留させた。 寛平本人は吉本の東京事務所があるのを知らなかったという。 結局、寛平は東京吉本に移籍し、東京や関西以外の国内外での芸能活動の足がかりを得ることになった。 が東京でのレギュラー番組を降ろされ、落ち込んでいた時に「みんなが頑張っとるからこそ、逆にローカルチャンピオンになるべきや。 くよくよしたってしゃあない。 むしろ、ローカルチャンピオンで頑張ったらええ」と慰めた。 八方はこれを機に立ち直った。 吉本在籍時、一時低迷していたを再生させ、更にはを一躍全国区にのし上げ、更には劇場の興行システムを改編した反面、会社の方針に従わないベテラン芸人や若手芸人を大胆にリストラしたり、不祥事を起こした芸人を厳罰な措置を取るなど、企業人としての冷酷な一面を見せている。 特にが吉本興業から解除()された時に、やすしへの契約解除通告を行ったのも、当時専務だったの署名を入れた契約解除通知書を記者会見で読み上げたのも木村本人だった。 その時の記者会見で記者達から「堪忍袋の緒が切れたのか? 」の問いに「そうですね。 我々のフォローもとっくに超えている。 これ以上騒ぎを起こされたら、会社の姿勢も疑われますし、責任も問われますから。 」とコメントした。 その手法は後に部下のに受け継がれた。 なお、大崎が処置を下した芸人には(、一旦解雇して後に復帰)、(事実上引退)がいる。 一方で、2000年ごろに出演した「」()において、「さんややすしさんのような方は、もう(芸能界には)現れないでしょう。 世間も許さないでしょうし」などと厳しい意見を言う中にも、やすしに関しては「もうちょっと、世間の常識を知っていてくれたら…。 」との思いがあった事を語り、自身の著書では「いまでも私は横山やすしのファンだがもう復帰はあり得ないし、して欲しくない。 」と厳しい心境を述べた。 再生プロジェクトを起こした発端は放送作家のの誘いで劇団の芝居を見て「よし、これで行ったろ!きっと旨く成功する。 」と思い付いたのがきっかけとなり、そして再生する事が出来た。 吉本在籍時、劇場の興行システムを10日ごとから7日ごとに変更することを、会長だったに直訴したところ「かまわん。 やりなさい」と一発返事で承認された事がある。 が「」でライト兄弟として出演し、横山やすしを激怒させ、やすしに説教された後に「あれは横山流の漫才に対する価値観であって、そこから外れてるから悪いのではない。 」と慰めた。 「」()を当時の部下の大崎洋と企画し、ダウンタウンを番組で一躍人気者に上昇させ、ダウンタウンが名実ともに大阪で天下を獲り、東京進出の足掛けを作った影の功労者でもある。 1996年頃に(当時)などがバラエティ番組で活躍して脅威になった事から、吉本の新入社員に対して「中居君に負けない芸人作り」をするようを進言していた時期もあった。 以前はのを持っていなかったために乗るかやなどで通勤していたが、2009年8月に家族4人で北海道に行き、旅館に宿泊しながら運転免許を取得した。 木村政雄を演じた俳優 [ ]•

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横山やすし と ダウンタウンのごっつええ感じ

横山 やすし ダウンタウン

Contents• 出会い 1980年代前半に 「お笑い第2世代」と言われた漫才ブームが陰りを見せ始めていた時。 吉本興業は 「NSC」という新人タレント養成所を開校。 その「NSC」に一期生として入校したのが「浜田雅功」と「松本人志」である。 小学生の頃からの幼馴染である「浜ちゃん」と「松っちゃん」。 当時は 「競艇選手」になろうと思っていた浜ちゃんであったが、競艇の試験にはあえなく落選。。 試験に落ちたばかりの浜ちゃんが、偶然 「NSC1期生募集」と書かれたポスターを見つけ、松っちゃんを誘ったというのは有名な話。 そしてそんな二人がNSC入学時に出会うのが、当時NSC開校時の担当社員であり、現在の 「吉本興業・代表取締役会長」である 「大崎洋」氏である。 大崎氏は若き日の 「才能ある無名なダウンタウン」に可能性を感じ、二人の兄貴分として マネージメント・プロデュースを担当。 なかなか売れない時期もありながらもその可能性は開花し、「松っちゃん」の独特なテンポから繰り出される 即興での天才的なボケ、そこに 切れ味鋭く突き刺さるような「浜ちゃん」のツッコミというダウンタウンの圧倒的な 「面白さ」は認められ、そこから二人が世に出るまでにはそう時間はかからなかった。 そして当時、大阪での勢いは凄まじく、人気絶頂だった頃にダウンタウンを 東京へと進出させ、 全国区に押し上げた「大崎氏」の功績は大きい。 第3世代• 横山やすし・西川きよし• ツービート• 紳助・竜介• オール阪神・巨人• 大平サブロー・シロー• 明石家さんま• タモリ• 関根勤• 小堺一機 などの、お笑い 「第2世代」と言われる1970年代後半〜1980年台前半に漫才ブームを牽引した芸人たち。 その時代の漫才ブームが終焉を迎え、当時の漫才師はコンビを解散してピンで活動したりとその活躍のフィールドが変わり始めていた。 そんな時、 「紳助・竜介」の島田紳助はたまたま舞台袖でダウンタウンの漫才を目の当たりにし、即座に解散を決断。 解散会見では「オール阪神・巨人。 サブロー・シロー。 ダウンタウンには勝てない。 」と、当時まだ無名であったダウンタウンの名前を出して解散した。 この時の 「島田紳助」の先見の明はあまりに凄すぎる。 漫才ブームの名残のまま、 「たけし・さんま・タモリ」とBIG3と呼ばれる3人がテレビ界を席巻。 そこに最初に割って入ったのが 「とんねるず」であった。 その後を追うようにしてすぐに、 「ウッチャン・ナンチャン」・「ダウンタウン」が彼らを凌ぐぐらいの人気者になる。 そんな彼ら3組を筆頭に、「さまぁ〜ず」、「ホンジャマカ」、「東野幸治」、「今田耕司」、「出川哲朗」などの芸人たちが 「第3世代」と呼ばれている。 東京進出 本格的に 「東京」に拠点を移したダウンタウン。 そこからトップへと登っていく彼らのパワーとスピードは物凄かった。 1989年に 「笑っていいとも! 」の火曜日レギュラーとして出演が決まると、同年には 「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!」の放送が開始され、毎週日曜日の20時には伝説的な番組 「ダウンタウンのごっつええ感じ」がスタートし、最高視聴率が20%を超えるなど、超人気番組に。 その後も 「ダウンタウンDX」、 「HEY! HEY! HEY! MUSIC CHAMP」の放送が開始されるなど、あらゆるフィールドへと活躍の場を広げた。 浜ちゃんがCDを出せば ミリオンセラーを記録、松っちゃんが本を出せば ベストセラーと。 名実共に日本のお笑い界、芸能界、日本中に 「ダウンタウン旋風」を巻き起こし、ダウンタウンというバカでかい山を日本のど真ん中に作り上げ、頂点には 「浜ちゃん・松っちゃん」という大きな旗が刺さっているのである。 現在 時代は変わり、今では日々色々なメディアからあらゆる芸人たちが画面に出てくる。 「次は俺たちだ!」と意気込み、売れるために必死にもがく。 そんな彼らも、ダウンタウンが生み出した 笑いのエッセンス・影響を存分に浴びている。 いまだに尊敬する芸人はと聞かれると「ダウンタウン」、「松本さんです!!」と答える芸人さんを見かけるが、笑いの一時代を築いた 「ダウンタウン」、そして笑いに対して常にストイックに向き合って形にしてきた 「松本人志」、 「浜田雅功」という男の功績や生き様は賛否両論はあったとしても、非常に偉大で今後も語り継がれていくのだろうと思う。 life is freedom….

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