天使 と 悪魔 セカオワ。 SEKAI NO OWARI 天使と悪魔 歌詞

天使と悪魔 SEKAI NO OWARI(世界の終わり) 歌詞情報

天使 と 悪魔 セカオワ

今から話すことは、先生が自分自身にも言いつもいい聞かせることなんです。 先生だから何でもできるわけではないし、強いわけでもありません。 人間ですから、つらい時も、逃げたい時もあります。 でも、だからこそ人間なんです。 そんなつもりで聞いてください。 人は心に『天使と悪魔を抱いています。 』 よく目標を立てよとか、ここまで頑張れとかいいます。 先生もそんな話しをよくします。 でもできる人とできない人が、今はいます。 ではできる人と、できない人の差は何なのか考えてみたことはありますか? 能力だという人がいますが、そうではありません。 できない理由の多くは、時間がないとか、いまは必要でないとか、そんな言い訳をして自分を正当化しようとしている自分がいるのです。 そうです。 自分の中の悪魔がささやくのです。 『大丈夫だよ、お前だけではない。 皆やれていないんだ。 』と・・・。 その悪魔のささやきに自分自身を納得させることになるのです。 しかし、やりきる人は、悪魔のささやきの中で、天使の言葉が聞こえてくるのです。 『今やらなければどうする。 それを成しえることが将来のお前にとって大切なんだ。 』と・・・。 その言葉に奮起します。 要は、成すか、成さぬかは、自分の心の悪魔と天使のささやきから始まるのです。 よく心の葛藤といいますが、心の葛藤とは、このささやきをいうのですね。 みなさんは、悪魔とささやきと、天使のささやきのどちらを多く聞きますか? 何かを成せる人も悪魔のささやきがあるのですが、その時に『初心にかえったり、ライバルの頑張りを思い出したりしながら、悪魔のささやきを天使のささやきに変えているのです。 『成せば成る。 成さねば成らぬ。 成らぬは人の成さぬなりけり。 』 この言葉はよくそれをあらわした言葉だといえるでしょう。 宿題をしている時によく『天使と悪魔』が会話しませんか? 二学期、運動会、などの行事で大変です。 その時にこの話を思い出し、『成せば成る』と思いながら、悪魔のささやきに負けないように頑張って欲しいと思います。

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「天使」と「悪魔」がよくわかる本 ミカエル、ルシファーからティアマト、毘沙門天まで (PHP文庫)

天使 と 悪魔 セカオワ

音楽を聴くことで、や数学のコツがつかめたらいいですよね。 今回はそんなテーマで、や数学のセンスを感じる曲について語りたいと思います。 それは私の好きなバンド、(以下、)の 「天使と悪魔」という曲です。 は4人組のバンド。 歌詞やが私の琴線に触れ、彼らがデビューする前から気になる存在でした。 「天使と悪魔」は、ボーカルの深瀬さんが作った曲ですが、私はこの曲を聴いたとき、「なんて深い曲なんだろう!」と感銘を受けました。 そして、聴けば聴くほど、や数学のエッセンスがあふれていることに気づきました。 最初に、次の歌詞を見てください。 もし僕が正しくて君らが間違いなら 僕らは戦う運命にあるの? 僕らはいつも「答」で戦うけど 2つあって初めて「答」なんだよ これは何気ない歌詞に見えて、実は、人間の心理をついている歌詞だと思う。 人はそれぞれ価値観が違う。 では、人の価値観のことを 「私的感覚」といいます。 「私的」というのは「プライベート」と訳します。 価値観というと固定的なイメージになるかもしれませんが、私的感覚というと、人によって価値観が違うことがよく分かるので、「私的感覚」というのは、より正確な表現だといえます。 そして、では、 「相手の私的感覚を裁いてはいけない」といいます。 相手の私的感覚を裁く行為は、「競合的」な行為だからです。 人がそれぞれ自分の価値観が正しいと思い、相手の私的感覚を 「裁く」からこそ、争いが生まれるのです。 たとえば、旦那さんが女友達と2人だけで晩ご飯を食べにいったとします。 奥さんの立場からすると、ムッとするかもしれませんね。 ただ、もしかしたら、その旦那さんは「異性と2人でご飯を食べに行くのはなんともない」という私的感覚(価値観)なのかもしれません。 でも、逆に、奥さんのほうが「結婚しているのに、異性と2人でご飯を食べに行くのはよくない」という私的感覚(価値観)だとしたら、そこで争いが起きます。 これは、どちらが正しくて、どちらかが間違っているといっているのではありません。 お互いの私的感覚が違う と言っているのです。 そして、相手の私的感覚を尊重せずに「裁く」から争いになるのです。 2つあって初めて「答」だと、深瀬さんも歌っている。 「天使と悪魔」の歌詞にはこのことがしっかりと表現されているのです。 深瀬くんは自分で考えたのだろうか? 本で読んだのだろうか? いずれにしても、人と人の「争い」の本質をついた心理学的な歌詞です。 次は、歌詞のこの部分です。 何かを変えるってことは、 自分自身を変えることと、 ほとんど同じなんだよ。 「僕ら」が変わるってことは、 「世界」を変えるということと、 ほとんど同じなんだよ。 では、相手にばかり求めるのではなくて、 「まず自分から」 変わることを推奨しています。 過去は変えられない。 相手を変えるのも難しい。 未来もすぐには変わらない。 一番変えられるのは「自分」。 それはそうだ。 分かっている。 そうは言うけど、、、 自分から変わるのは勇気のいること。 だけど、勇気を出して、自分から変わることで、結果的に相手も変わるかもしれない。 それにより環境や状況が変われば、世界が変わる。 の言う通りだ。 あなたも何か変えたいことがあるのなら、勇気を出して行動を変えてみませんか。 私はこの曲を聴くたびに、とても的な曲だと感じる。 そして、この曲からは、深瀬さんの数学的なセンスも感じる。 この曲で、深瀬さんは相反する2つのものを 対比させています。 天使と悪魔 正義と悪 正解と不正解 そして、 2つそろって初めて意味がある言っている。 2つのものを対応させているだけでなく、両方セットで存在するといっているのです。 「悪魔」がいなければ「天使」もいない。 「悪」がなくなれば「正義」もなくなる。 「不正解」がなければ「正解」もない。 深いですね。 これは陰陽思想の「陰」と「陽」に通じる考え方です。 数学でも 「表と裏」、「プラスとマイナス」のように2つのものを対比させる考え方があります。 数学では、 「双対」という言葉を使います。 数学では単なる対比ではなく、コインの「裏の裏が表」となるように、 その操作を2回くり返すと元に戻るという性質を大事にします。 私は深瀬さんのこの曲を聴くと、数学の「双対」が心に浮かびます。 さらにこの曲の最後には、次のように歌っています。 否定を否定するという僕の最大の矛盾は 僕の言葉 全てデタラメ だってことになんのかな? 「」という言葉が印象的ですね。 私が高校生の時、国語の授業で「は強い肯定」と習いました。 だけど、数学的には否定をもう1回否定すると、元に戻るだけだと思う。 これは、国語的な感性と数学的な感性の違いだろうか。 それにしても、とても数学的で興味深い言葉を歌詞にしていますね。 これまでみてきたように、の「天使と悪魔」は心理学や数学のエッセンスがあふれた曲だと思う。 これらは深瀬さんの感性なのだろうか? 深瀬さんは人生とまっすぐ向き合い、自分自身に正直に生きているような気がする。 ちなみに、数学者も、純粋でまっすぐ生きているような気がする。 曲がったことはしたくないというのだろうか。 最後にオフィシャルな動画をつけておきますので、ぜひ歌詞をかみしめながら、じっくりと聴いてみてほしい。 とても味わい深い曲です。 なお、はメジャーデビューのときにバンド名を「」という表記にしましたが、それまでは「世界の終わり」という表記でした。 「天使と悪魔」はメジャーファーストアルバム 『ENTERTAINMENT』に収録されていますが、インディーズのときに作られた楽曲です。 (だから、オフィシャル の表記も「世界の終わり」となっています) 彼らがインディーズの頃、私はに住んでいました。 百貨店のCDショップで、偶然、彼らのインディーズアルバム 『EARTH』を視聴して衝撃を受け、それ以来、気になる存在のバンドになりました。 あなたもぜひ、静かな気持ちでの音楽に耳を傾けてほしい。 でなければ、彼らの繊細でデリケートな「想い」を聞き逃してしまうから。

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+世界の終わりの「天使と悪魔」の歌詞を教えて下さい。+

天使 と 悪魔 セカオワ

『天使と悪魔』作詞作曲: 歌:世界の終わり(、) 落ち着いた静寂のなかに流れる軽快で心地よいサウンド。 爽やかながらも一度聴いたら忘れられない印象的なメロディ。 どの部分を切り取っても訴求力のある歌詞。 一貫した世界観。 最初の一小節を聴いただけでもうノックアウトされていましたね。 それがこの曲 『天使と悪魔』です。 この曲は胸の内のストレスの塊を持っていってくれる。 解消してくれる。 学校や職場で嫌なことがあったときにぜひ聴いてください。 Saoriの少し激しいピアノも緊張感を感じさせて何回聴いても飽きさせない。 ほんと良い曲! 『天使と悪魔』の「深い」と評判の歌詞についてこれから考察と持論を述べたいと思います。 大人VS. 大人の正解・不正解のバトル」。 ワイドショーでの政治についての議論は当たり前ですが、最近はブログやの内容もそれが 「正解か不正解か」の批評にさらされますね。 家庭の食卓で両親が「こいつはこれやからアカンねん」と言及したり。 面白い歌詞ですね。 彼らもまた下の人間に「間違い」を知らしめる。 その悪循環は続いていく…… 誰かが疑問を持たなければ。 ……ところで。 天使と悪魔ってどのような人(集団)を指しているのでしょう? 人それぞれイメージは異なると思いますが、たとえば想像するのが天使は 「TVのタレント・コメンテーター」や街角インタビューに答える 「市民」、悪魔は 「炎上中の政治家やグループ」。 そんなイメージがあります。 まるで中学生が集まって嫌いな教師の悪口を言っているような構図です。 そして「人生経験が足りないからだ」と教師側は相手にしない。 赤ちゃんの泣き声ほどの無力さを感じてしまいますね。 悪魔側:バカな天使どもがまたギャーギャー騒いでるだけで、 俺は賢いから問題はない 天使側:日々学ぼうともせず一番簡単な 「騒ぐこと」を選択し、 「騒ぐこと」しかできない ……これで何が解決できます? 権力を持つ人間への最大の武器 権力を持っている人に対して。 僕は 別の人への賛美(+嫌いな人への無関心)が最大の武器かな~と考えています。 一つ一つの所作に対して「それはダメ、それは反対!」と反応し続ければ、「馬鹿がまた騒いでいる」と向こうは決めつけてきます。 バカな(と思われる)姿を見せることで「アイツらはバカで俺は賢い」と自分を肯定する材料を与えてしまっている。 批判がエールになっている。 そんな状態に気づかなければいけません。 誰かを否定するより、別の誰かを肯定しよう。 その肯定を 発信しよう。 良い人に注目が集まればその人はより頑張れるし、あの人へは無関心が向けられるようになる。 それはつまり、 自己を肯定してくれる批判者を失うこと。 「俺は賢い!」といくら唱えても誰にも聞いてもらえなくなること。 それって最高じゃない? 気に喰わない政治家を非難することより、良い政治家を見つけ、発信し、注目を向けさせる。 ただの無関心は無責任ですが、誰かを肯定しつつ抱く無関心は環境をより良くしていく。 それは 可能か不可能か。 皆さんはどう考えますでしょうか? ミュージシャンの役割 もし僕が正しくて君らが間違いなら 僕らは戦う運命にあるの? 「僕ら」が変わるってことは「世界」を変えるということと ほとんど同じなんだよ おそらく他人を変えることはできないから、僕らはコミュニティを作ることしかできない。 コミュニティを作るためには素晴らしい人について知ることが不可欠です。 自分が良い人を見つけるか 自分を見つけてもらうか。 ここが大切なんだと思います。 良い楽曲はマイノリティをマジョリティに変える一瞬を作る。 受け手を「嫌いな人間」から解放できるし、その人への無関心も引き起こせる。 それぐらい熱中させられる。 「戦う運命」を忘れさせられる。 つまり、『天使と悪魔』は名曲です。 劣等感とイジメ 戦うべき「悪」は自分の中にいるんだと 「世界」のせいにしちゃダメだと僕はそう思ったんだ 本当に「戦う運命」にあるもの。 「戦うべき悪」とは 劣等感のことだと思います。 ギャーギャー騒いでいる人もイジメをしている人も自分の劣等感から目を背けている。 何もしていないと劣等感の根が急速に伸びて襲ってくるから、それを押さえつけるために誰かを「押さえつける」。 非難したり批評したり。 その対象となる目の前の相手は自分の劣等感の影なのですね。 劣等感から目を背けば、ほら、イジメるべき相手がそこにいるよ、と「自分の中の悪」はささやくわけです。 そんな誘惑にあらがえなかった大人(親)の姿を見て、不平不満ばっかり言っている彼らを見て、子どもはイジメの仕方を知るのでしょうね。 つまり、イジメをする子は家での服従関係を学校に持ってきて、その関係性を他の生徒に強いているということ。 もちろん自分は上の立場で。 これがイジメの構図だったのですね……) 「悪」と戦うとは劣等感に立ち向かうということ。 劣等感に立ち向かうということは 「考え続ける」ということ。 この「考え続ける」ということをしなくなった人が軽薄に卑怯に他人を否定する。 というシーンが蔓延している。 教室でも職場でも家庭でも。 この曲を聴いて「彼らは天使だ彼らは悪魔だ」と批判するようになることも、自分の中の悪に立派に目を背けた行為なのだろう。 歌詞の最後にある「否定を否定する」ということとは? 否定を否定するという僕の最大の矛盾は 僕の言葉全てデタラメだってことになんのかな? 「どっちが正しいどっちが間違いだ?」ではなくて「間の答えを見つけよう!」とこの曲は言っている。 この答えは結局、互いに否定しあう両者のあり方を 否定している。 は典型的には「いかなる命題も、絶対に正しいということはない」というような主張を含んでいる。 しかし「『いかなる命題も、絶対に正しいということはない』という主張 自身は果たして絶対に正しいのか、それとも、絶対に正しいということはないのか」という点をめぐる矛盾が発生する。 もしもが正しいとしたら、いかなる命題も絶対に正しいということはないはずなのだが、それならば、「いかなる命題も絶対に正しいことはない」という命題も絶対に正しいということはなく、したがって「絶対に正しい命題」が存在するはずで、それはの基本的な主張と矛盾するため、は間違っているというものである。 が、う~んここの歌詞を聴いていてなんか違和感あるな~と思っていました。 で、その理由は「否定」と 「提案」の違いだということに気づきました。 もっといえば提案するためには二つのステップを踏まないといけない。 二つの努力をして初めて「提案」ができる。 「提案」する人は体が前を向いている。 一方、「否定」する人は後ろに向かって口を動かしている。 僕らはいつも「答」で戦うけど 2つあって初めて「答」なんだよ 二つの主張の間の選択。 「否定」ではなく「提案」すること。 それを大切にすれば、悪魔でもなく天使でもない 人間でいられるよ。 と、この歌は教えてくれているように感じます。 (他人との争いから抜け出す方法としては.

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