今宵は百万年に一度。 Dragon Night/SEKAI NO OWARIの歌詞

???「今宵は百万年に一度」

今宵は百万年に一度

今月のことばは昨年十月にリリースされ、大ヒットした「SEKAI NO OWARI」の『Dragon Night(以下、ドラゴンナイト)』 の歌詞からです。 ) この曲は昨年の紅白でも披露され、あちこちで流されていたので皆様も耳にしたことがあるのではないでしょうか。 ピエロの衣装やトランシーバーをマイク代わりにするなど、独特の世界観を持つ四人組のバンドで、軽快な楽曲に強いメッセージを歌詞に載せて発信しています。 その中でこの『Dragon Night』という曲は、人間の根本的問題ともいうべき自我について、正義という言葉でもって表現します。 今ニュースを賑わしているのは、子供たちの集団暴行や惨殺事件、首相が推し進める安全保障関係、世界に目を向ければ、同じ宗教信者同士(派は違う)が三つ巴四つ巴で撃ち合い、白人と黒人と…、人間の争いに関することを目にしない日ない。 ただ、これらのことは現代の社会問題なのかといえばそれだけではなく、人間の歴史が始まって以来、我々人間が常に抱えてきた不変の問題だろうと思うのです。 もっと身近に考えても、学校、家庭、職場と私たちをとりまく環境はさまざまで、決して安心できないある意味戦場ではなかろうか。 こんなことを思うのは自分だけかと思っていたら、多かれ少なかれ大概皆そう思っていたりするのでおもしろい。 その中で道徳や秩序といったものがどれほど頼りになるものか。 絶対的に身をゆだねていられないのが私たちの正体だ。 曲の中で、この世から争いがなくなる夜(ドラゴンナイト)は、「 今宵は百万年に一度」であるそうだ。 地球で人間の時間が始まってから百万年、「 終わりの来ないような戦いも 今宵は休戦して祝杯をあげる ~ 今宵、僕たちの戦いは「終わる」んだ」実は皆このドラゴンナイトを待ちわびている。 ではなぜ、人は争いをやめないのか。 「 人はそれぞれ「正義」があって 争い合うのは仕方ないのかも知れない」 正義とは何か? 正義とは完全無欠の善、正義でないものは悪、というとらえ方に間違っているという人は少ないであろう。 ところが辞書で正義をひけば【人間の社会的関係において実現されるべき究極的な価値(ブリタニカ)】とある。 究極的な価値は一つであるから、歌詞のように正義が人それぞれであったらあべこべだ。 この究極的な価値こそドラゴンナイトであろう。 私たちの親先祖はそれぞれの正義を超えた、この究極的な価値(本当の道理)を請い求め、見出すことを目指してきた。 仏教ではこれを浄土といい、またこの歌詞にいうそれぞれの正義を自我という。 自我は人間が自利利他円満、皆が満たされる浄土に共に立てない一番の原因と教えます。 「 だけど僕の「正義」がきっと 彼を傷つけていたんだね」 普段私たちはこの自我(人それぞれの正義)を最上と頼りにし行動する。 浄土は自分の力では開けない。 浄土を求めていたのに普段自我に支配されてしまう。 このことを私たちは教えてもらうしかありません。 本当の道理から、あなたが、誰々が、ではなく自分が教えてもらうしかないのです。 それには聞くしかありません。 何かわからないけれど、そんな夜があったらいいな、であればそれはただのファンタジー。 この曲のドラゴンナイトはファンタジーを用いた、一度たりともそのような夜は来たことがないよ、という我々人間の自我に対する強烈なアンチテーゼ。 本当に「 友達のように歌い ~ 踊るんだ」には共に自分が聞き続け、おしえてもらうしかないのです。 船橋昭和浄苑 溝邊 貴彦.

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世界の終わりのドラゴンナイトの歌詞がよくわかりません、どういった意味なの...

今宵は百万年に一度

今月のことばは昨年十月にリリースされ、大ヒットした「SEKAI NO OWARI」の『Dragon Night(以下、ドラゴンナイト)』 の歌詞からです。 ) この曲は昨年の紅白でも披露され、あちこちで流されていたので皆様も耳にしたことがあるのではないでしょうか。 ピエロの衣装やトランシーバーをマイク代わりにするなど、独特の世界観を持つ四人組のバンドで、軽快な楽曲に強いメッセージを歌詞に載せて発信しています。 その中でこの『Dragon Night』という曲は、人間の根本的問題ともいうべき自我について、正義という言葉でもって表現します。 今ニュースを賑わしているのは、子供たちの集団暴行や惨殺事件、首相が推し進める安全保障関係、世界に目を向ければ、同じ宗教信者同士(派は違う)が三つ巴四つ巴で撃ち合い、白人と黒人と…、人間の争いに関することを目にしない日ない。 ただ、これらのことは現代の社会問題なのかといえばそれだけではなく、人間の歴史が始まって以来、我々人間が常に抱えてきた不変の問題だろうと思うのです。 もっと身近に考えても、学校、家庭、職場と私たちをとりまく環境はさまざまで、決して安心できないある意味戦場ではなかろうか。 こんなことを思うのは自分だけかと思っていたら、多かれ少なかれ大概皆そう思っていたりするのでおもしろい。 その中で道徳や秩序といったものがどれほど頼りになるものか。 絶対的に身をゆだねていられないのが私たちの正体だ。 曲の中で、この世から争いがなくなる夜(ドラゴンナイト)は、「 今宵は百万年に一度」であるそうだ。 地球で人間の時間が始まってから百万年、「 終わりの来ないような戦いも 今宵は休戦して祝杯をあげる ~ 今宵、僕たちの戦いは「終わる」んだ」実は皆このドラゴンナイトを待ちわびている。 ではなぜ、人は争いをやめないのか。 「 人はそれぞれ「正義」があって 争い合うのは仕方ないのかも知れない」 正義とは何か? 正義とは完全無欠の善、正義でないものは悪、というとらえ方に間違っているという人は少ないであろう。 ところが辞書で正義をひけば【人間の社会的関係において実現されるべき究極的な価値(ブリタニカ)】とある。 究極的な価値は一つであるから、歌詞のように正義が人それぞれであったらあべこべだ。 この究極的な価値こそドラゴンナイトであろう。 私たちの親先祖はそれぞれの正義を超えた、この究極的な価値(本当の道理)を請い求め、見出すことを目指してきた。 仏教ではこれを浄土といい、またこの歌詞にいうそれぞれの正義を自我という。 自我は人間が自利利他円満、皆が満たされる浄土に共に立てない一番の原因と教えます。 「 だけど僕の「正義」がきっと 彼を傷つけていたんだね」 普段私たちはこの自我(人それぞれの正義)を最上と頼りにし行動する。 浄土は自分の力では開けない。 浄土を求めていたのに普段自我に支配されてしまう。 このことを私たちは教えてもらうしかありません。 本当の道理から、あなたが、誰々が、ではなく自分が教えてもらうしかないのです。 それには聞くしかありません。 何かわからないけれど、そんな夜があったらいいな、であればそれはただのファンタジー。 この曲のドラゴンナイトはファンタジーを用いた、一度たりともそのような夜は来たことがないよ、という我々人間の自我に対する強烈なアンチテーゼ。 本当に「 友達のように歌い ~ 踊るんだ」には共に自分が聞き続け、おしえてもらうしかないのです。 船橋昭和浄苑 溝邊 貴彦.

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♪今宵は百万年に一度、世界のアフィカスが集まる日っ!〜渋谷のアフィカスフェス行ったよ〜

今宵は百万年に一度

Dragon Nightの歌詞解釈を教えてください。 わけがわかりません。 先日、SEKAI NO OWARIの大ファンである友人に「私が好きそうな曲ある? 」と聞くと「この曲良いよ!聞いてみてよ!絶対セカオワはまるよ!」と言われDragon nightと言う曲を聴いてみました。 1度流しで聞いてみたのですが、歌詞が全く分からず最終的には歌詞を見ながら曲を聞いて10回20回。 それでもわけがわかりません。 質問が多々あるのでそれも交えて教えていただけると光栄です。 ずっと朝の世界が夜になる日だったのに、太陽が遊びに来ちゃそれは朝ですよね? (家族と会議した結果、金環日食の類かなにかって事を言いたかったんじゃないかと言う事で収まったのですが・・・何か関係があるのでしょうか?) あと、その日は休戦の日と言うのはわかったのですが、何故最後には終戦しているのでしょうか? 何故踊ったら終戦になるの? 踊ることでそれぞれの正義が調和されてハッピーエンドへいっ!って事で良いんでしょうか・・・? グラッチュレイションはハナモゲラな感じでOKなんでしょうか?何か意味がある言葉なら教えて欲しいです。 ムーンライト、スターリースカイ、ファイアーバードが急に出てきたのは何故でしょうか? ただ単にファンタジー要素を強めたかっただけ? それとも散々言っている「彼」がこの中にいるかな。 歌詞を抜きにすれば曲調はかなり私の好みど直球なのですが、このCDを買ったらインスト曲も入っていますか?? 音楽サイトとかで単品で買えたりします? それと、ネットでいくつか調べているうちに「ドラゲナイ」って言葉を見て不覚にも笑ってしまいました。 私にもそう聞こえます。 申し訳ありません。 ドラゲナイ=dragon nightですよね? 友人がメールで「何してるのー?」と送られて来たので「今セカオワのドラゲナイきいてるよ!」と返信すると「は?」と怒り気味に返ってきました。 これはセカオワファンには禁句なんですか? 普通に考えると確かに歌詞の意味が難しいですね。 あくまでも個人の解釈ですので参考までに! 『今宵は百万年に一度太陽が夜に遊びに訪れる日 』 百万年に一度・・まず訪れる事がないであろう日 未だに争いが絶えないこの世界を皮肉っいる 太陽・・・・自軍 夜・・・・・敵軍 の例えだと思います。 なので 今宵はまず訪れる事がないであろう日に太陽 自軍 が夜 敵軍 の所に遊びに行く日 次に 『今宵、僕たちの戦いは「終わる」んだ』 は、 今宵だけは僕たちの戦いは終わった事にしよう!という意味ではないでしょうか?なので終戦ではなく、停戦かな? グラッチュレーションは 「コングラッチュレイション」の「コン」を略しただけだと思います。 なので 『ドラゴンナイト 今宵、僕たちは友達のように歌うだろう コングラッチュレイション、グラッチュレイション、グラッチュレイション 今宵、僕たちの戦いは「終わる」んだ』 は、 ドラゴンナイト今宵、僕たち 自軍と敵軍 は あんなに憎しみ合い戦い、傷つけ合っていたけど停戦し、大義を忘れ祝杯をあげれば 友達のように仲良く歌えるじゃないか!よかったじゃないか。 よかったじゃないか。 よかったじゃないか。 今宵だけは戦いはひとまず停戦としよう! 次 『ドラゴンナイト 今宵、僕たちは友達のように歌うだろう ムーンライト、スターリースカイ、ファイアーバード 』 ムーンライト・・・月の下 スターリースカイ・・星空 ファイアーバード・・直訳では火の鳥になりますが歌詞の流れから考えると「たいまつ」と考える方がいいかな? ドラゴンナイト 今宵僕たちは友達のように歌うだろう 月の下で 歌うだろう 星空の下で 歌うだろう たいまつの元で 歌うだろう まとめると 争いが絶えないこの世界で貴方は正義を掲げて戦うけどその行動は彼を傷つけているかもわからないんだよ!それでいいのかい?彼を傷つけているその行動は正しいのかい?正しければ彼を傷つけていいのかい?そもそも正しいなんて何を根拠に言っているんだい?この世界では人それぞれ価値観があるのだから善と悪なんて決めれないのでは?なら今宵だけは大義を忘れ祝杯をあげようよ!ほら、不思議だろ?あんなに争い合っていたのに友達のように肩を組み歌い合えるじゃないか?よかったじゃないか。 よかったじゃないか。 よかったじゃないか。 こんな感じかな? 最後に『ドラゲナイ』は元々『ドラゴンナイト』と歌っているのに『ドラゲナイ』と聞こえるから、あまりセカイノオワリを良く思ってない人がディスったのが始まりなので、セカイノオワリのファンにとっては好ましく思わないのでしょう。 しかし深瀬さんは寛容な人みたいですから、そこまで気にしてないのでは?現に自信のTwitterに「ドラゲナイ!」って呟いてましたからね。 この歌詞は実は2人いると思うんですよ。 1番と2番。 歌詞が微妙に違うのはそれだと思う。 百万年に一度太陽が沈んで夜が訪れる日に住んでる側の僕と、 百万年に一度太陽が夜に遊びに訪れる日に住んでる側の僕。 最初はずっと昼みたいに明るくて、次がずっと夜みたいに暗い側。 これ別に両者の性格ではなくて、お互いに反対の常識や環境に暮らしている という事だと思う。 100万年に一度しか変わらないくらいの常識をお互い持ってるんだよね。 まあ、常識を固定観念としてもいいかも知れない。 で、反対なので、日頃は嫌いあって、傷つけあうことになるんだけど、 100万年に一度ぐらいの改革をするつもりで、相手の環境や常識を体験する日がDragon Nightなんだよね。 体験するというのは、実際に昼しかない場所の太陽が沈んだり、夜しかない場所に太陽が来たりするから、お互い相手の環境になるってことね。 そうすると、相手の環境を経験して、お互いの立場を理解した。 それで、一緒に踊れたり、歌ったり出来たんだよ。 まとめると、自分の常識とか固定観念とか立場とかね、色々あると思うし、それを変えるのは難しい。 だけど、100万年に一度くらいの変化のつもりで、相手の立場や常識を理解してみよう。 そうしたら、仲良くなれるんじゃないか?というメッセージだと思う。

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