我 が 子 を 食らう サトゥルヌス ゴヤ。 ゴヤの黒い絵、全作品

[フリー絵画] フランシスコ・デ・ゴヤ 「我が子を喰らうサトゥルヌス」 (1821

我 が 子 を 食らう サトゥルヌス ゴヤ

ご存じの、観るだに恐ろしいの絵画。 著「怖い絵」に挿入されている。 も同じ題材で描いているようだが こちらはもっと迫力がある。 漆黒の闇を背景に、裸の巨人がわが子をむさぼり喰っている。 灰色の髪を振り乱し、身をよじり、前かがみで、両目も、口も 鼻の穴も、もうこれ以上はもう無理だと思うほど大きく開けたサトゥルヌス。 子どもはすでに頭部も右腕も食いちぎられ、血にまみれている。 なめらかな胴体も、父の巨大な両手で今にも砕かれそうだ。 いや、すでに獰猛な爪は皮膚を破り内臓にまで達しているのだろう 指の間からじ、じわりと血がにじむ。 なぜ、わが子を喰らうことになったのかと言えば・・ 世界の始まりのとき、大地の女神ガイアは息子の天空神と 交わって巨神サトゥルヌスを産んだ。 サトゥルヌスは長じて父を大鎌で去勢したあげく殺し神々の上に君臨する。 しかし父の最期の言葉に・・・ 「お前もまた自分の子どもに殺されるだろう」・・・ ずっと怯え続け、その予言から逃れるため、妹であり妻であるレアとの あいだにできた子どもたち5人を次々自分の腹の中へおさめざるを得なかった。 ・・・文章引用・・・ 何とも強烈な絵にめまいがするほどだが 他にも絵画の裏話として、マリーアントワネットが処刑台に 向かう道中のダビッドのスケッチや、 ドガの「エトワール、または舞台の踊り子」など一見 怖くなさそうな絵に知られざる秘話が興味をひく。 その「怖い絵」を読んでいる最中に、わが孫っち3人が 昨日、機嫌良くわが家を訪れた。 いつもニコニコとスキップしながら玄関を通り 部屋に入るなり、7歳と4歳が本を指さし何?って訊く。 「おとーさんに子どもたちが食べられる怖い話が載っているよ」と 話すと二人は、ビビってしまい大泣きをする始末。 そこへママが「いやぁ夏休みでふたりともちっともお母さんの 言うことを利かないからお母さんも食べちゃおうかなぁ」と 冗談にいい、見せて、 とばぁばに言うと 「ママぁ、ボクらを食べんといて!」 「ばぁば、ママに見せんといて!」 「そんな怖い本もう借りんといて!ばぁば!」と大変な怖がりようだ。 「今晩、ボク夢に見るかも知れない」などと7歳が心配している。 いやぁ悪かった・・・ 脅かすつもりはなかったのだが、冗談が過ぎたようだ。 以前、「オニから電話」のときも、真剣に怖がっており このあたりが、まだまだ幼いのだなぁと妙に納得した次第だ。 昔のなどもえげつない物語が多いが あまり小さい子には、トラウマになりそうで話さない方がいいか。 しかし・・・この表題の絵・・・ わたしでも就寝前に見ると強烈過ぎて眠れなくなりそうだ。 著「怖い絵」を、真夏の眠れない夜に一読を 笑 mursakisikibu.

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[B! 芸術] 我が子を食らうサトゥルヌス

我 が 子 を 食らう サトゥルヌス ゴヤ

5cm の 額・送料込みの価格です。 一辺が1メートルを超える絵画作品の納品例も多数ございますので、お気軽にご相談下さい。 お電話:「080-4492-2244」、 アート名画館では、現在 無料の額装を数種類用意しています。 もちろん額装も出来上がった作品に合わせて、 完全オーダーメイドにて製作致します! 作品を彩るお好みの額装をしてあげましょう。 下記「」という箇所をクリックし、額装選択のページよりお好みの額装をお選び下さい。 1746年〜1828年 ロマン主義 フランシスコ・デ・ゴヤ (Francisco Jose de Goya y Lucientes) スペインの巨匠、近代絵画の創始者とも言われる、フランシスコ・デ・ゴヤ。 14歳の頃からサラゴーサで地元の画家に師事して絵画の修行を開始。 タピスリーの下絵描きとして修業を積む。 1770年にイタリア留学に行くが、帰ってきたあとも、依然としてタピスリーの下絵を描く仕事は続いた。 長年タピスリーの下絵を描く仕事をしていたゴヤにチャンスが訪れたのは1774年。 このとき初めて王室のタピスリーの下絵を描いた。 それからというのも1786年に40歳で国王カルロス3世付き画家となり、その後1789年には念願だった宮廷画家となり、首席宮廷画家の地位にまでのぼりつめた。 しかし、1792年、不治の病に侵され聴力を失うと、そこからの作風は暗い色彩のものへと変化する。 当時のスペインの自由主義者弾圧を避けて1824年、78歳の時にフランスに亡命。 1826年、宮廷画家を引退する。 1828年、82歳のとき、亡命先のボルドーで死去。 この作品は、1819年にマドリッド郊外マンサナレス河畔に購入した別荘の壁画で、ゴヤが聴力を失ってから描いた「黒い絵」のうちのひとつである。 アート名画館では、著作権の切れた有名画家を厳選し、その油絵複製画を数多くのお客様へお届けしています。 取り扱う作品は全て、ポスター等ではなく、画家によって精密に描かれた本物の油絵作品です。 名画は飾ることにより、部屋の雰囲気をガラリと高級に変えることはもちろん、心に豊かさをもたらします。 毎朝コーヒーを飲みながら落ち着いて名画を眺める。 そんな生活をお届けしたいと考えております。 ポスター等の印刷物と本物の油絵の違いをご存知でしょうか? しっかりと油絵で描かれた絵画作品は、表面には凹凸があり、重厚感・躍動感が味わえます。 近づくとほんのりと油絵の香りがするのも油絵ならではです。 もしあなたが、原画と全く同じ色彩、形をお望みでしたら、油絵複製画は期待に応えられないかもしれません。 でも、もしお望みが、一筆一筆しっかりと描かれた本物の油絵、美術館などで観た、感動を呼び起こすような作品でしたら、きっと当店の油絵複製画を気に入っていただけます。 また、キャンバスに描かれた油絵は耐久性に優れていることでも有名です。 何百年も前の名画が、現在も鑑賞されていることが証明しているように、劣化しにくい油絵作品は、一度購入すれば、何十年、何百年と楽しむことも可能です。 そして、一人でも多くの方へあなた自身の名画をお届けし、豊かな絵のある生活を提案していくことを約束します。 」 これが【アート名画館】の理念であり、想いです。 これを実現するため、当店ではネット販売・海外直送という形をとり、流通コスト・人的コストなどの削減をはかり、画廊などでの販売ではなしえなかった、油絵作品の低価格化を可能にしました。 また、それだけでは十分とは考えず、当店では満足保障と致しまして、万が一お送りした作品にご満足頂けなかった場合は、 喜んで全額返金させて頂きます。 絵画制作を受け付けている多くの販売店では、返金保障をつけたがりません。 それは、単に在庫品を販売するのではなく、お客様一人一人にあった作品を制作するため、返金保障をつければ、販売店側にとってはとてつもなくリスクが高いからです。 ですが、それはお客様にリスクを背負わせることとなり、当店の意に反します。 だから当店では、 作品到着より30日以内にご連絡頂ければ、商品代金を全額返金をさせて頂きます。 部屋に飾って皆に自慢して下さい。 業界きっての取り扱い作品数、低価格、出荷数を誇るアート名画館が、絵画のある生活をお届け致します。 ご注文は、「カートに入れる」よりお進み下さい。 又は、お電話:「080-4492-2244」、メール:「meigakan legare-japan. com」にても承りますので、お気軽にご連絡お待ちしております。

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[B! 芸術] 我が子を食らうサトゥルヌス

我 が 子 を 食らう サトゥルヌス ゴヤ

主題はの神(における)がとの間に生まれた子供を呑み込むという有名なエピソードから取られている。 ルーベンス最晩年を代表する作品で、国王の発注によって山中に建設された狩猟館 ()の装飾のために制作された。 現在はのに所蔵されている。 主題 [ ] の『』によると、クロノスは自分の息子によって倒される運命にあることを父と母から聞いていたため、妻レアーが子供を出産するたびに呑み込んだ。 深く悲しんだレアーは両親の助言に従ってのアイガイオン山中でを出産した。 ガイアは大岩に産着を着せてクロノスに渡し、クロノスはそれを岩だと気づかずに呑み込んだ。 生まれたゼウスは密かに育てられ、成長した後にクロノスら族を打倒した。 クロノスはでは農耕神サトゥルヌスと同一視され、もこの神話をサトゥルヌスの物語として『 ()』で取り上げているほか 、を持つ神であることや、(ゼウス)によって王権を奪われたのちに世界中を放浪し、にやって来たことについて触れている。 制作経緯 [ ] フェリペ4世は1636年に改築が終わったトゥーレ・デ・ラ・パラーダの装飾のためにルーベンスに神話画63点、狩猟画50点に及ぶ膨大な作品を発注した。 これはフェリペ4世の弟でから総督の座にあった親王を仲介して行われたが、1621年から1625年の『』、1630年から1635年の国王から受けたの装飾事業を越える大規模発注となっただけでなく、納品までの期間が短かったために、ルーベンスはフェリペ4世に許可を取り、下絵を描いたうえで、 ()などかつての弟子であった画家たちに発注の大部分を委託しなければならなかった。 このうちルーベンス本人が完成させたものは本作品を含む約15点の重要な作品のみと見られている。 制作もまたフェルディナンド枢機卿の監督下に進められ、1638年には大量の作品群がマドリードに発送された。 作品 [ ] 『最後の審判』の聖バルトロメウス。 の際に捕らえられて生皮をはがされたとの伝説から、自身の皮を手にした姿で描かれている。 本作品はオウィディウス『祭暦』の詩にあるサトゥルヌスの神話を描いている。 年老いたサトゥルヌスは白髪を振り乱しながら左腕に抱えた我が子を今まさに食らおうとしており、幼子は激痛と恐怖でのけ反りながら泣き叫んでいる。 老人として描かれたサトゥルヌスの肉体は若かりし日の壮健さをうかがわせるが、その肌はたるんで皺を作っている。 さらに老齢ゆえの衰えを隠すことが出来ず、黒雲に座り、前かがみになった自身の身体を右手に持ったで支えている。 ルーベンスの筆さばきは筆の跡がそのまま肌の皺やたるみを表現する闊達ぶりを見せており、老いた神とつややかで柔らかい幼児神の肌を対比的に描いているだけでなく、赤子を食らおうとする図を強烈なリアリズムを伴って描き出している。 背景全体は沸き立つような黒雲で覆われ、画面上部にはサトゥルヌスを象徴するを2つのとともに三連星の形で描いている。 絵画の源泉 [ ] ガリレオ・ガリレイの1610年と1616年の土星の。 サトゥルヌスの図像的源泉については、によるの主祭壇背後の『 』( Giudizio Universale, 1536年-1541年)に描かれたの影響が指摘されている。 ルーベンスは1600年から1608年のイタリア時代に様々な古代彫刻や期の巨匠たちの作品を模写しており、その中にはシスティーナ礼拝堂のミケランジェロのモチーフ群もあった。 またより直接的な影響として、の原画をもとにが制作した『 キューピッドとプシュケの結婚式での神々の宴会』( The Feast of the Gods at the Marriage of Cupid and Psyche, 1587年)のサトゥルヌスの図像が指摘されている。 ここではサトゥルヌスは画面右端で、大鎌を持ち、雲に座って我が子を食らう姿が描かれている。 土星 [ ] 画面上部に描かれた土星はにが行ったのによる。 当時はまだ土星に環があることは知られておらず、ガリレオの用いた性能の低いでは土星を中心に3つの星が並んでいるように見えた。 ガリレオはによって見え方が変化する土星の環を困惑しながらも記録しており、ルーベンスはこうした当時のに関する最新の知見を取り入れて土星を描いている。 なお、ガリレオの発見したものが環の形状をしていると分かったのはルーベンスの死後から15年が経った1655年のの観測によってであり、土星の衛星が発見されたのもこれ以降のことである。 影響 [ ] ゴヤが1819年から1823年に描いた『わが子を食らうサトゥルヌス』。 プラド美術館所蔵。 本作品はスペインのが1819年から1823年に描いた『』に影響を与えた可能性が指摘されている。 ただし本作品がサトゥルヌスであることを明示するために大鎌を持たせているのに対して、ゴヤの作品ではアトリビュートは見当たらない。 また本作品では犠牲者が幼児として描かれているのに対し、ゴヤの作品では幼児には見えないなどの相違点が認められる。 ギャラリー [ ] 本作品以外にもルーベンスはトゥーレ・デ・ラ・パラーダのために以下のような作品を制作した。 このうち『ユピテルの雷を鍛えるウルカヌス』や『ガニュメデスの誘拐』といった作品は本作品とほぼ同じサイズのキャンバスに描かれている。 いずれもプラド美術館に所蔵されている。 ヘシオドス『神統記』453行-507行。 オウィディウス『祭暦』4巻197行-202行。 オウィディウス『祭暦』1巻233行-240行。 20(「わが子を食らうサトゥルヌス」の項)。 『プラド美術館展 スペインの誇り 巨匠たちの殿堂』p. 174(「ヒッポダメイアの略奪」の項)。 プラド美術館公式サイト. 2018年9月9日閲覧。 museo galileo. 2018年9月9日閲覧。 増田哲子「ゴヤの《わが子を食べるサトゥルヌス》における「食べること」のイメージ」。 参考文献 [ ]• 増田哲子、「」 『美学』 2011年 62巻 2号 p. 73-84, :• 『祭暦 叢書アレクサンドリア図書館』、(1994年)• 『』訳、岩波文庫(1984年) 外部リンク [ ]• 関連項目 [ ]•

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