あずき相場。 あずき相場っていうのはどういう意味なんでしょうか?中学生...

あずき相場っていうのはどういう意味なんでしょうか?中学生...

あずき相場

周囲に、まっとうな相場技術を教えてくれる人がいたの? 例えば、オレが書いた『脱アマ相場師列伝』に出てくる「安(やす)さん」だね。 隆昌産業に入る前に、セントラル証券の店先で知り合った人だ。 後場が始まる時間(当時は時)には、ランチあとの常連客がイスに並ぶように座って「後場も頼むよ〜」などと大きな声を出したり、隣の人に「社長、あんた何買ってんの?」などと話しかける様子を私は毎日眺めていた。 セントラル証券は木造2階建ての古い建物で、いろいろな人が来ていたなあ。 中にはきちんと勉強している人やプロの相場師もいて、その中の一人が安さんだった。 とにかく「売り」しかやらない人だったが、一対一で相場のことを教えてくれたよ。 たまに食事をするときは、だいたい郵船ビルのコーヒー屋で、お勘定はいつも安さんが払ってくれた。 株の面白さと同時に、相場の恐ろしさ、そして兜町という街で生きる術みたいなものを教わったね。 「株と闘ってはいけません」とか、大切なことをたくさん伝えてくれたから勉強になったよ。 売買のやり方を教えてくれることもあったが、どちらかというとオレの自主性を重んじ、「自分で決めることですよ」なんて感じで、細かいことは言わない人だった。 隆昌産業に入ってからも、相場の勉強をする環境に恵まれていた。 千葉県で代々、米穀商を営む家に生まれ、家業の一環として相場の世界にいたような人だった。 オレは隆昌産業に所属する歩合の外交員だったけど、周囲の人はごくふつうの社員、仲間のひとりとして接してくれたので、いろいろなつき合いがあったよ。 当時、運輸政務次官を務めていた山村新治郎がソウルに行き、犯人との交渉の末、人質の身代わりとなって犯人たちと北朝鮮に飛んだ。 その後、解放されて帰国した。 この英雄的な行動で有名になった。 昭和32年(1957年)に三菱商事や隆昌産業の小島社長などが組んで小豆を買い上げ、最後の最後で負けたんだ。 ニセの倉荷証券が発行され、納会の日に驚くような暴落をみせて一巻の終わり。 オレは、それを目の前で見ていたんだ。 そういえば、『赤いダイヤ』を書いた梶山季之さんに新宿のクラブで声をかけられたことがあったよ。 「小説で使っている相場用語をチェックしてほしい」という話で、オレは快く手伝ったんだ。 小説のまえがきにも、どこにも、オレの名前は載らなかったけどね(笑)。 そんないきさつもあったが、あの小説で気に入らないのは、実際には無関係だった児玉誉士夫が押田義男なんて名前で登場していることだ。 オレが目の当たりにした事実とは違うし、小説とはいえ、それが実際の話として認識されているあたりが釈然としない。 たっぷりとな(笑)。 だから最後の最後で、一文無しになった。 終戦から10数年たって世の中も落ち着き、仕事も順調。 だから周囲の人から、「こんどは嫁さんだな」なんて言われて・・・。 住んでいた高円寺の土地は借地だったのでそれを買い取り、ちょうど新しい家を建てていた時だよ。 翌年の昭和33年(1958年)に結婚したが、台所がないので、料理も洗濯も庭の井戸の脇だ。 今となっては思い出だがな。 反省はあったが、相場に必然の「勝ち負け」の「負け」という、意外とあっさりした感覚だったな。 だから、「また相場で取り返そう」という気持ちしかなかった。 親子だから、戦後にヤミ屋をやっていたことなどを断片的に聞いていた。 しかし、あらためて話してもらうと点と点がつながり、戦後の混乱とその中で前を向いて生きていた、エネルギーに満ちた姿が目に浮かんだ。 昔の実家は天井の一部がひどく安ものの板張りで、湿気で波を打ったり、めくれ上がったりしていた。 「カネがなくなったんだ」なんて説明を聞いた記憶はあったが、細かい経緯までは知らなかった。 狭い庭には井戸があり、鉄製の手押しポンプが備え付けられていた。 季節に関係なく一定の温度の水が出てくるので、夏場の水遊びは楽しかった。 手押しポンプの向かい側には電動ポンプがあり、地面の下で井戸とつながっていた。 私が物心ついたころは、さすがに台所があり、流しの蛇口をひねると、一般の水道と同じように井戸水が出て、庭の電動ポンプがウィーンと音を立てて連動した。 私が相場を始めてから教わったことは、こういった歴史の末にある完成形のようなものだろう。 だから、このインタビューで勉強の経緯を聞いてみたかったわけで、そこで父が学んだ先人たちの歴史も、のぞき見てみたいと思っていたのだ。 林投資研究所 代表取締役 1963年生まれ。 幼少のころより投資・相場の世界に慣れ親しみ、株式投資の実践で成果を上げながら、独自の投資哲学を築き上げた。 現在は、投資顧問会社「林投資研究所」の代表取締役。 中源線建玉法、FAI投資法を中心に、個人投資家へのアドバイスを行っている。 また、投資助言、投資家向けセミナー等を精力的に行うかたわら、投資情報番組「マーケット・スクランブル」のコメンテーターも務めている。 林投資研究所の創設者である故・林輝太郎は実父。 主な著書に『億を稼ぐトレーダーたち』『凄腕ディーラーの戦い方』『億トレIII~プロ投資家のアタマの中』『うねり取り株式投資法 基本と実践』(マイルストーンズ)、『入門の入門 中源線投資法』『ブレない投資手法 曲げない投資哲学』(林投資研究所)などがある。

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14年ぶりの小豆の高騰

あずき相場

北海道は、日本のなかで、小豆の生産量の約9割を担っています。 そういわれて、北海道は広いからなあとか、寒いから向いてるのかなあとなんとなく思っていましたが、具体的にどう向いているのでしょうか。 あずき博士の加藤淳先生にお教えいただきました。 火山性土壌だから 省エネ・環境調和型農業をすすめるヒントになる根粒菌のお話しをお聞きした記事「」でもご紹介したように、小豆の根っこにでは、根粒菌がたくさん働いています。 その根粒菌が働く土の条件は、空気がたくさん含まれている必要があるのだそうです。 北海道は、火山性土壌が多いため、小豆の栽培に向いているといえます。 というのも根粒菌が窒素固定の働きをするには、酸素を必要とします。 火山性土壌は、空気をたくさん含むため、根粒菌も働きやすくなるわけです。 ふかふかした火山性土壌の北海道は、小豆が育つ土壌環境として向いていると言えるのですね。 成熟期間が長く取れるから 北海道で小豆が育っているから、小豆は寒さに強い作物なのかと筆者は勝手におもっていました。 ところが、どっこい。 小豆は寒さに弱い作物なのだそうです。 日本では和菓子の材料である餡にする用途で小豆が消費されるため、和菓子向きの小豆の品種が残ってきました。 (参考 関連記事「小豆のルーツと、いま世界に広がる小豆、これからの小豆」)。 つまり粒が大きく、そして色が赤くてきれいなものが求められてきました。 北海道ではこの和菓子向きの小豆の生育に向いている気候と温度環境なのだそうです。 例えば小豆の一粒づつが大きくなるためには、花が咲いてから、実がなるまでの成熟期間が長い方がよく、北海道ではおよそ2か月の期間があるのだそうです。 もし、花が咲いた後に早く成熟し、1ヵ月もかからない期間で実が成ってしまったら、小豆の一粒づつが小さく、色が黒くなる傾向があるとのこと。 そして、寒すぎてはいけないのは、霜に当たってしまうと、小豆が全てダメになってしまうからだそうです。 なので、9月下旬に霜が降り始める北海道の小豆農家さんは、小豆の成熟期間と、収穫時期の天候との両方の面からとても気を遣うそうです。 今後の地球規模の気候変動にも対応する小豆に 今後、地球規模の気候変動が起こることが取り沙汰されています。 暑くなる方向の予測もあれば、氷河期が来る方向の予測も。 その時、日本のなかで主な小豆の産地である北海道はどうなっていくのですか、小豆の産地は変わってゆくのですか、と聞いてみました。 すると先生は気候変動の環境に合わせて、それでも北海道で育つとか、それぞれの地域でうまく育つ小豆を目指して、今後品種改良してゆくことで、小豆の産地を守っていきたい、そして広げていきたいとのお話しいただきました。 気候が変わっても、未来においておいしい小豆が食べられるというお話しに、小豆の産地の未来も明るく感じました。 お話しありがとうございました。 農学博士。 北海道帯広生れ。 帯広畜産大学大学院修士課程修了。 北海道立中央農業試験場、北海道立十勝農業試験場、オーストラリア・クイーンズランド大学で豆類の品質・加工適性などを研究。 「あずき博士」として、講演活動や小豆をはじめとした豆の普及に幅広く取り組んでいるほか、世界でも小豆の第一人者として国際雑穀会議などにて研究発表活動も精力的に行う。 主な著書に、『「あずき」のチカラはこんなにすごい!』(ロングセラーズ)、『小豆の力』(キクロス出版)など。 監修に『あずき水ダイエット』(宝島社)など。

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14年ぶりの小豆の高騰 例年という言葉を使うこと自体、この業界で不確かな言葉になってきている天候に左右され続けている小豆業界。 北海道産や十勝というブランドを流通で誰しもがうたいたくなる業界の中で、10月末から怪しい雲行きが見え始め、11月にホクレンからの相場に激震が走った。 北海道産の小豆に関して、全体の半分をホクレンが取り扱い、それ以外は単協さんや、小豆の選別会社さんや、豆問屋さん、ブローカー的な存在の方々が取り扱いをしている。 もちろん取り扱い高からみても、悪い言い方をすれば、北海道産小豆相場はホクレンさんが牛耳っている世界。 そんなホクレンさんから11月の新物の相場が発表されたが、とんでもない価格が発表された。 今年の収穫高 帯広や豊頃あたりの反収は例年通りで非常に良かったのですが、今年は旭川が全滅。 帯広の反収が5俵ぐらいなのに比べて、旭川は1俵。 ほとんど全滅という状態。 年間80万俵使用すると言われている北海道の小豆。 今年の出来高は、50万俵。 通年ならば、新物が無ければ、ひねに移行して使用したりするのですが、二年前の北海道直撃の台風の水害などにより、ストックされているはずのひねもほとんどない状態。 がしかしそれでも買えない状況。 高騰すると必ず販売する小豆が無くなる。 もっと高くなるだろうと言う予測をしている小豆を持ってる方々が販売するのを辞めてしまうから。 至って単純なことなんですがね。 そうなると何が起きるのか、輸入の小豆の相場が高騰する。 国産が購入出来ないなら、輸入にと人の流れがどっと押し寄せるからなんです。 小豆にも沢山品種がある。 北海道産小豆と一言で言うけれど、ボクが知るだけでも6品種あり、その中でも、スーパープレミアムの品種と言われる、しゅまり小豆、プレミアムと言われるエリモ小豆の二種類をボク達の会社では使用している。 また、産地にもプレミアムがあり、エリモ小豆に関しては、十勝産とそうではない場所で取れた小豆には、1俵1000円~1500円以上の価格の違いがある。 ボク達の会社が使用しているのは十勝産です。 簡単に言うと、希少価値が高い産地と品種の小豆を使用している。 こうなった年は完全にお手上げ状態になる。 以前は、契約栽培をしたり、小豆先物相場をやって、仕入価格の平均化を取っていたのですが、先物相場の特徴として、東京証券取引所は小豆という部類になり、「現物は、北海道産でも、中国産でもどちらでも構わない」と言うルールがあり、現物を中国産で支給され、痛い思いをしたことがある。 また、東京証券取引所の先物小豆の二等小豆は、ボク達が普段使用している二等小豆と異なり小粒が支給される。 「小豆の等級」に関して大きな開きがある。 また、海外の小豆は、北海道産の小豆の価格につられて、北海道産生まれの北米育ちやカナダ育ちという種はエリモ種の種を用いて、海外で育った小豆もある。 この仕組みが小豆相場で御殿が建つと言う言われる由縁である。 輸入枠と言う特権 小豆、インゲン豆、豆と言われる物を海外から仕入れが出来る特権を昔から小豆の販売をしている豆問屋さん達は国からもらえる事が出来ていた。 この輸入枠と言うのは、ボク達餡子屋が海外から欲しい小豆やインゲン豆を個人で海外から直接購入をしようとすると、関税がかかり、その税率が恐ろしく高い。 輸入枠を持っている商社さんや問屋さんが海外から仕入れる関税率と違うのだ。 これでは直接海外から輸入するメリットが無くなる。 昔は、輸入枠を持っているだけで、年間数十億円の利益を出すことが出来た業界であり、今でもその流れを持ち、輸入豆に関して、また、輸入砂糖に関しては不思議なベールに包まれている世界である。 TPPがスタートして関税撤廃や関税率引き下げのスタートがしたら、輸入枠のメリットも変化していくことが期待されている。 連作障害 小豆は品種別で5年から8年に一度のみしか同じ圃場の同じ場所でつくることが出来ない。 連作障害が起きてしまうからなんですが、2年後に農家さんにお願いをして一度やってもらったことがありますが、非常に背丈が低くなってしまい、機械も入らず味も美味しくない小豆になりました。 小豆も、これからのテクノロジーで同じ場所で毎年同じ農作物が出来るようになったなら相場市場も変わり、つくってる農家さん自体もよりよくなっていくのかなと思う。

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