シド ナンシー。 シド・ヴィシャスの南京錠。ナンシーとの絆(画像)

「事件の真相が明らかになる過程がとてもスリリング」 ―『フー・キルド・ナンシー』クロスレビュー|シド・ヴィシャスの死から30年。ロック史に刻まれた、衝撃的事件の真相とは!? シド研究の第一人者、アラン・パー...

シド ナンシー

監督2作目にセックス・ピストルズを題材に映画を撮ろうと取材を進めるうちに、メンバーのひとり、ベーシストのシド・ヴィシャスとその恋人、ナンシー・スパンゲンの二人にどうしようもなく魅かれてしまった。 それを語ろうとする時、パンクとピストルズは絶対に避けては通れない。 その地図はロンドン、そしてニューヨークだ。 1970年代半ば。 ロックの商業化やビッグネームのアメリカ逃れ、深刻化する経済不況や失業問題、搾取が蔓延る社会体制への不満などが絡み合いながら、ニューヨークで生まれたパンク・ロックは大西洋を隔てたロンドンで爆発した。 ファッション・デザイナーでありブティック経営者のマルコム・マクラーレンという30歳過ぎの野心家は、自分の店「SEX」にたむろする少年たちにバンドを結成させる。 それがセックス・ピストルズだった。 マルコムがシナリオを描き、4人のメンバーが演じるプロジェクトのようなもの。 インパクトのあるファッションや髪型、ロックの衝動を蘇らせたラフな演奏と反体制溢れる歌詞、レコード会社との相次ぐトラブル、各地のライヴ会場での締め出しの連続、TV番組での過激な発言やパフォーマンスは、フラストレーションが溜まった全英の若者たちからすぐさま熱い支持を得ることに成功。 「今時、アホなラブソングなんて歌ってられるかよ」と言い放ったピストルズの登場によって、イギリス中に次々とパンク・バンドが生まれ、無数のパンクスたちもストリートを歩くようになった。 1976〜77年はパンクがすべてになったのだ。 さらに1977年6月、全英チャートでピストルズの「God Save the Queen」がナンバー1に到達。 10月には唯一のアルバム『Never Mind the Bollocks』をリリース。 マルコム劇場は頂点を迎える。 しかし翌年1月、アメリカでのツアー中にジョニー・ロットンが突如として脱退。 ピストルズはあっけなく失速していく。 その後は残されたメンバー3名 スティーヴ・ジョーンズ、ポール・クック、シド・ヴィシャス で活動は継続されるが、パンク・ロックの牽引的存在としての役割は事実上終えていた。 そんな矢先の1979年2月2日。 4ヶ月前に世を去った恋人ナンシー・スパンゲンの後を追うように、シド・ヴィシャス死す。 まだ21歳の若さだった。 ピストルズの二代目ベーシストとして加入後、そのカリスマ性で「シドこそリアル・パンクス」という評価がある反面、「あいつはミュージシャンじゃない」「ただのジャンキー。 どうしようもない奴」との声もある。 シドの人間的なもろさに魅かれるものを感じたんだ。 何しろこれまで僕の人生に大きな影響を与えたのは、イギリスでのパンク・ムーヴメントだからね。 ピストルズに関して言えば、一番興味深いのはバンドそのもののサクセス・ストーリーじゃなくて、シドとそのガールフレンド、ナンシーの話だ。 僕は二人のラブ・ストーリーが撮りたかった。 ジョニー・ロットンから誘われてピストルズの新メンバーになったシドは、ある日ナンシーと出逢う。 虚言癖があり、ジャンキーで約束も守らない彼女とパンクな日々を送るシドは、まだ運命の関係となることに気づいていない。 次第にドラッグに深く溺れてバンド活動もまともにできなくなっていくシド。 ジョニーはナンシーに悪因があることを見抜くが、強気なナンシーはシドと別れない。 アメリカツアーでバンドが分裂すると、二人はパリを旅行して「My Way」を撮影後、ニューヨークで暮らし始める。 常宿となったのはチェルシー・ホテル。 一歩も外に出ずにベッドでドラッグをやり続けるか、金に困るとギグをするか、その繰り返しだけで時が過ぎていく。 どうしようもなく面倒で幼い二人はナンシーの家族からも煙たがられ、心の居場所を永遠に失う。 そして金もドラッグも尽きようとした時、悲劇は起こる。 「俺はイギリスに帰ってまともになるんだ」 「できっこないわよ! いつも同じことばっかり!! 」 「うるせえ! 」 翌朝。 シドが目覚めると、ベッドは血の海で、バスルームでは血まみれのナンシーが倒れていた。 20歳だった。 シドがナンシーを殺したのか? シドは容疑者となり、警察に拘束される。 解放されて行くあてのないシドは、ニューヨークの片隅でナンシーの幻を見て微笑む。 二人を乗せたタクシーはゆっくりと走り去っていく……。 ロマンチックなクライマックスやナンシー殺害説に賛否両論はあったものの、ラブ・ストーリーとしての映画『シド・アンド・ナンシー』はヒット。 破滅的すぎる展開が続く中、裏通りの掃き溜めでキスを交わすシーンは唯一、時が止まったようで美しい。 アレックス・コックスはこれを機に有名監督の仲間入りを果たす。 シドを演じたゲイリー・オールドマンは本作がデビューとなり、名優街道を突き進んでいく。 脇役でコートニー・ラブが出演しているのも話題で、彼女は奇しくも1994年にカート・コバーンの悲劇と遭遇することになった。 サウンドトラックにもパンク・スピリットが貫かれ、特に印象的なのはポーグスの曲のほか、エンディングロールでジョー・ストラマーが映画の主題歌とでも言うべき「Love Kills」を歌っている。 予告編.

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シド・アンド・ナンシー

シド ナンシー

映画『シド・アンド・ナンシー』を紹介したので実際の二人のいきさつを載せます 1977年、ジョニー・ロットンの学生時代からの親友であるシド・ウ゛ィシャス(本名:ジョン・サイ モン・リッチー)はジョニーの誘いでベーシストとしてピストルズに加入した。 加入当時のシドは 全くベースが弾けなかったが、ルックスや雰囲気が良かったのでジョニーは加入をさせたよう だ。 その直後、シドは ナンシー・スパンゲンに出会った。 意外に気弱なシドと勝ち気で行動的な ナンシーは相性が合い恋に落ちる。 恋に落ちるだけなら良かったのだがナンシーはもともと、 ニューヨークパンクの取り巻きだった事もありロンドンパンクシーンに ヘロインまで持ち込んで しまった。 必然的にシドもヘロインをやりだしてしまう。 ジョニーは「ナンシーが現れてからシドは 別人のようになってしまった」と言っている。 いつも自虐的で常に自分の体を傷つけていたシド の行動と奇抜なファッションはパンクのイメージを完璧に表現していて、これがシドの パンクの シンボルと言われる由縁でもある。 ピストルズはアメリカツアー中に ジョニーの脱退により解散 したが、シドとナンシーは離れる事はなかった。 そしてますますドラッグにはまっていき、そんな 中で事件が起きてしまう・・・・・・・・。 (あのチェルシーホテル殺人事件だ) 1978年10月12日シドは目覚めるとナンシー・スパンゲンがホテルのバスルームで倒れてい るのを見つけた。 死因は刺傷によるもの。 彼は薬でどこで何をしていたか覚えていなかった が、警察は真っ先にシドを逮捕した、実際のところシドが本当に殺したかどうかはわかってい ない・・・・・。 シド・ヴィシャスは発見当時、血だらけで座り込んでいた。 シドはナンシーの死に耐え切れず 「俺も殺してくれ」と刑事に頼んだらしい。 とりあえずレコード 会社が保釈金を出して出所したが、カミソリで体中を刻んで自殺を図ってしまう。 結局は未遂 で終わったがナンシーへの純粋な思いがこの行動をとらせたんだと思われる。 そして、1979年2月2日夜、薬の過剰摂取により死亡。 享年21才。 シドは、手書きの遺書を残していた。 「ぼくらはいっしょに死ぬ約束をした。 その約束を果たさなければ。 彼女といっしょに埋めてほし い。 革ジャンにジーンズ、モーターサイクル・ブーツをはかせて。 さよなら。 」と・・・。 だが、ナンシーの家族は、その望みには応じず、お墓の場所も教えなかった。 しかし、シドの 母はひそかに探り出し、シドの遺骨と灰をたずさえて、フィラデルフィアのお墓を訪れた。 そして、それをナンシーのお墓へ振りかけたのだった。

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パンクロック史上最大の謎が遂に明らかに!シド・アンド・ナンシー真実のドキュメンタリー『フー・キルド・ナンシー』レビュアー募集|公開直前、一回限りの試写会をwebDICE企画で開催!シドの死から30年、ナンシー刺殺事件の真相とは…

シド ナンシー

パンクのアイコン的存在として現代の若者やカルチャーにも影響を与え続けているシド・ヴィシャス。 1979年2月2日、彼は麻薬の過剰摂取によってこの世を去った。 享年21。 彼のデビューパフォーマンスとなったセックスピストルズのギグを撮影していたことでも知られる映画監督ドン・レッツは、彼のことをこう回想している。 「シドはいつもトラブルに巻き込まれてた。 マヌケだったからな。 愛されるバカだったよ…。 」 ドン・レッツは、彼の人生が狂ったのはピストルズが名声を手に入れたのが原因だったと続ける。 「あのまやかしを本物だって信じ始める奴らが現れたのが問題だった。 シドはその第1人者だ。 そういうのって人を追い詰めるもんだろ?」 1978年10月13日、ニューヨークにあるチェルシーホテルのバスルームで(シドの恋人として有名だった)ナンシー・スパンゲンが刺殺された亡骸で発見される。 凶器となったのはナイフ(シドの所有物)だったという。 しかし、そのナイフは指紋が拭きとられている状態で、シドの手元に入ったばかりの「MY WAY」の印税2万ドルが全て無くなっていた。 彼はナンシー殺害とされている時刻には、ツイナール(睡眠薬)の過剰摂取によって昏睡状態だったため、後日医師による調べの中で服用した量から推測すると少なくとも5時間は意識のない状態だったことがわかっている。 その間、彼らの部屋には複数人が出入りしたことも確認されており、彼が昏睡している状態だったことが証言されている。 ナンシー殺害についてはこんな有力な説もある。 当時ナンシーにドラッグを売っていた男が、前日に1杯の酒代をせびるほど金に困っていた様子だったにも関わらず、彼女が殺害された翌日には新品のブーツとレザーパンツ姿でバーに現れて、血のついたシャツを見せびらかしていたという話がある。 その他にも二人が自殺を図って、昏睡したシドを死んだと思ったナンシーが自殺したという説もあるのだが…その説だと、指紋が拭きとられて置いてあったナイフと、消えた2万ドルの謎とは結びつかない。 この時期二人は互いを殴り罵るという激しい喧嘩を繰り返していたという。 また、ナンシーは腎臓を病んでいたため、その激痛から逃れる為にハードドラッグにすがっていたという。 ナンシーの死の真相は謎のままだったが…物的証拠として凶器がシドの所有物であったことから彼は殺人容疑で逮捕され薬物リハビリ棟に送られることとなる。 だが、後日にはレコード会社(ヴァージン)が多額の保釈金を支払って保釈される。 その後も自殺未遂を起こすなどシドは精神的にも非常に不安定で、同年の12月にも傷害事件を起こし勾留されている。 そして翌1979年2月2日、ベッドの上に倒れていた彼を母親が発見。 ベッドわきのサイドテーブルには前夜に高純度のヘロインを使用していた形跡が残されていた。 皮肉なことに、その高純度のヘロインは、シドに哀願された母親が前日に渡したものだった。 逮捕後、約2ヶ月の勾留生活である程度浄化されていた彼の体は純度の高いドラッグを受け付けず、オーバードーズにより死亡したのだ。 死後、彼の革ジャンのポケットの中から直筆の遺書らしいメモが発見される。 一緒に死ぬ約束をしてたんだ。 こっちも約束を守らなきゃいけない。 今からいけば、まだ彼女に追いつけるかも知れない。 お願いだ。 死んだらあいつの隣に埋めてくれ。 レザージャケットとバイクブーツを死装束にして…さようなら。 』 彼の母親は息子の遺言に従ってナンシーの遺族にそのことを申し入れたが…強く反対され断念する。 後日、人知れず彼の墓を掘り起こした母親は、その遺灰をナンシーの墓に撒いたという。 その墓標は、ペンシルベニアにあるキング・ダビデ・セメトリーの外れにひっそりと立っている…。 〝逢いたい人〟に自由に会えない今。 〝大切な人〟を想いながら過ごす日々。 この歌が、たくさんの人の心に届きますように… 2020年4月22日リリース!!! 「どんなに離れていても 何度生まれ変わっても 僕らは巡り逢う」 唄うたい佐々木モトアキの新曲「You」、山善の秀作「一本の赤い薔薇」のカヴァーを含む珠玉の作品集。 遠く離れて暮らす大切な人、男の友情、忘れられない場面、誰かの溜め息、出逢えた奇蹟、長く曲がりくねった道、喜びと悲しみ…どうしようもないこと。 7篇の歌物語に心を重ねて、あなたの大切な人(You)の名前を呼んでみてください。

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