纏足 目的。 纏足という文化は、どうして日本に取り入れられなかったので...

恐怖!世界の恐ろしい風習5選!

纏足 目的

前回、纏足(てんそく)という制度についてまとめてみたのですが、そもそもこの疑問の出発点が「纏足って動けるの?闘えるの?」というアホみたいな疑問からなので…で、今回はそれに対するアンサーです。 資料写真。 前回、纏足(てんそく)という制度についてまとめてみたのですが、そもそもこの疑問の出発点が「纏足って動けるの?闘えるの?」というアホみたいな疑問からなので…で、今回はそれに対するアンサーです。 そもそも私自身、史学科で東洋史を専攻していたとはいえ、卒論テーマは唐代の東西文化交流。 つまり、専門としていた時代は纏足前時代なため、はっきり言って纏足素人です。 纏足に対するイメージは、「歩けない」「痛い」「残酷」「フェチ」などといったステレオタイプなものしかありませんでした。 しかし、あるドキュメンタリー番組を見たことがきっかけでその考えは変わりました。 それは、現代に生きる纏足の女性を描いたものでした。 そのドキュメンタリー番組を見たのは10年以上前。 多分ヒストリーチャンネルかディスカバリーチャンネルで放映されたものだったはずなのですが、調べても見つからなくて…。 なので、あやふやな記憶を頼りに書きますが、この番組では何人かの纏足をした女性たちを紹介していました。 そして彼女たちは文化大革命の時、「反革命分子」として強制労働をさせられていました(前回も書きましたが、文化大革命では纏足は「反革命的行為」と見なされていました)。 彼女たちは、インタビューの中で「纏足は歩けないと思われているけれど、それは違う。 ちゃんと歩けるし、労働だってできた」というようなことを言っていたように記憶しています。 事実、映像では彼女たちの足取りは軽く、踊りを踊っているシーンもありました。 それは「纏足とは歩けないもの」という固定概念をひっくり返すものだったのですが…何分、番組自体がうろ覚えなため、詳細がどうだったか確認しようがありません。 ただ、「纏足って、実は歩ける」ということを知った番組であったことは確かです。 歩けるのに歩けない、これはどういうことなのでしょうか? そこで、まず「歩く」ときの動きを考えてみました。 踏み出した足は、まず踵(かかと)で着地します。 そして、足にかかる重心は踵から足の外側を伝って小指の付け根部分へ、そして親指まで移動します。 そこで足を蹴り上げて1歩を踏み出します。 で、纏足はこの動きができるのでしょうか。 纏足のやり方は前回書いてあるので、そちらを見ていただくとして(もう1度アレを書くと私の心が折れます…)、まず踵部分は纏足処置されていません。 つまり、着地部分は保全されているというわけです。 次に、つま先への重心の移動ですが、外側部分は指が折り曲がってくっついているので、重心移動は内側のルートを取ることになります。 しかしルートが変わるだけで、踵側からつま先への重心移動は充分できます。 自分でも試してみたのですが、若干内股(うちまた)になるぐらいで問題なく歩けました。 そして、蹴り出し。 纏足では親指だけは曲げられていません。 つまり、蹴り出す力も残っています。 つまり、纏足をされていても、歩行する機能は失われていないのです。 ところで「ハイヒール」は現代の纏足とも言われています。 しかしこのハイヒールと纏足を比較すると、むしろハイヒールの方が「歩きにくい」のです。 何故かというと、まず、ハイヒールは、踵の着地部分が面ではなく点=ヒールの太さになります。 ハイヒールはバランスが取りにくいというのは、要するにピンポイントで体重を支えなくてはいけないからです。 それから、ハイヒールはつま先と踵の2点で体を支えているため、スムーズな重心移動ができません。 つま先と踵がほぼ同時に着地し、重心を移動することなく蹴り出すことになります。 このようにハイヒールはバランスが取りにくく、従来の歩き方(重心移動)ができないために歩きにくい靴なのです。 さらにハイヒールと比較するために纏足用の靴についても見てみます。 一般的な纏足靴にもヒールはありますが、高さはローもしくはミドルぐらい。 低めのヒールです。 また太さもあるので、踵の安定感は失われてはいません(余談ですが、ハイヒールでもチャンキーといった太めのヒールや、底がフラットになるウェッジソールの方がバランスを取りやすくなります)。 実は、靴底がフラットなものよりも少しヒールがあった方が、筋肉の伸縮を助けてくれるので歩きやすくなります。 ちなみに歩きやすいヒールの高さは3センチぐらい。 ちなみにウォーキングシューズも、それくらいの高さで作られています。 と、比較してみればみるほど「纏足って本当は歩けたのではないか?」と考えるしかないのです。 しかし纏足をした女性の多くはヨロヨロと歩いていました。 どうしてでしょう。 でもよく考えたら簡単なことでした。 纏足の女性は、歩くために必要な筋肉が衰えていたのです。 纏足を始める年齢はだいたい5歳前後。 ちょうど運動機能が発達する年代です。 この時期を、激痛が伴う纏足によって歩けない状態で過ごします。 歩行に必要な筋肉や機能が発達しないまま成長するのです。 そして纏足の痛みが治まってきても、纏足の女性は歩く必要のない生活を送ります。 だから、文化大革命時のように、必要に迫られれば歩けるわけです。 動けば動くほど筋肉は鍛えられますから。 しかし必要に迫られたら…ということなので、纏足をした女性たちの多くは自らのライフスタイルを変えることなく、ヨロヨロ歩く状態で一生を終えていたはずです。 なのでよく言われる「纏足にすると特有の筋肉が鍛えられ、男性を喜ばせる」というのは都市伝説ですね。 だって、鍛えるほど歩いてませんから。 というか、纏足にまつわるセクシャルな話は全部都市伝説で一刀両断したいのですが、世の中には「は?」と思いたくなるフェチがいるのもまた事実なので…。 そんな、歩かないライフスタイルを貫くのが本来の纏足女子なわけですが、全てが全て、そういう人生を送っていたのでしょうか? 纏足が一般的になった明・清代といえば、民衆反乱が相次いだ時代です。 そして、多くの女性たちがその反乱に参加し、さらに首領として活躍した女性もいました。 この闘っていた女性たちの中に、果たして纏足はいたのでしょうか。 例えば、白蓮教徒の乱。 白蓮教は弥勒(みろく)信仰や明教(マニ教)などをベースにした民間信仰で、明を建国した朱元璋(しゅげんしょう)が属していた紅巾軍も、この白蓮教から発生しています。 明清代の白蓮教は、弥勒から発展した「無生老母」という女神を最高神として、主に農民の間に広がっていました。 この白蓮教は強い終末思想を持ち、「無生老母」から使わされた救済者によって救われると信じ、幾度も「救済者」とともに武装蜂起を起こしました。 白蓮教については、熱く語りそうなので、今回はこんな程度で(ソグド人について勉強していた私にとって、彼らが信仰していた三夷教「けん教・明教・景教」に対する愛はハンパないのです)。 この白蓮教徒の反乱には、多くの女性首領が関わっていました。 明代の永楽(えいらく)年間に起こった武装蜂起(1420年)は、唐賽児(とうさいじ・別名唐三姐)と呼ばれる女性が率いていました。 また、白蓮教最大の反乱になった嘉慶(かけい)年間の反乱(1796〜1805年)では教主斉林(さいりん)の死後、その妻・王総児(おうそうじ)が反乱軍を率いて闘いました。 さらに白蓮教以外にも女性首領はいました。 山東省にあった清水教(せいすいきょう)は、乾隆39年(1774年)に武装蜂起を起こしたのですが、教主王倫(おうりん)を義父と慕う烏三娘(うさんじょう)という女性が、女性軍を率いて闘ったという記録があります。 京劇の演目にもなっている沈雲英(ちんうんえい)です。 沈雲英は明代・崇禎年間の漢族の女性です。 彼女は名家生まれのお嬢様ながら、学問や武芸を好み、智略にも弓馬にも優れていたと伝えられています。 浙江省杭州の出身ですが、武官だった父が湖南道県へ赴任する際、いっしょに任地へ赴きます。 そして崇禎11年(1638年)、任地で瑶(ヤオ)族の反乱が起こり、父は戦死してしまいます。 そこで雲英は十数名の兵士を率いて闘い、30人以上の敵を倒して、見事、父の遺骸を取り戻します。 謀反が平定された後、雲英は「遊撃将軍」に任命され、父の旧領を引き継ぐことになります。 この時、雲英はまだ16歳だったとそうです。 雲英は翌々年、都司(下級士官の1種)賈万策(かまんさく)の後妻となりますが、夫も間もなく戦死します。 夫を亡くした雲英は故郷に戻り、私塾を開いて生計を立て、生涯を終えたといいます。 雲英の容姿は色黒で身長は7尺も(1尺約33センチとするとなんと2メートル越え!)あったといいます。 まさしく明代のハンサムウーマン。 思わず姐さんついて行きますと言いたくなるような女丈夫です。 で、これらの女性たちは纏足をしていたかどうかといいますと、「していない」可能性の方が高くなります。 例えば王総児はもと旅芸人、烏三娘は貧農出身だったので、まず纏足はありえません。 ただ、清代には女性の2人に1人は纏足であり、農村部にも纏足が広まっていたこと(詳細は前回参照)、これらに民衆反乱に参加した女性たちの中には未亡人も少なくなかったことから、纏足を施された女性でも、立ち上がって闘った人たちはいた可能性は高いはずです。 中でも纏足を確認できる可能性が一番高いのが、義和団です。 義和団は、1900年に「義和団の乱」を起こし、「扶清滅洋」をスローガンに欧米列強へ宣戦布告をしたことで知られています。 そしてこの義和団には、少女たちで構成された「紅燈照(こうとうしょう)」、紅燈照より年長のお姉様たちによる「藍燈照(らんとうしょう)」、未亡人たちによる「黒燈照(こくとうしょう)」、妓女たちによる「花燈照(かとうしょう)」という、女性だけの組織がありました。 中でも有名なのが少女たちによる「紅燈照」。 ちなみに、赤い扇は武器として使います(中国武術では扇は立派な武器の1つです。 一度、鉄扇の演武を見たことがあるのですが、凄い迫力でした)。 彼女たちは、武術だけなく、方術も使えたとされ、孔明よろしく「風向きを変える」どころか、「空を飛んでロンドンやモスクワに火を放った」「西洋人の射撃を避け、空を飛んで去って行った」などという、数々の伝説を残しています。 まあ、実際にこんなことできてたら、中国の近現代史は変わっていたでしょうねぇ…。 この林黒児には、彼女とその仲間と言われる写真が残っています。 写真には、正装した林黒児を中心に、10数名の女性が写っています。 林黒児自身の足元は写っていませんが、彼女の左右にいる女性たちは尖った足先をしています。 つまり纏足の特徴をした足なのです。 多くの女性たちが家の中に引きこもっている中で、外に出て闘う女性たちもいたはずなのです。 纏足はもう、潰えた風習であり、今後、二度と復活することはないでしょう。 なぜなら、もうすでに「シンデレラ術」という、足を小さくする整形手術が確立されており、欧米で実施されているからです…(日本で導入しているクリニックはまだ無いはずですが)。 纏足はなくなっても、小足への憧憬は消えず、美醜に関するマウンティングも消えていません。 それは、中国人だけでなく、人類全てに当てはまることではないでしょうか。 結局のところ、心の纏足をなくすことは難しいのかもしれませんね。 と、自戒をこめて締めくくります。 立正大学文学部史学科卒(東洋史専攻)。 ライターとしての活動は2006年から。 平行してカルチャースクールスタッフや広告代理店で広告営業なども経験。 2017年よりライターのみの活動に絞る。

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日本には宦官はいなかった?

纏足 目的

私は中学生のときに、国語の先生に中国の女性がしていた纏足のことを教えていただきました。 纏足の目的としては、足が綺麗に見える。 などがありましたが、実際の目的は不幸にも親に売られた娘が、その纏足のせいで歩くことさえ不自由になり、遊郭から逃げることができないためであり、裏を返せば纏足の娘でないと、遊郭に(高く)売れない。 と言うことでした。 今回その纏足の目的の真偽は、別に気になってはいないのですが、盲妹(マンメイ)という、女性(娼婦)がいたことに興味を持ちました。 盲妹(マンメイ)とは女性の両目をつぶし、何も見えなくして娼婦として働かす。 という事なのですが、そんな残酷なことが本当に中国であったのでしょうか? 私は一種の都市伝説のような気がしてなりません。 どなたか真偽のほう、知ってらっしゃるかたがいれば幸いです。 質問とは関係ありませんが、参考までに。 ある地域の風習とか、社会的に続けられた行為について、残酷とか悪と判定するには、その当時の社会習慣や考え方を熟知した上で行なうことが不可欠と考えています。 30年前、インドを訪れた時、「目の見えない乞食」や「歩けない乞食」を時々見かけました。 カースト制が残っていたインドでは、普通「乞食の子は乞食」にしかなれないため、『乞食として収入が少しでも多くなるように』、小さくて記憶が残らない頃に、わざわざ子供の目をつぶしたり、足を折って歩けなくすることを、親の乞食が行なった結果なのだそうです。 子供をわざと不具にする行為には全く賛成できませんが、閉鎖社会の慣習の中で行なった親の行為に対して、現在の日本人の価値観からだけで評価することは物事の本質を失う気がします。 纏足については遊郭だけでなく「いいところに嫁入り」するためにも必要なものだったといいます。 盲妹については 坂口安吾 「日本文化私観」の二 俗悪に就て(人間は人間を)の項に 「広東(カントン)に盲妹(もうまい)という芸者があるということだが、盲妹というのは、顔立の綺麗な女子を小さいうちに盲にして特別の教養、踊りや音楽などを仕込むのだそうである。 支那人のやることは、あくどいが、徹底している。 どうせ愛玩用として人工的につくりあげるつもりなら、これもよかろう。 盲にするとは凝(こ)った話だ。 ちと、あくどいが、不思議な色気が、考えてみても、感じられる。 舞妓は甚だ人工的な加工品に見えながら、人工の妙味がないのである。 娘にして娘の羞恥がない以上、自然の妙味もないのである。 」初出1942(昭和17) また宮本百合子の「書簡箋」にも 「支那古来の聖人たちは、いつも強権富貴なる野蛮と、無智窮乏の野蛮との間に立って彼等の叫びをあげてきた。 「男女七歳にして席を同じゅうせず」しかし、その社会の一方に全く性欲のために人造された「盲妹」たちが存在した。 娘に目があいてるからこそ客のえりごのみもする。 見る瞳さえつぶせば、と盲目にして娼婦の営みをさせた。 孔子の言葉は現実をどこまで改善しただろう。 粤東(エットウ)(広東)盲妓という題の詩が幾篇もあって(支那女流詩講)、なかに、 亭々倩影照平湖 玉骨泳肌映繍繻 斜倚竹欄頻問訊 月明曾上碧山無 魯迅の傷心の深さ、憤りの底は、云わばこういうところまでさぐり入って共感されなければならないものなのだろう。 」1953(昭和28) どちらの文も最近ネットが普及する遥か以前に公になっているものでありますね。 目をつぶすことのメリット?の一つは見えないことによって気が散ることが無くなり、集中することによって芸事が上達しやすく、高級な娼婦として売り出すことが出来たからという説もあります。 都市伝説とはいいきれないものがあるように思います。 A ベストアンサー 劉達臨著『中国性愛文化』には、「纏足」は南唐の李煜(りいく)が宮中の舞姫であった窅娘(ようじょう)を金蓮台で舞わせたときに足を布で巻いて三日月状にしたのが始まりとされています。 infoweb. htm 殷の紂王の妃の妲己が妖怪で、足だけが人でないのを隠すために布で足を包んでいて、これを宮中の婦人が真似たという説がありますがこれは伝説のようです。 中国では唐代から足の小さい方が美しいとされ、宋代に入って芸妓が始めたものが広まったというところでしょうか。 『金瓶梅』などでは纏足の「足」がセックスに用いられる様子があります。 ヨチヨチ歩くので性器がしまって男性が喜ぶためというのも一説です。 小さな足では歩くのもままならず、働くことも出来ないので裕福な暮らしをしているという証しでもあります。 纏足の施術によって足が腐り、命を落とすこともありましたし、火事のときなども逃げおくれたりした事もあったでしょう。 纏足などなくなってよかったなあと思いますね。 infoweb. htm 劉達臨著『中国性愛文化』には、「纏足」は南唐の李煜(りいく)が宮中の舞姫であった窅娘(ようじょう)を金蓮台で舞わせたときに足を布で巻いて三日月状にしたのが始まりとされています。 infoweb. htm 殷の紂王の妃の妲己が妖怪で、足だけが人でないのを隠すために布で足を包んでいて、これを宮中の婦人が真似たという説がありますがこれは伝説のようです。 中国では唐代から足の小さい方が美しいとされ、宋代に入って芸妓が始めたものが広まったというところで... A ベストアンサー こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 >>江戸当時はHIVはなかったようですが HIVが発見されたのは、1983年(昭和58年)にパスツール研究所で初めての報告がなされました。 江戸時代は、「梅毒」が主流で、その他にも「淋病」や「麻疹」(はしか)などの感染症が主でした。 麻疹?と言われるかも知れませんが、 子どもの頃の麻疹は、「三日麻疹」(みっかばしか)と呼ばれ、治りも早く「抗体」ができるので、それほど恐ろしい病気ではありません。 ところが、幼少の頃「麻疹」にかかったことのない大人が罹ると、別名「命定め」と呼ばれ、3~4日発熱が続き、吹き出物が全身に発症します。 一旦、熱は下がるのですが、5~6日後からは、熱が再び上昇し、「咳」や「くしゃみ」なども出て、風邪に似た症状ですが、最悪の場合は「死」にいたることもありました。 >>避妊具もなかったと思います。 コンドームの歴史を見ていくと、日本でゴム製のコンドームが出回るのは1909年(明治42年)とのことです。 世界の歴史をみてみると、1671年に、チャールズ二世が牛の腸膜を利用して、精子の侵入を防いだ記録が残っています。 >>遊女が懐妊などざらにあるような気がするのですが、堕ろしまくってたのでしょうか? <洗浄法> 避妊の基本は、やはり洗浄でした。 遊女用の浴室や便所には、必ず洗浄用の場所がありました。 <薬> 「朔日丸」(ついたちがん)というものが爆発的に売れました。 これは一般にも服用されていた薬で、毎月朔日(ついたち)に服用すれば妊娠しないというものでした。 長屋の総後架(共同便所)などに広告が貼られている絵が残っています。 <お灸> 二月二日、臍下に灸をすえると妊娠しないという言い伝えがあり、廓ではこの日こぞって灸をすえました。 <道具> 甲形(かぶとがた)という男性が使用する、現代のコンドームに近いもので、薄い油紙で男性の性器形をしたものと、詰め紙という女性が使用する、現代のペッサリーに近いものがありました。 甲形は「笑い道具」、つまり現代の大人のおもちゃとしての用途もありました。 また、詰め紙というのは、御簾紙という薄い紙を丸め、つばで湿らせて挿入しました。 これは生理中、現代のタンポンのような用途でも使われました。 男性の精液がその紙に浸み込んで「妊娠はしない」とのことで、流行しました。 <中絶> 農村部などでは日常的に間引きが行われていたように、当時中絶に対してはそれほど否定的な状況ではなかったようです。 よほど売れっ子の高級遊女であれば出産も可能でしたが、妊娠した遊女のほとんどは中絶せざるを得ませんでした。 また、遊女の産んだ子供は、女の子であれば「禿」(かむろ)として遊女屋で育てることもありましたが、たいていは養子に出されました。 当時江戸には「中条流」という堕胎専門の医者がいて、妊娠した遊女はその医者によって堕胎させられました。 ひどい場合には、遣り手が強引に堕胎させる場合もありました。 さらに、何回も階段や箱を積んだところから飛び降ろさせたりもしました。 こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 >>江戸当時はHIVはなかったようですが HIVが発見されたのは、1983年(昭和58年)にパスツール研究所で初めての報告がなされました。 江戸時代は、「梅毒」が主流で、その他にも「淋病」や「麻疹」(はしか)などの感染症が主でした。 麻疹?と言われるかも知れませんが、 子どもの頃の麻疹は、「三日麻疹」(みっかばしか)と呼ばれ、治りも早く「抗体」ができるので、それほど恐ろしい病気ではありません。 ところが、幼少の頃「麻疹」にかかったことのな... Q イギリス王室の世紀の結婚式を拝見してました。 もし、ダイアナさんが生きてらしたら何処の席で息子さんの結婚式を ご覧になってたんでしょうか? いつも疑問に思ってたのは何故美しいダイアナさんよりあの下品なカミラ さんと長い間不倫を続け、愛を注いだのでしょうか? 男女間のミステリーを感じます。 不誠実な夫に耐えかねた妻の最後はあまりにも悲劇的、それなのに カミラはちゃっかりとイギリス王室の一員となってしまった。 カミラの前の夫が彼女は凄い床上手だと発言したのを記事で読んだ 事があります。 そこまでカミラを愛し続けたのは何故?相性?同じ趣味?価値観? 真面目に答えて欲しいです。 A ベストアンサー 真面目に答えます・・・。 カミラの曾祖母はエドワード7世(イギリス国王)の長年の公妾にして最愛の女性であるそうです。 そして更に遡ればリッチモンド公爵チャールズ・レノックスの血筋だとも言われてます。 充分に王妃としての素質はあったように思います。 ダイアナと結婚以前からカミラとは関係があったようです。 (すでに最愛の人だったみたいですね) 何故、カミラを最初に王妃にしなかったのかまでは王室の事ですので分かりません。 ただ、チャールズ皇太子は伝統に対して抵抗したがるところが見え隠れする方みたいですが、伝統を破るほどの革新的な王子ではないそうです。 ダイアナは正直、自分の言いたい事を言う、好きな時に好きなことを楽しみといった自由人で強く、暖かい人情のある方だったそうです。 しかし一般的な母性はあるとしても極端に甘えさせてくれるなどの懐の深さはなかったようです。 チャールズの母であるエリザベスは王女だった為にチャールズに対して母として接する機会があまりなく愛情不足だったと思われます。 チャールズは気難しく理屈っぽい。 正直さ、率直な振る舞いが特徴です。 伝統や格式を担う公人としては適役と思われます。 そして問題なのが、公人としてダイアナを妃にした事としかしダイアナは公人としてでは無く私人として愛して欲しかった事です。 ダイアナは彼を変えられると幻想を抱いてたのかもしれません。 ダイアナは言いたい事を言う性格ですので、キレて文句を言う日々が続いたのかもしれません。 しかし、チャールズはグッと考え込んで大事な事だけ発言するタイプです。 ですから元々の性格は真逆だったと思われます。 その為チャールズはダイアナに寄りつかなくなったのかもしれません。 もちろんダイアナは理屈を理解しようと努力をした事は伺えるのですが・・・理解は出来ても許容する事が出来なかったと思われます。 そしてカミラの場合は難しい理屈などは置いておきたい人のようです。 カミラにとって重要な事は自分を求め愛してくれる人がいること。 ドロドロとした三角関係にあってもチャールズの事を理解しそして許容する事が出来る方のようです。 気難しい彼に対してデリケートな部分を刺激したりしない、とても尊重してくれる方だと言われてます。 そして最大の彼女の魅力は強い母性愛です。 愛する男性を子の様に慈しみ、命を捧げて生涯を守るほどの古典的な母たる姿勢を崩さなかった事と周りから何を言われても誇り高く、強い女性であった為にチャールズにとっては不可欠な女性だったのだと思います。 長くなりましたが、カミラとダイアナでは性格が真逆であることは一番の原因だったのではないでしょうか? ただ、誰が悪いとかでは無いと思います。 私も最初は否定派でしたが、現在はお二人の関係を暖かく見守って差し上げたい様な心情です。 真面目に答えます・・・。 カミラの曾祖母はエドワード7世(イギリス国王)の長年の公妾にして最愛の女性であるそうです。 そして更に遡ればリッチモンド公爵チャールズ・レノックスの血筋だとも言われてます。 充分に王妃としての素質はあったように思います。 ダイアナと結婚以前からカミラとは関係があったようです。 (すでに最愛の人だったみたいですね) 何故、カミラを最初に王妃にしなかったのかまでは王室の事ですので分かりません。 ただ、チャールズ皇太子は伝統に対して抵抗したがるところが見え隠... まだ4週ってとこだね…2週間後にまた来て下さい」と言われました。 しかし、一昨日・昨日とおりものに少量の血?が混ざり茶褐色になっていたので 慌てて病院に行きました。 先生曰く「今は出血してないね~。 しばらく安静にしていれば多分大丈夫でしょう」との事。 超音波で診て貰うと、胎嚢は17ミリになっていて、中に小さな胎芽も見えました。 でも、まだ小さすぎて心拍は確認出来ないので、一週間後にまた来てね…と。 胎芽が見えてちょっと安心した反面、まだ心拍確認が出来ないので 来週までの一週間がとっても不安です。 計算上は6週と数日かと思うのですが、これは排卵日がずれただけなんでしょうか? 初めての妊娠で不安だらけです…妊娠を喜びたいのにマイナスなことばかり考えてしまって… アドバイス頂ければ幸いです。 まだ4週ってとこだね…2週間後にまた来て下さい」と言われました。 しかし、一昨日・昨日とおりものに少量の血?が混ざり茶褐色になっていたので 慌てて病院に行きました。 先生曰く「今は出血してないね~。 しばらく安静にしていれば多分大丈夫でしょう」との事。 超音波で診て貰うと、胎嚢は17ミリになっていて、中に小さな胎芽も見えました。 でも、まだ小さすぎて心拍は確認出来ないの... かさぶたがそんなような色でしょう??それと一緒です。 その出血の場所だったり、出血の量によっては状況が違ってくることもありますが、おりものに混ざるぐらいだったらおそらくは大丈夫です。 先生が言う「しばらく安静にしていれば多分大丈夫」というのは、ゆっくり横になることで体内の酸素使用量が少なくなり、お腹にその分酸素を回してあげることが出来、血管の形成が進んだり、切れた血管の修復が進んだり、と言う効能があるんだそうです。 しっかり赤ちゃんも育ってますが、時期的にはまだ心拍確認も難しいですので、色々心配ですよねえ。 私の場合は5週でお腹の中で確認出来、心拍が確認出来たのは8週に入ってからでした。 風船って、ふくらます最初はゴムも厚くて固くて、なかなかふくらまなかったりするでしょう?子宮もそれと同じなんだそうです。 なので、痛みがある場合があるんだそうですよ。 排卵に関しては基礎体温を測っていらっしゃらないようなので今となっては分かりませんが、おそらく遅れていたんでしょうね。 ちなみに、私は流産経験もあるのですが、 その時の出血は鮮血がでましたね。 「おりものに含まれる」ぐらいの量ではなかったです。 初めから明らかに「多くないときの生理ぐらいの量」は出てました。 かさぶたがそんなような色でしょう??それと一緒です。 Q 会社を辞めるものです。 送別会を断りたいと思っていますが もしあなたが断られたら正直どう感じますか? 今度私の送別会を開いてくれるという提案があるそうです。 まだ内々らしいですが、話が盛り上がって細かいことが決まって しまう前になんとか断りを入れたいと思っています。 1年間働いてきて、退職理由は職場の人間関係と給料の問題です。 また会社のやり方にも疑問を持っていて嫌なまま働く毎日が辛かったです。 悪い人達ではないのですが私には合いませんし、一緒にいても楽しくありません。 それ以前に、自分の退職を送別してくれるという会自体が 恥ずかしくてどうにも困ってしまいます。 朝礼にでもしっかりご挨拶をしきっぱりとサヨウナラしたいです。 予定日は有給中の週末だそうで、断る理由がありませんし (私の都合の良い日と考えているらしいので) うやむやに嘘を付くよりははっきり言った方が気持ちよいかなと思っています。 皆様、いかがでしょうか。 A ベストアンサー 職場のみなさん 悪そうな人たちでは無さそうですね。 送別会開いてくれるんですね。 でもあなたにとっては 鬱陶しいのかもね。 ?? 送別会を止めて貰って、茶話会 程度にして貰っては? お茶飲んで終わり。 花束も無しにしてもらっては?? 自分の本音を ぶちまけると ギスギスするから。 やめましょうね。 お酒が飲めないので どうしても勘弁して欲しいと言えば、諦めてくれないかな??? 私も 送る方は何10回も会を開いているけど、自分が 送られる方は 一度も無い。 私もお酒あまり飲めないから、送別会は断るかも。 無理して参加させたくはないし。 職場で 村八分になっていた人(嫌われ者)でも、 送別会開いてあげたけど、 お通夜みたいな宴会だった。 誰もほとんど喋らないから。 うまく乗り切ってね・ Q 現在妊娠6週6日の者です。 初診は4週5日で、子宮内に3. 5mの胎嚢が確認できました。 2回目の検診は6週1日で、胎嚢は17. 7mでしたが胎芽と心拍は確認できませんでした。 一応、胎嚢の中にうっすらと白いものが見えており、 先生は「多分これなんだと思うけど、動きが確認できないからまだ何とも言えないねぇ」 とおっしゃっていました。 また1週間後に来るように言われましたが、次回の検診まで待ちきれず その3日後の6週4日に再びエコーで見てもらいましたが、依然として状況変わらずでした。 先生には、「今の段階でまだ胎芽と心拍が確認されないのはちょっと遅いねぇ、 最近は、胎嚢は確認されても胎芽が確認されないまま流産してしまう事が多いんですよねぇ」 と言われ、とても心配になってしまいました。 また、私は未だにつわりらしい症状が全くなく、出血、お腹の張りもありません。 長くなってしまいましたが、 1 6週4日で胎芽と心拍が確認できない場合、流産の可能性が高いのか? 2 普通、何週目ぐらいまでに心拍の確認がされないと、流産と診断されるのか? 3 胸の張りが治まってしまうという事は、流産の兆候なのか? を教えていただけると有り難いです・・・。 ちなみに、基礎体温と排卵チェッカーを併用しての妊娠で、排卵日は特定できており、 排卵の遅れ、週数のズレはありません。 どうか宜しくお願い致します。 現在妊娠6週6日の者です。 初診は4週5日で、子宮内に3. 5mの胎嚢が確認できました。 2回目の検診は6週1日で、胎嚢は17. 7mでしたが胎芽と心拍は確認できませんでした。 一応、胎嚢の中にうっすらと白いものが見えており、 先生は「多分これなんだと思うけど、動きが確認できないからまだ何とも言えないねぇ」 とおっしゃっていました。 また1週間後に来るように言われましたが、次回の検診まで待ちきれず その3日後の6週4日に再びエコーで見てもらいましたが、依然として状況変わらずでした。 先生には、「今... A ベストアンサー お気持ちよく判ります。 現在2人目を妊娠、7ヶ月です。 私も基礎体温を計って計画的に妊娠したので、排卵日は特定していました。 同じように6週での診察時、袋は確認できたけど、 心拍がまだ確認できないので1週間後、と言われ、 大変不安な1週間を悶々とすごしました。 ネットで調べても、その頃には確認できる、などと あり本当に不安になりました。 知り合いの助産士に主人が電話で聞いてくれ、 「そんなことはしょっちゅうよ!」と励まされました。 1週間後、無事に確認できましたよ。 現在は技術の発達のせいか、なんでも早く早くという 傾向があるように感じます。 検査薬も性能がいいですしね。 確認できた後も、安定期に入るまでは基礎体温を計り続け、流産の傾向がないことを確認しました。 (流産の場合は体温がさがりだすとのことなので) (2)についてはやはり8週くらいがボーダーでしょうか…次回の7週の検診時にも確認できず、また来週ということになれば聞いてみてはどうでしょうか? しかし、6週でそのように言われる先生でしたら、なんだか嫌ですね。 私のときは、判る人は判るけど、この時期は判らないからといってすぐに流産という判断はくだせないから安心してね、と言われました。 どうかあかちゃんが無事でありますように… お気持ちよく判ります。 現在2人目を妊娠、7ヶ月です。 私も基礎体温を計って計画的に妊娠したので、排卵日は特定していました。 同じように6週での診察時、袋は確認できたけど、 心拍がまだ確認できないので1週間後、と言われ、 大変不安な1週間を悶々とすごしました。 ネットで調べても、その頃には確認できる、などと あり本当に不安になりました。 知り合いの助産士に主人が電話で聞いてくれ、 「そんなことはしょっちゅうよ!」と励まされました。 1週間後、無事に確認できましたよ。 現在は... ですが、確かに履き心地は気になるもの、 苦手なのでしたら、無理に履く必要はないと思います。 ただ、私生活以外はちょっと・・・と思います。 TPOとして、仕事や公式の場などでは必要なのではないでしょうか。 素足でパンプスを履くことは多くなっていると思います。 私も夏は素足で履きます。 また、オープントゥなどのつま先が見えるデザインが流行しているので、パンプスであっても素足じゃないと変、という側面もあるかと思います。 ストッキング+オープントゥパンプスの方もいらっしゃいますが ただ、冬は、足がどうしても綺麗じゃなくなるんですよね。 手入れしても時間が経つと・・・。 かさついたり、色が青くなったり赤くなったり・・・。 そういうのがみっともないと思うので、私は多くの場合履きます。 足の手入れがバッチリで、素足でパンプスでしたら「綺麗!」と思うと思います。 そしてもう1つ。 靴が汚くなります。 これは本当に格好悪いです。 恋も冷めちゃうよ~って思います 笑 靴を脱ぐ場で、靴が汚いとかなり印象悪いです。 学生なら世間知らず 身だしなみが・・・ で済みそうですが、社会人だとちょっとみっともないのではないでしょうか。 他人は他人ですし。 あまり他人に興味もないので 笑 私は大学生ですが、たぶん半分くらいの子がストッキングは履いていないと思います。 冬も 夏は9割以上履いていないでしょうね。 若いほど、ストッキングを履かない傾向があるかと思います。 ですから、質問者さんがストッキングなしでパンプスを履いていても全然不自然じゃないと思います!! 私も雑誌は素足だと思います。 足が綺麗に見えるように、スプレータイプのものを利用したりしているかもしれませんが、普通のストッキングを利用しているようには見えないですよね。。 それとも、知らないだけで写真を上手く処理しているのでしょうかね? 雑誌でOKならOKというわけではないと思います。 でも、ストッキングを履かない文化 ? は10代後半~20代前半の世代では確実に広がっていると思うので、変に見られることはないと思います。 ですが、確かに履き心地は気になるもの、 苦手なのでしたら、無理に履く必要はないと思います。 ただ、私生活以外はちょっと・・・と思います。 TPOとして、仕事や公式の場などでは必要なのではないでしょうか。 素足でパンプスを履くことは多くなっていると思います。 私も夏は素足で履きます。 また、オープントゥなどのつま先が見えるデザインが流行しているので、パンプスであっても素足じゃないと変、という側面もあるかと思い... だから普通は熱は40. 子どもの頃の話ではなく、ここ数年の話です。 (現在21歳) 一度は、夜中に41. 「救急車を呼ぼうかな。 でも高熱だけで救急車なんて…。 もう1回測って上がってたら呼ぼうかなぁ。 」なんて考えていたので…。 電子体温計と水銀体温計両方で測って両方とも同じくらいだったので誤作動ではないと思います。 よろしくお願いします。 だから普通は熱は40. 子どもの頃の話ではなく、ここ数年の話です。 (現在21歳) 一度は、夜中に41. 「救急車を呼ぼうかな。 でも高熱だけで救急車なんて…。 もう1回測って上がってたら呼ぼうかなぁ。 」なんて考えていたので…。 電子体温計と水銀体温計両...

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恐怖!世界の恐ろしい風習5選!

纏足 目的

小さく曲げられた足は、蓮の花になぞらえて「」と呼ばれた。 刺繍をした靴に詰め込まれた金蓮は優美で華奢、そして社会的地位が高いことの象徴でもあった。 しかし新研究によれば、纏足には別の理由もあったという。 スタンフォード大学出版から1月に発行された「 (曲がった足、若い手)」によると、纏足には、織物などの仕事を手伝うために女性たちを何時間も座らせるという目的があった。 本の著者であるローレル・ボッセンとは、纏足の歴史を調べるために中国の人里離れた村に住む1800人以上の高齢の女性に話を聞いた。 そして、纏足が農村部でも広がっていた習慣だったという事実を発見した。 これは「纏足はエリートの象徴」だという概念を打ち崩す発見だった。 ボッセンらが話を聞いた女性たちは、纏足がまだ伝統的な習慣として受け継がれていた時に生まれていた。 纏足がいつ始まったのかは正確にわかっていないが、ボッセンはこの習慣の始まりは、早くて1000年前にさかのぼると考えている。 「纏足をした最後の世代は亡くなりつつあります。 しかし私たちは幸運にも、たくさんの女性に話を聞くことができました。 これほど広範囲に渡って、纏足をした女性から聞き取り調査をしている研究データは他にありません。 これだけの大規模調査をする、最後のチャンスだったと思います」と、ボッセンはハフポストUS版に語った。 ローレル・ボッセンがインタビューした農村部に住む女性の1人。 女性は纏足の習慣があった時に産まれ、ずっと足を小さくおり曲げて生きてきた。 刺繍付きの特別の靴を履いている。 (LAUREL BOSSEN) 農村部での纏足の習慣は、規律を保つための手段だったとボッセンらは考えている。 幼い娘の足を曲げることで、母親たちは娘たちは長時間座らせ、糸を紡ぐなどの手を使った仕事を手伝わせて家の収入を増やす。 「娘たちに纏足をした母親たちは、娘たちを労働力にしようと考えていました。 『纏足した女性は仕事から免除され足を大切にしながら生きていた、彼女たちはお金を稼ぐ存在ではなかった』という見方は間違っていると思います。 女性たちは手仕事のスキルを身につけ、生涯にわたって仕事をしていたのです」とボッセンは述べた。 ボッセンはまた、纏足をした農村部の女性たちはこれまで正当に評価されてこなかったと考えている。 「中国の女性は、これまで評価されてきた以上に社会に貢献してきました。 織物をするなど大きな貢献をしてきたにも関わらず、それが低く評価されていた、もしくは忘れ去られていました」 一方で、「纏足が男性を魅了するためだけの習慣ではなかった」としても、それが女性たちにとってつらい習慣ではなかったという結論にはならないとも述べる。 「若い少女や女性たちは、移動する、遊ぶ、選択肢を持つといった機会を奪われました。 ひどい習慣でなかったとは言えません」 この女性の母親は娘の足を正しく折り曲げなかった。 「彼女の母には十分な知識がなかったため、足は美しい形に折り曲げられませんでした。 しかしどちらにしても、纏足は女性に痛みもたらし、足を変形させました」とボッセンは説明する。 (LAUREL BOSSEN) 纏足は20世紀の初めに禁止された。 しかしボッセンがインタビューした女性たちのように、生涯足を折り曲げて過ごしてきた女性たちもいる。 ボッセンは、彼女たちの存在が歴史に埋もれてしまった可能性もあると考えている。 ボッセンとゲイツはこれまで信じられていた「纏足は、女性を男性にとって魅力的で望ましい存在にするための習慣だった」という説を、否定しているわけではない。 これまでの説を肯定する調査結果もある。 たとえばヴァージニア大学の、纏足をした19世紀の中国人女性が「足が小さく折り曲げられているほど、良い夫と結婚できると信じていた」と証言している。 しかしボッセンとゲイツは、今回の研究では、女性たちが性的な対象として扱われていた一方で、家族や社会のために一生懸命働かなければいけなかった女性たちもいたことが明らかになったと考えている。 「工業化される以前の中国における手仕事の重要性は、軽視されがちです。 女性たちは、家族のためにお金を稼ごうと糸を紡ぎ、機を織り、縫い物や刺繍をして洋服や寝具、織物をつくっていました。 それが女性たちにどれほど大きなプレッシャーをかけていたか、これまできちん認識されていませんでした」 「これまで、纏足した女性たちの足ばかりが注目されてきました。 その一方で、女性たち自身や彼女たちの果たしてきた役割は無視されてきました。 纏足した女性たちの手仕事に注目した人や、年老いた女性たちに、若い時にどんな仕事をしてきたのかを尋ねる人はとても少ないのです」 に掲載された記事を翻訳しました。

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