ハチ公 イラスト。 忠犬ハチ公

忠犬ハチ公

ハチ公 イラスト

* * * * * * TeamASTA * ハチ公バスのうたアニメ イラスト協力 くろけん:maoi:suzi 『ハチ公バスのうた』です。 この楽しい曲を皆さんもお楽しみください。 この『ハチ公バスのうた』アニメーションは勝手にSTUDIO ASTAが制作し、まだ耳にした事の無い方々にさらに楽しんでいただきたいと考えて制作するものです。 今のところ商品にする予定はありません。 なお、この『ハチ公バスのうた』のCDは残念ながら非売品となっておりますが、渋谷区立渋谷図書館、笹塚図書館、西原図書館にて貸し出し中です。 それぞれの図書館へのアクセスはでご確認ください。 ほっ、本当でしょうか? さらに7月18日よりハチ公バスの車内で『ハチ公バスのうた』が流されているそうです。 みなさんハチ公バスでハチ公バスのうたを歌いましょう! ハチ公バスとは? ハチ公バスとは渋谷区が区役所と区施設を気軽に移動する手段として運行しているかわいいバスです。 詳しくは下記URLをご参照ください。 渋谷区と東急バスの規約に則り、許可を得て掲載しているものです。 4月にそのプロジェクトは動きはじめました。 原宿少年少女合唱団をはじめ5つの合唱団を指導する瀬戸典子先生とその合唱団のひとつ原宿表参道欅会合唱団「音傳」に所属しミュージシャンのdrops MIKAさんとの間で『ハチ公バスのうた』を作り、日頃合唱団の活動でお世話になっている渋谷区長に恩返しをしようと言う事になりました。 自らテーマソング・ライターを名乗るMIKAさんが作詞作曲を担当しパートナーの武内洋子さんがうたのおねえさんを担当。 瀬戸先生指揮のもと原宿少年少女合唱団の歌で作り上げられた曲に、写真家の青木さん、イラスト・デザインでSTUDIO ASTAが協力して素晴らしいCDが出来上がりました。 そして5月10日に瀬戸先生と原宿少年少女合唱団、武内洋子さんは渋谷区長にそのCD 100枚を寄贈しました。 その模様は読売新聞と東京新聞の11日朝刊に載り、それが左の写真です。 プロデューサー役の瀬戸先生の元に集まる年代を超えたそれぞれの才能を集結して、この作品は作り上げられたのです。 それだけに沢山の気持ちのこもった贈り物になったと思います。 ありがとうございます。 今、韓国からイラストが届いていますので、今日アップします。 ありがとうございます。 先週末、渋谷図書館で借りてきました! 子供がウチにいる時間は殆どずっと、ハチ公バスだワンワンワン!です。 2歳の娘も二番までしっかり歌詞を覚えてノリノリです。 ありがとうございます。 tdmamaさん tdmamaさん、 kanako soukejimaさん、 コメントありがとうございます。 このところASTA WEB SHOPの制作で『ハチ公バスのうたアニメ』に手を付けられませんでした。 これからはまた少しずついじってゆきますので、よろしくお願いします。 ありがとうございます。 ありがとうございます。 ありがとうございます。 モグラ希望。 MIKAさん MIKAさん 了解です。 モグラですね。 早速絵を描きます。 ありがとうございます。 いいな、いいな。。。 私も是非出演したい!! のりこsunも素敵になりましたね。 takamiさん 近々に手配しますよ。 ありがとうございます。 恵比寿在住です。 区立の保育園に通う息子(5歳)と娘(2歳)が、ハチ公バスの歌にはまっています。 上記URLに何度もクリックさせられているのですが、途中で歌が止まってしまうのでとても残念がっています。 最後まで聞く方法はありませんか? アニメについては、息子の意見としては 1.犬が運転しているのがいい!猫とお花もいい! 2.太陽の目がかわいい! 3.時々絵が変わったらおもしろいのに…。 4.流れていく建物が、ハチ公バスから見える建物だったりしたらいいのに…。 でした。 kanako soukejimaさん kanako soukejimaさん コメントありがとうございます。 2人の息子さんにウケるように頑張ります!! なによりもこの音楽は子供の物ですからね。 この『ハチ公バスのうた』のCDは渋谷区立渋谷図書館、笹塚図書館、西原図書館にて貸し出し中です。 恵比寿でしたらハチ公バスに乗って渋谷の渋谷区立渋谷図書館までご足労いただければと思います。 今の所このCDは非売品ですので、遠くにお住まいの方にはご迷惑をおかけします。 すみません。 ありがとうございます。 うちのワン親子のtd&Latteをバスに乗せて頂けますか?? tdmamaさん tdmamaさんコメントありがとう! 分かりました、近々に描きますね。 でもバスに乗り切らないなあ…。 困った。 とりあえず道で手を振るっていう感じで登場してもらいますね。 でもそうだよなぁ、乗りたいよねえ。 よし、そのうち折りをみて乗り換えシステムを作ります。 それまではちょっと我慢してね。 ありがとうございます。 こんばんわ。 はじめまして。 娘と一緒に聞きました。 わんわんわんのところでは 手を振って大喜び。 アニメ楽しみにしてます。 eri さん にコメントをいただいたものを勝手にコチラに転載しちゃってごめんなさい。 でもあんまり嬉しくてつい使わせていただきました。 そして勝手ついでにあなたを『ハチ公バスのうた』ファン第一号と認定します。

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【47件】ハチ公|おすすめの画像

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忠犬ハチ公物語 教え子からの贈りもの ハチの飼い主であった 上野 ( うえの ) 英三郎 ( ひでさぶろう )(1872~1925)は、日本における「農業土木学(Agricultural civil engineering)」のパイオニア(先駆者)的な人である。 農業土木学は、農業に応用出来る工学的技術について研究する学問。 東大教授の上野博士が、ハチ公として知られる秋田犬を飼い始めたのは、53歳で亡くなった日の、17ヶ月ほど前からと伝えられている。 秋田犬のハチは、秋田県の民家で1923年11月に誕生し、生後50日くらいで、鉄道により運ばれ、上野博士の元へとやってきた。 それは有名な大災害である関東大震災の翌年(1924年)1月の事。 元々犬好きの上野博士は、前々から秋田犬を飼いたいと思っていた。 そしてそれを知っていて、かつ秋田県で働く事になった彼の教え子のひとりが、送ってくれた秋田犬がハチだったそうである。 生まれつき体が弱かったハチ ハチは生まれつき胃腸が弱く、病気がちな犬だった。 そんなハチを上野博士は、病気になるたびに自ら看病し、とにかく可愛がったとされる。 毎日毎日、博士はハチを自分のベッドで寝かせ、またハチをどこかに繋いだりはせず、家の敷地内で自由にさせた。 博士はハチ以外にも犬を飼っていたが、みな放し飼いだったという。 やがてハチは、それなりには元気になり、大学に通う博士の送り迎えをするようになっていく。 なぜハチ公はハチ公と呼ばれてるのか 公という敬称は本来、中国は周の時代(1046~紀元前256)に、王を除く貴族に授けられる爵位の最上位であったとされる。 日本においても、この公というのは、しばしば身分の特に高い人などに付けられるものである。 ハチは、今やハチ公としてあまりに有名であるが、なぜ公と呼ばれたのか。 実はこのハチ公という呼び名は、上野博士が家に招待した学生たちが考案したものだったらしい。 彼らは、先生が可愛がる犬を、ハチと呼び捨てにするわけにもいかず、ハチ公と、公をつけて呼ぶ事にしたのである。 八重子夫人との恋 上野博士には子がなかったため、奥さんである 八重子 ( やえこ )夫人も、夫と共にハチを非常に可愛がったという。 上野博士と八重子夫人の恋は、両親に祝福されたものでなく、二人は正式な夫婦というわけではなかった。 上野博士には親の決めた結婚相手がいたのだが、彼は八重子との暮らしを望んだのである。 だから上野博士は(親の許しがえられなかったので)正式な結婚が出来ず、八重子夫人とは事実婚だった。 そのため、夫が急死した後、(当時の法律上)彼女は一切の財産を継ぐ事が出来ず、養女と、ハチ含む飼い犬たちと共に、家を出ていかなければならなかった。 博士が亡くなった日 上野博士が大学で倒れ、帰らぬ人となったのは1925年5月21日。 この日ハチは、大学まで博士を迎えに行って、しかし会えずに帰宅した。 それからハチは、博士の最後の着衣が置かれた物置にこもり、3日間、何も食べずに過ごしたという。 そして葬式の日である26日の朝。 ハチは博士の棺の下に潜って、出ようとしなかったと伝えられている。 上野博士の教え子たち 夫も家も失った八重子夫人が、自分のもとに残せた家財は、小道具屋で売りに出されてたのを買い戻した、ごく一部だけだった。 彼女はしばらくは知人の家で世話になったが、当然犬たちまでは一緒にとはいかず、ハチも別の知人に預かられる事になる。 しかしハチは、預かり先の家ではトラブル続きで、辛い思いをしたようだ。 一方で、当てもなく途方にくれた八重子夫人に、救いの手を差しのべたのは、上野博士の教え子たちだった。 彼らは金を出しあい、 世田谷 ( せたがや )に家を建てて、八重子夫人にプレゼントした。 さらに、茶道の教授として生計を立てていた彼女の為に、茶室まで作り寄贈した。 さすがに涙を流し断られたが、彼らは、生涯の年金の提供まで申し出ていたそうである。 新しい生活。 渋谷駅に通い始めたハチ 世田谷の新たな家で暮らしはじめた八重子夫人は、ハチも引き取ったが、かつての家に比べたら狭い敷地に、ハチは満足出来ず、近隣の畑を荒らしたりしてしまう。 それで苦情がきて、時には農家の人に棒で叩かれる事もあったという。 そんななか、時折ハチがどこかへと出かけている事に気づいた夫人。 ハチの消える先を知らせてくれたのは 渋谷 ( しぶや )の知人であった。 なんと定期的にハチを渋谷で見かけるというのである。 どうやらハチは、亡き上野博士をしのんで渋谷駅に通っていたようであった。 生前の博士は、毎日を渋谷駅に通っていたわけではなく、出張の時などに利用していたという。 だからハチは、博士が、長く出かけているなら渋谷駅だというふうに覚えていたのかもしれない。 いじめられていた毎日 八重子夫人はハチの気持ちを考え、彼を渋谷に住む植木職人で、ハチがよくなついていた 小林 ( こばやし ) 菊三郎 ( きくさぶろう )に預ける事に決める。 彼は上野博士に恩があったこともあり、ハチを大切にし、かつてのように放し飼いにして、自由にさせてやった。 そうしてハチの渋谷駅に通う毎日が始まったのである。 ハチは、渋谷駅で一夜を明かす事もあったが、上野博士を知る者たちから大切にされ、野良犬にはならなかった。 しかし実は当初、味方は少なかった。 大きな秋田犬など、大半の人たちからすれば邪魔でしかなかったのだ。 客からは蹴られ、駅員からは水をかけられ、子供たちには墨で落書きされてしまったのだという。 ハチはおとなしい性格だったのもあり、イジメはエスカレートするばかりだった。 忠犬ハチ公として 毎日、いじめられながら、それでも亡き主人を待ち続けてるかのようなハチ公。 何年もの月日が経った。 ハチの境遇を知り、救おうと決心したのは、日本犬や、日本狼の研究者としてよく知られた 斎藤弘吉 ( さいとうひろきち )だった。 彼は朝日新聞に、ハチを紹介する記事を投稿。 「毎日毎日、今は亡き主人を待ち続ける老犬」 この記事により、ハチは一躍、忠犬として有名になり、人々から可愛がられるようになった。 子供たちはハチの頭を撫でようと列を作り、渋谷駅にはハチに食べ物を買ってあげてほしいという手紙やお金が届くようになった。 そうしてハチがみんなに労ってもらえたのは、渋谷駅に通い続けた8年ほどの期間の内の、最後の方のわずかな期間だけだっとされる。 そして1935年3月8日。 ついにハチ公は、博士の後を追ったのだった。 この忠犬の死を悼み、実に3000人もの人が渋谷駅に集まったという。 忠義心強い秋田犬 ハチ公は秋田犬である。 秋田犬は、日本犬の中では、かなり大型な種であり、また忠義を強く持つ犬として知られている。 そういう意味で、ハチはまさに秋田犬の典型であった。 秋田犬は、おっとりとした性格でもあり、他の犬が飛びつくような場面でも、目や顔を動かしたりするだけの事も多いらしい。 また斎藤弘吉は、秋田犬は、亡くなった飼い主をいつまでも忘れない傾向が強いと述べている。 焼き鳥目当てだったという酷いデマ ハチ公は好きだった焼き鳥ほしさに渋谷駅に通っていたという説があるが、ハチが可愛がられていたのが、わずかな期間という事を考えると、これはほぼありえない。 このような、ハチは上野博士と関係ない理由で渋谷駅に通っていたというような説は、晩年の有名になってからのハチしか知らない人たちが主に流した噂らしい。 少なくとも大半の期間、ハチにとって、渋谷駅に行って得するような事は全然なかった。 だから彼には、そうして辛い目にあおうとも、渋谷駅に通う事情があった。 それが大好きな上野博士に会いたかったから、と考えない理由はむしろない。

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ハチ公クラブ/絵で見るハチ公物語(1)

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女優の檀れいが毎回、その日にまつわる話題や風物詩などを交えてお届けする「檀れい 今日の1ページ」 毎週金曜日は、「プロの仕事」と題してお送りしていますが、今日は、待ち合わせスポットとしてもおなじみ、「渋谷の忠犬ハチ公像を造った職人さん」のお話をご紹介しました。 飼い主が急死した後も、渋谷駅に毎日通って、10年間も飼い主を待ち続けた、ハチ。 1934年のきょう、渋谷駅前に設置されたのが、そんな忠犬ハチ公の銅像です。 長年、渋谷のシンボルとなっていますが、最初に作られたハチ公の銅像には、意外なエピソードがあります。 ハチ公の銅像を造ったのは、鹿児島市にある西郷隆盛像で知られる彫刻家の安藤照さん。 もともと日本犬の銅像を造る事を考えていた安藤さんが先輩から紹介されたのが、渋谷駅前で主人を待ち続ける、秋田犬「ハチ」でした。 ハチに感銘を受けた安藤さんは、代々木のアトリエに「ハチ」を連れてきてもらい、銅像の制作に取りかかりました。 ところが安藤さんがハチ公像を造っている最中に、別の芸術家にハチ公の木の像を造らせようとする動きが!そこで安藤さんは、そのプロジェクトを阻止する為、急ピッチでハチ公の銅像を仕上げました。 その結果、どうなったのか? あまりに急いで造った為、何と、ハチが生きている時に銅像が完成してしまったんです。 1934年の4月21日におこなわれた銅像の除幕式には、ハチも参加。 このイベントには著名人も集まったそうですが、ハチは自分の銅像をどんな思いで見ていたのか、気になりますよね。 銅像の除幕式から、およそ1年経った1935年3月8日、ハチはそらへ旅立ちました。 満11歳でした。 実は、今のハチ公像は、刻家の安藤照さんが造った最初の銅像とは違うもの。 戦争中に銅が必要になった為、ハチ公像は溶かされて機関車の部品に。 しかも、安藤さんも1945年の空襲で亡くなっていました。 では、1948年に完成した今のハチ公像は誰が造ったのか?それは、安藤照さんの息子で、彫刻家の安藤士さん。 息子の士(たけし)さんは当時20代の若い彫刻家。 初代のハチ公像の原型は焼けてしまい、資料も残っていませんでしたが、たけしさんは生前のハチとアトリエで一緒に遊んでいた為、頭の中にパッと完成図が浮かんだそうです。 「素直で素朴なハチの可愛さをそのまま伝えたい」という思いで制作した2代目のハチ公像。 彫刻家親子のハチへの思いが込められた傑作と言えるでしょう。 さて、番組では、あなたからのお便りもお待ちしています。 ふるさとのいいものや、ちょっとした疑問、身のまわりで見つけた面白いことなど、ぜひお送りください。 おハガキは、〒107-8066 TBSラジオ「檀れい 今日の1ページ」まで。 メールは、番組のホームページから、お送りください。 お便りを採用させていただいた方には、クオカード三千円分と、CMでお馴染みの曲、「いすゞのトラック」のCDを差し上げます お待ちしてます! TBSラジオ「檀れい 今日の1ページ」 月~金曜日 朝6時20分頃~放送中です。 ラジオは、AM954kHz、FM90. 5MHz。 パソコンやスマートフォンでは「」でもお聴きいただけます。

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