ブルータス カエサル。 ガイウス・ユリウス・カエサルとはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】

ブルータスお前もか!の4コマ漫画2編。カエサルはトランプのダイヤのキング!の話から

ブルータス カエサル

自分の欲を果たすため、時の権力者に取り入った訳です。 早い話、現代だったらお金持ちの男性ばかりを狙う女性ってところでしょうか? クレオパトラがカエサルに取り入った時、弟と権力争いをしていました。 弟に勝つためには、自分の力だけではどうにもならないから、誰か助けてくれる人がほしかったわけです。 そこで、白羽の矢がたったのがローマ帝国で権力を握っていたユリウス・カエサル。 「彼を味方につければエジプトは私のもの」と思ったんでしょうね。 歴史上でも、男性がピンチになったときに女性に助けてもらったという話を聞かないので、女性=悪女特有の考え方でしょう。 有名なカエサルとの出会い 出典: クレオパトラとカエサルの出会いのシーンはあまりにも有名ですよね。 貢物の絨毯にくるまってカエサルに会いに行ったんです。 この頃、宝石を絨毯にくるんで貢物として渡す習慣があって、宝石=クレオパトラという意味も込めて登場したと考えられます。 数々の貢物を見てきても、自分自信を差し出した人はいないでしょうから、さぞかし驚いたことでしょう。 それにしても、 「助けてほしいの!」と言って男性の部屋を訪れるってことですよね。 (プトレマイオス13世とも結婚してました)。 実質上のエジプトの女王となったわけです。 その後、 二人は10週間の休暇を取りナイル川に船を浮かべて過ごします。 というと、手漕ぎボートとは言わないまでも観光地の遊覧船ぐらいを思い浮かべませんか?資料によると、庭園・大食堂・神殿まで作られていたというから相当な大きさです。 クレオパトラは、 カエサルとの間に息子・カエサリオンをもうけますが、カエサルは一人でローマに帰還してしまうので、一人で育てることになります。 現地妻ってところでしょうかね? クレオパトラ、ローマに招かれる! クレオパトラの転落! 出典: ローマの皇帝になろうとしていたカエサルは、その独裁ぶりを懸念した元老院たちに暗殺されてしまいます。 このとき 「ブルータスお前もか!」というセリフを言ったわけです。 後ろ盾を失ってしまったクレオパトラはどうするの? 後継者には自分の息子・カエサリオンかな?と思っていたクレオパトラですが、遺言に残された名前は養子のオクタビィアヌス。 でも、世界に名高い伝説の悪女は大丈夫なんです。 答えは簡単! 次の権力者に取り入り、また後ろ盾になってもらえばいいんです。 普通だったら、オクタビィアヌスを狙いますよね。 でもこともあろうかクレオパトラさん、アントニウスを狙うんです。 えっなんで? 伝説となるクレオパトラの自殺の方法 萌噠? クレオパトラは、カエサルの能力を信じてなかったんですかね?結局、オクタビィアヌス率いるローマとアントニウス率いる反オクタビィアヌスのローマ&エジプトの戦いとなるのです。 一時はアントニウスが有利だった時もあるようですが、なぜかアクチウムの海戦で、 クレオパトラ率いるエジプト軍が撤退してしまいます。 「なぜ俺を見捨てるんだ!」と思ったアントニウスは自分の軍を捨てて、クレオパトラの後を追います。 クレオパトラが自殺したと聞き、アントニウスも後を追って自殺します。 このときまだクレオパトラは生きていたんですが、「もはやこれまで!」とクレオパトラも自殺。 その方法が、 アスピスと呼ばれる毒蛇に刺されてというもので、これまた有名ですね。 クレオパトラは美女じゃなかった? 実はクレオパトラさんは美女ではなかったとう説があります。 というか、 美女だったという記録がないのです。 実際の記録は、彼女の死後100年ころに歴史家のプルタコスが残した記録が最古で、そこには「彼女はそれほど美人ではない」と記されています。 ベルリン美術館所蔵の彼女の彫像をみても、ギリシャ人特有のゴツゴツした鼻がやけに目立って、特に美女だとは感じません。 例えばカエサルの時には貢物の絨毯にくるまる。 中から女性が出てきたが驚くし、二度と忘れないですよね。 そして、アントニウスの時は自分の船にアントニウスを招き、その時床一面にくるぶしが埋まるほどバラが敷き詰められていたのです。 これも忘れません。 だいたいいつも戦っていて、子供のころから強いことばかり要求されてたんですから、 優雅な演出にマイってしまうのも無理ありません。 そう、どうやらこの 優雅さを身に着けつけていたようなんです。 バラの精油をつけたり、さらにアイシャドウとつけたりと、演出上手なんです。 これつまり ギャップってやつではないでしょうか? Kensuke. Kuwamotoさん teketeketeketeketeketeketeke が投稿した写真 — 2016 1月 22 8:38午前 PST クレオパトラが育ったのはアレキサンドリアです。 アレキサンドリアといえば図書館ですね。 当時でさえ80万冊の本があったといわれる文化の国。 そのため とても知識があったと言われています。 そして、 何か国語も話すことができたので、周りの民族の人たちと コミュニケーションをとることができたのです。 このあたりの意見は多くの学者の方が異論を唱えていないので本当でしょう。 そして聞き上手だった。 男性は彼女の前にすると、つい本音を言ってしまうらしいのです。 とうことは、今と同じじゃないですか? モテ女は時代を超えて、国境を越えて同じなんですね。 今なお語られるクレオパトラの魅力とは! 出典: 今現在でもクレオパトラは人気があり、漫画・フィギュアスケート・ゲームなどで使われています。 クレオパトラの育ったアレキサンドリアの一部は海底に沈んでいます。 海底から遺跡が見つかっていて、それだけでもなんだかドキドキしてきます。 そして、クレオパトラのお墓はいまだかつて見つかっていません。 そう、謎の伝説の女性は美女だったのではなく、 美女でなければならないのです。 まとめ 出典: クレオパトラが最凶の悪女だったのか?と聞かれたら、答えはYes! 言葉は悪いですが、「女使ったって、自分の欲を手に入れた」わけですから。 (当時は仕方なかったのかもしれませんが・・・) そして狙うのは大物ばかりで、そうでない男はおよびじゃない!さらに、 その大物たちをそそのかした節もあるんです。 そう、「あなたならできるわ~」と甘い声をだして。 そばにいて励ましてくれる人というのは嬉しいですが、結局これによって人生を狂わされれたのではないでしょうか? 皇帝になろうとして暗殺されてしまったカエサル。 遺言に残された後継者、オクタビィアヌスと戦って敗れたアントニウス。 二人ともクレオパトラと出会っていなければ、もっと違う死に方だったのではないか?とおもえてなりません。

次の

ブルートゥス

ブルータス カエサル

カエサル Caesar (前100~前44年)は英語読みでシーザー。 前1世紀の末期の軍人、政治家。 として登場し、を抑えるためにに、とのを成立させた後、(前58~前51年)で名声を挙げた。 ローマの元老院はポンペイウスと結びカエサルの排除を図ったため、、ルビコン川をわたってローマに進軍、翌年ポンペイウス軍を破り、内戦に勝利した。 その途次にエジプトに渡り、プトレマイオス朝と結婚。 ローマに戻ったに独裁官として権力を集中させ、さらに前44年に終身独裁官となった。 しかし、共和政維持の立場をとる元老院勢力のらによって、元老院議場で暗殺された。 その死後、部将との抗争に勝利した養子のが初代皇帝となってを成立させる。 ・ページ内の見だしリスト• カエサルで例をとると正式の名である ガイウス=ユリウス=カエサル Gaius Julius Caesar の一番最初のガイウスは個人の名で、日本でいえば一郎とか次郎とかにあたる。 二番目のユリウスが氏、すなわち氏族の名であり、ではこれが極めて重い意味をもっていた。 それはローマが氏族制社会だった最初の時期の、どの氏族に属すかを示すからである。 第三番目のカエサルは家族の名、日本でいえば姓にあたる。 したがってカエサルは日本風に言えば、ユリウス氏族のカエサル家のガイウス君、ということになる。 ところが彼の名は歴史上、特別な意味をもつことになる。 七月の July は、カエサルが腹心のアントニウスに提案させて、自分の生まれた月をに自分の氏の名をあてはめさせたものである。 またカエサル(英語読みにすればシーザー)は、後に皇帝を意味する(、などに変形)ようになる。 <長谷川博隆『カエサル』1994 講談社学術文庫 p. 18> カエサルの登場 名門ではあるが貧乏なの家に生まれた。 生年には前100年と102年の2説ある。 禿げ上がった大きな頭と張り出たえら、口をへの字に曲げ下唇が突き出ていて、けして美男ではなかったが女性には人気があり、部下は「禿の女たらし」と呼んだという。 の甥にあたり、また平民派キンナの娘コルネリアを妻としていたのでと見られた。 一時はの大物、から離婚を命じられ、それを拒否したため不遇だった。 スラ引退後、属州の総督として財力を蓄え中央政界に復帰した。 Episode カエサルの中にマリウスがいる はまだ若いカエサルに将来のことに期待させたり、おどしたりして離婚を迫ったが拒否された。 そこで一時は暗殺しようかとさえ考えた。 ある人が「こんな年端もゆかない子供を殺す理由はないではないか」と忠告すると、スラは「この少年のうちにたくさんののひそんでいるのが見えないのか」と言った。 <この話はの『英雄伝』下(カエサル伝)P. 172 やスエトニウスの『ローマ皇帝伝』上 p. 13 に見られる。 > Episode 若きカエサル、海賊を脅しつける スラの言葉はカエサルの耳にも入ったので、しばらく身を隠したが、スラの部下に捕らえられてしまった。 しかし捕り手を買収して釈放され、小アジアのビテュニアに亡命しようとした。 その途中、地中海を荒らし回っていた海賊に捕まってしまった。 海賊が身代金20タラントを要求したと聞いて、お前たちいったい誰を捕らえたと思っているのかとあざ笑い、自分から身代金を50タラントに引き上げた。 その上海賊連中を小馬鹿にしてゲームの相手をさせたり、演説を聴かせたり、すっかり手なつけ、笑いながらこの次に遭ったら捕まえて縛り首にするぞ、と脅した。 身代金と引き替えに解放されるとミレトスから船を出して海賊船を追いかけ、全員つかまえて、処刑してしまった。 海賊は初めてカエサルの脅しが冗談でないことに気づいた。 <この話はプルタルコスの『英雄伝』(カエサル伝)p. 172-173 にくわしい。 > 平民派として台頭 スラが亡くなるとローマに戻ったカエサルを、元老院および閥族派は警戒し、平民派は期待の星として迎えた。 カエサルは巧みな弁舌と、財力にものを言わせた買収によって急速に力をつけ、財務官・按察官・大神官を歴任した。 例えば按察官の職にあった前65年には試合を320組も提供し、そのほか・祭列・饗宴などの費用を負担して、法外な金を湯水のように使い、「その結果、民衆の一人一人が、カエサルに償いをつけるために、新しい官職とか新しい栄典を探してやりたいような気持ちをもつほどにさせられたのであった。 」 <プルタルコス『同上書』p. 178> Episode カエサル夫人のスキャンダル カエサルは最初の妻コルネリアを31歳の時に病で亡くし、33歳でスラの孫娘ポンペイアと結婚した。 ところが、この女性は浮気性で、クローディウスという青年と密通、それが発覚したのでカエサルは38歳の時、ポンペイアを離婚した。 しかしなんと相手のクローディウスには因果をふくめて自分の味方に引き入れてしまった。 そしてカエサルが三番目の妻として迎えたのは、前59年、貴族出身の閥族派ピソの娘カルプルニアだった。 この女性とは暗殺されるまで続いた。 <二番目の妻ポンペイアの不倫については、漫画仕立てだが、『ユリウス・カエサル、世界の運命を握った男』を参照するとよい。 > カエサルはエジプトの女王クレオパトラとも正式に結婚しているから、生涯に4回、結婚したことになる。 第1回三頭政治 カエサルはその時生じた巨額な借財を、富豪に支払ってもらい切り抜けることに成功した。 さらに属州のに任命されて現地で富を貯え、それを元手にに立候補した。 当時、クラッススと並んで勢力があったのが将軍としての名声の高いであった。 この二人は、ともに元老院に反抗していたが、互いに対抗心をあらわにして不仲だった。 カエサルは、自分が執政官となって元老院の権力に対抗して新しい政治を実現するには、この二人の対立を止めさせて不安定要素を除くことが必要と考え、二人を説得、に(~49年)を成立させた。 この三頭政治は、元老院に対抗するために有力三者が秘密裏に結成した私的な政治同盟と言うことができる。 さらに翌年、カエサルは娘ユリアをポンペイウスに嫁がせ、関係を深くした。 執政官カエサル 前59年、カエサルはポンペイウス、クラッススの支持を受けて初めてに当選した。 複数制なのでもう一人の執政官ビブルスがいたが、人々がカエサルだけがその地位にあるように感じるほど影が薄く、終いには家に引きこもってしまった。 カエサルは土地をもたない兵士に公有地を分配する農地法を、カトー(大カトーの孫の小カトー)ら元老院の反対を押し切って成立させた。 これはで失敗した農地法をようやく成立させたという画期的意味もあるが、現実にはカエサルと新たに土地を与えられた兵士との親分・子分関係(クリエンテーラ)が強められるという結果ともなった。 その他、カエサルは平民派としての政策だけでなく、元老院との協調も心がけたので、その政治は軌道に乗った。 <長谷川博隆『カエサル』 講談社学術文庫 p. 98> Episode カエサル、日報問題を解決 執政官カエサルが行った改革の中で、に関する、次のような注目すべきことが一つある。 引用 元老院が必死に妨害しようとすることをかれはよく承知していた。 しかし、民会に直接法案を提出する方法はすでに実験済みであり、更に進んだ手も打っている。 すなわち、元老院の会議内容を記録し、毎日逐一公表するよう強制したのである。 こうして世界最初の新聞『日報』(アクタ・ディウルナ)が誕生、壁新聞だから購読無料である。 元老院は、その威信の最大の源泉の一つである秘密性のヴェールを剝ぎ取られ、以後この打撃から永遠に立ち直れない。 <モンタネッリ/藤村道郎訳『ローマの歴史』中公文庫 p. 204> 今も昔も、権力者は情報を隠蔽して「神秘性」を演出し、民衆を欺こうとしていた。 元老院に「日報」の公開をさせたのは、さすが平民派の支持によって執政官となったカエサルだけのことはある。 これを「世界最初の新聞」とまで言うのは言い過ぎかも知れないが、少なくとも現代の日本の権力者にとっても首筋が寒くなる話ではないだろうか。 情報が公開されても肝心の部分が黒塗りだったりしたら、カエサルに一喝されるでしょう。 ガリア遠征 1年の執政官(コンスル)任期を終えた翌年、から、カエサルは プロコンスル(コンスル代理)=属州ガリアのに任じられ、また全ガリアの軍事指揮権が与えられて、を実行した。 プロコンスルとはローマの外地で軍事指揮権をもち、命令権(インペリウム)も行使でき、その延長も認められる役職であった。 カエサルにとって残る栄誉は将軍として外征軍を率い、勝利と領土と富をもたらすことであった。 の地(ほぼ現在のフランス)の大半はローマの支配が及んでいず、ガリア人の部族間の争いが続き、さらにライン川の外からはがたびたび侵攻しており、その地を平定することはカエサルに大きな軍事力の基盤を与えることとなる。 カエサルはガリア人部族の敵対的部族を次々と制圧し、その名声は急速に高まった。 ルッカの会談 カエサルがガリアで戦勝を続けている間、ローマでは元老院議員の反カエサルの動きも強まり、彼らは三頭政治を分断するためポンペイウスを担ぎ出そうとした。 ガリアでその動きを察知したカエサルは前56年4月、北イタリアのルッカでポンペイウス、クラッススと会談(ルッカの会談)し結束を強めた。 そのときの合意は、ポンペイウスとクラッススを翌年の執政官に選出すること、執政官任期が終わったら、ポンペイウスにはヒスパニアの属州統治権、クラッススにはシリア遠征軍指揮権を与えること、そしてカエサルのガリアにおける指揮権を延長することであった。 こうして三人は勢力圏を分割することで同盟関係を再構築した。 ライン川と英仏海峡を越える ガリアに戻ったカエサルはさらに征討活動を継続した。 しかし、ローマとは異なる気候、遠征の長期化、ガリア人の抵抗などのため苦戦が続いた。 さらに前55年にはがライン川を渡ってガリアに侵入したのを追い、はじめてラインを越えた。 さらに同年、現在の英仏海峡を越えてにも侵入した。 これらの地には再度侵攻したが、結局支配を確立することはできなかった。 ガリアの平定 にはカエサルのローマ軍にとって最大の危機となった、ガリア人の大反乱が起こった。 それを指導したのは ヴェルキンゲトリクスであり、その巧みな指導でカエサルは苦戦を強いられたが、アレシアの戦いでガリア連合軍を破り、ようやくガリアを平定することに成功した。 前58年から前50年までの9年間にわたって展開されたカエサルのガリア遠征で、ガリアの地はほぼ平定され、すべてが属州となってローマ化していく契機となった。 カエサルはこの遠征の記録を自ら執筆しとして残しており、それは貴重な記録であると共にすぐれたラテン文学の作品としても知られている。 <近山金次訳『ガリア戦記』岩波文庫/國原吉之助『ガリア戦記』講談社学術文庫 他> 三頭政治の崩壊 カエサルの軍事的成功はその名声を高めることとなり、一方、クラッススもそれに対抗して東方遠征に向かったが前53年、との戦いで戦死してしまった。 これによって三頭政治のバランスが崩れ、ローマに残ったポンペイウスは元老院と結び、独裁権を得ようと画策するようになった。 前54年にカエサルの娘でポンペイウスと結婚したユリアが出産のために亡くなったことも両者の関係の冷却化を進めた。 カエサルは軍を率いたままローマに帰り、再び執政官に立候補しようとしたが、元老院とポンペイウスはそれを認めようとしなかった。 それを知ったカエサルは、属州とローマ本土の境界線である ルビコン川を超え、軍を率いてイタリアに入った。 Episode 「賽は投げられた!」と言ったか カエサルは、ルビコン川をわたるとき、次のように兵士に呼びかけたという。 引用 「さあ進もう。 神々の示現と卑劣な政敵が呼んでいる方へ。 賽は投げられた」。 <スエトニウス/國原吉之助訳『ローマ皇帝伝』上 岩波文庫 p. 41> これはスエトニウスが伝えているが、プルタルコスによると 引用 底知れぬ深淵に崖から飛び込もうとする者のごとく、思案を停止し、恐ろしさには目を閉じて、周囲の者にギリシア語でただ一言、「骰子(さいころ)を投ぜよ」と叫んだまま、兵を渡河せしめた。 <プルタルコス/吉村忠典訳『英雄伝』下 ポンペイウス伝 ちくま学芸文庫 p. 145> となっている。 「賽を投げろ」 はギリシア語の成句でラテン語では 'iacta alea esto' であるが、ルネサンスの大学者は、スエトニウスのテクストで 'iacta alea est' (……投げられた)となったのは、末尾の o が写本伝本の過程で脱落したと考えた。 つまりカエサルは「賽を投げろ」と言ったのだが、それが「賽は投げられた」とされてしまった、というのだ。 これは妥当な推理であろう。 <柳沼重剛編『ギリシア・ローマ名言集』2003 岩波文庫 p. 35> なお、ルビコン川とは現在の北イタリア、ラヴェンナとリミニの間に流れていた川で、属州=キサルピナとイタリア本土の境界とされていた。 現在ではほんの小さな川となってしまっているという。 ローマの内乱 カエサル軍がローマに進軍を開始したことを知って、ポンペイウスと元老院はローマを放棄した。 カエサルはギリシアに逃れたポンペイウスを追い、前48年8月9日、ギリシアのファルサロスの戦いで勝利した。 ポンペイウスはなおもエジプトに逃れ、アレクサンドリアに上陸しようとしたが、プトレマイオス朝の王の部下はカエサルと有利な取り引きをしようと企んで、上陸用の小舟のなかでポンペイウスを殺害した。 クレオパトラとの邂逅 ポンペイウスを追うカエサルはその4日後にに上陸した。 当時プトレマイオス朝はプトレマイオス13世とその姉のが対立する内紛の渦中にあり、クレオパトラは絨毯にわが身をひそませてひそかにカエサルとの面会を遂げ、その機転によってカエサルの心をつかんで強く結ぶこととなった。 アレクサンドリア戦争 クレオパトラ反対派は海上から王宮を包囲して、二人を襲撃し、カエサルは苦戦に陥った。 このアレクサンドリア戦争(10月~前47年3月)では、エジプト海軍の艦船に火を放って逃れようとし、その火が市街地に飛び火してが焼け落ちたといわれている。 カエサルも海上に逃れようとして船から落ち、溺れそうになるなど苦戦を強いられたが、ポントス王などの派遣した援軍がアレキサンドリアに到着し、からくもエジプト軍を制圧した。 、カエサルはをもう一人の弟プトレマイオス14世と共同統治させるという形で復位させ、クレオパトラの求めに応じて正式に結婚した。 二人は並んで豪華な船団を組み、ナイル川を遡上し、テーベでは古代のファラオの宮殿などを見て、オリエント的な専制君主の統治にふれることになった。 やがて二人の間にはカエサリオンが生まれたが、ローマからの帰還要求も強まり、ようやく9ヶ月に及んだエジプト滞在を切り上げることとなった。 ポンペイウス派の掃討 ローマに帰還する途中でポントス王を討って小アジアを平定した。 カエサルはローマに帰ったが、また各地にはポンペイウス派の残党が勢力を保っていた。 そこでカエサルは、まずアフリカを拠点としていた保守派のカトー(大の孫)を攻撃して自殺に追いこみ、さらにヒスパニアのポンペイウスの遺児らを討って、反対勢力の一掃に成功した。 カエサルはこの経緯を自ら『内乱記』に記録している。 <國原吉之助『内乱記』講談社学術文庫> Episode 「来た、見た、勝った」 前47年8月2日、カエサルがエジプトからローマに戻る途中、小アジアのポントス王国のファルケナス王(かつてローマに反抗しを起こした王の遺児)を破った。 ゼラという町から、カエサルがローマにあてて書いた手紙の文句は「 来た、見た、勝った。 」だった。 ラテン語では、Veni,Vidi,Vici. でVに始まり、iで終わる四文字からなる三語。 これ以上簡潔にできない報告だった。 28> 本来なら、かつて日報公表をカエサルに約束させられた元老院は、ここではもっと詳しい「日報」を提出せよ!と言わなければならないのだが、カエサルは隠蔽や改竄することなく、簡単明瞭な三語に要約し、これで文句ないだろう!というわけだ。 当時の元老院はそんなカエサルに文句をつけるような力は既になかった。 カエサルの独裁政治 こうしてほぼすべての敵対勢力を平定したカエサルは、7月、ローマに凱旋した。 その時エジプトの女王(正妻の手前、一緒には住まず、ティベル川の別邸に迎えた)とカエサリオンをローマに呼び寄せ、エジプトを支配下に入れたことも印象づけた。 一方、それまで捕虜となっていたガリアのヴェルキンゲトリクスはローマを引き回した上で処刑した。 ローマに凱旋すると同時に、圧倒的な軍事力を背景に10年間の(ディクタトル)に就任した。 その後も元老院を有名無実化して、事実上の独裁政治を行ったが、その内政の主なのもには次のようなもので、いずれも都市共和政から帝国支配への転換をめざしたといえる。 海外に植民市を建設し、約8万人の遊民(無産市民)を入植させる。 穀物配分を32万人から15万人に削減する。 結社を禁止する。 また牧場の労働者のうち3分の一は自由人であること。 (奴隷反乱の防止)• 混乱していた暦を改訂して、太陽暦()を制定した。 ローマの都市計画の立案(実現せず)。 市民権の拡大。 ガリア=キサルピナに一括してローマ市民権を与える。 属州民に市民権を与えてローマの正規軍に採用する。 ユリウス暦の制定 当時のローマの暦は太陰暦であったため、1年の12ヶ月が短すぎて均等ではなく、実際の季節と大きくずれてしまっていた。 暦は神官が管理し、民衆は改訂することができなかったから、農民は農作業と暦日の食い違いに悩んでいた。 そこでカエサルは、エジプトのアレクサンドリアに遠征したときににふれ、エジプト人の天文学者を連れて帰り、暦法を改訂した。 から新しいが適用され、1年は365日、4年ごとに2月に一日の閏日を設けることとした。 これがと言われる暦法で、中世にによって修正されるまで続いた。 皇帝への野望 カエサルはエジプトでの統治に接し、オリエント風の専制君主への願望が生じたのかも知れない(その証拠はないが)。 その前提としては、かつてクラッススを戦死に追いやったに復讐戦を挑み、それを征服することが必要である。 それはかつてのの再現であり、そのアレクサンドロスの後継者のプトレマイオス朝女王からも託されたことであったのであろう。 カエサルがパルティア遠征を計画し、準備を開始したことは確かであり、それに成功すれば、皇帝として世界に君臨することが可能となる。 このことはティベル河畔の小さな都市国家であったローマの、元老院を柱とした共和政(その実態は貴族による寡頭共和政であるが)の伝統を守るべきであるという元老院議員たちにとっては避けなければならない事態であった。 <クレオパトラについては、ブノア・メシャン/両角良彦訳『クレオパトラ』1979 みすず書房 を参照> カエサル暗殺 1月にカエサルは終身の独裁官の地位についた。 カエサルは権力の仕上げとして、今までのローマの将軍が誰もできなかった遠征、そしてアレクサンドロス大王も成し遂げられなかったインド征服まで構想し、それを実現した上で皇帝としておのれを神格化できると考えていたと思われる。 このようなカエサルの野心があからさまになってきたことで、共和政の伝統を守ろうとする元老院の中に、強い危惧が生まれた。 カエサル独裁反対派の暗殺団(その一人が)は周到に準備を重ねた上で、、ついに元老院会議場でカエサルを襲撃し、暗殺を実行した。 いささか古い著述であるが、分かりやすい名文であると思うので引用する。 (引用)外面のはなやかさにひきかえ孤独だったシーザーは次第に君主政に惹かれていった。 前44年の春・・・共和主義者の蛇蝎視した王(レクス)という称号が彼の心を占領した。 「終身の独裁官」の称号を帯びた彼は、昔の王のように紫衣をまとい、金色の玉座についた。 ・・・残るは王の名と王冠だけである。 2月15日のルペルカリアという昔からの祭に、民意打診の奇妙な演出が行われた。 年中行事のうちとけた気分でフォルムに集まった民衆を前に、コンスルのアントニウスがうやうやしく王冠を捧げた。 ところが予期された民衆の拍手は起こらなかった。 カエサルはとっさの気転で王冠を辞してその場をつくろった。 それから一ヶ月後・・・シーザーはイタリア内では独裁官、外では王となるという妥協案を出すつもりでいた。 彼の着席するのを待って一人の嘆願者が進み出た。 願いを容れられないで彼はシーザーの衣を捉えた。 それを合図に、短剣をかざした人々がシーザーに襲いかかった。 傷にひるまず身をかわして抵抗した彼も、ブルーツスを認めたときは顔を上衣でおおい、力尽きてポンペイウスの立像の下に倒れた。 <秀村欣二『ギリシアとローマ』1961 世界の歴史2 中央公論社 p. 317-318> Episode 「ブルータスお前もか」 カエサルが暗殺団に殺害されたとき、その実行者の一人に対して「ブルータスおまえもか!」と言ったという話は有名だが、この暗殺事件を細かく伝えているプルタルコスの『英雄伝』カエサル伝には出てこない。 スエトニウスの『ローマ皇帝伝』を見ると、このように書いてある。 引用 四方八方からおのれを目がけて抜身の剣の突きかかるのを見ると。 カエサルは市民服で頭を覆い隠し、同時に左手で着物のを襞を足の先までのばし、下半身をも包んでしまう。 せめて死際の対面だけは保ちたいと願ったのである。 こうして二十三個所を剣で突かれたが、最初の一撃にただ一度、呻いただけで、後は一声も発しなかった。 もっともある伝えによると、襲ってきたマルクス・ブルトゥスに「お前もか、倅(せがれ)よ」と言ったという。 <スエトニウス/國原吉之助『ローマ皇帝伝』上 岩波文庫 p. 86> この「せがれよ」という意味は、訳者國原氏に拠れば、ギリシア語で伝えられており、それは「若憎」といったような意味合いだったという。 また、ブルトゥスは前85年生まれで、カエサルはその時15歳、二人が父子と言うことは想像できないとしている<同上書 訳注 p. 309>。 カエサルの死後 前44年にカエサルが暗殺されると、元老院にはすでに統治能力が失われており、ギリシアに逃れたブルトゥスなどの共和派を倒した部将のとカエサルの養子として指名されたが力を強めた。 二人は継承権を主張して対立したが、一旦は部将の一人を加えたが成立、対立は回避された。 しかし、アントニウスがエジプトのと結んで東方で勢力を伸ばしたことで対立が再燃、前31年のでオクタウィアヌスはアントニウスとクレオパトラの連合軍を破り、更に翌年アレクサンドリアを攻撃してクレオパトラが自殺、プトレマイオス朝エジプトを滅ぼした。 その結果、権力を集中させたオクタウィアヌスは前27年にの称号を贈られ、となり、ローマは共和政からに移行した。

次の

ブルータスお前もか!の4コマ漫画2編。カエサルはトランプのダイヤのキング!の話から

ブルータス カエサル

紀元前1世紀、史上初の終身独裁官として古代ローマをまとめ上げていた ガイウス・ユリウス・カエサル。 カエサルの言葉でも特に有名なのが、彼が死に際にいった 「ブルータス、お前もか」というセリフです。 共和制を支持していた元老院(げんろういん)議員たちは、カエサル一人が権力を持つことを良しとせず、暗殺を企てました。 その中の一人に、カエサルが側近として信用していたマルクス・ユニウス・ブルータスも入っていたのです。 カエサルはブルータスが幼いころから父親のように接し、ブルータスが一度反乱を起こした際もそれを許して側近にしています。 この背景を考えると「ブルータス、お前もか」が失意に満ちた言葉だということがわかりますね。 ではなぜ、ブルータスはそこまでの厚意を受けながらも、カエサルの暗殺に加担したのでしょうか? カエサルとブルータスの間に一体何があったのか、詳しく見ていきましょう。 タップでお好きな項目へ:目次• ブルータスとカエサルの関係は? カエサルはブルータスの父親代わりだった カエサルがブルータスを可愛がる理由は、 ブルータスの母、セルウィリアと愛人関係にあったからです。 ブルータスは幼くして父親を亡くしており、未亡人の母、セルウィリアと愛人関係になったカエサルを 父親代わりのようにして育ちました。 ちなみにこのときブルータスの父親を殺したのは、後にカエサルと共に三頭政治を行うグナエウス・ポンペイウスです。 カエサルはブルータスが自分と対立しても許した 政治の道に足を踏み入れたブルータスは、個人を都市の長とする独裁政治を良しとせず、市民が政治の決定権を持つ 共和制を支持していました。 それに対して当時のローマはカエサル、マルクス・リキニウス・クラッスス、そしてブルータスの父を殺したポンペイウスの三人を長とする 三頭政治が行われていたのです。 共和制を支持する元老院議員(市民の中から貴族を中心に集められた議員)たちは三頭政治に反対しており、ブルータスもこれを得て元老院議員へと加わります。 あるとき三人の長のうち、クラッススが遠征に失敗して死亡し、カエサルがガリアへの遠征でローマを留守にしていたタイミングがありました。 このときに三頭政治の崩壊を目論んだ元老院議員たちは、残っていたポンペイウスを自分たちの味方へと引き込み、反乱を起こすのです。 これが紀元前49年に起こったローマ内戦。 このときもカエサルは、元老院議員側についた ブルータスに対して危害を加えないよう、部下に指示していました。 結果内戦はカエサルの勝利に終わるのですが、反乱を起こしたブルータスのことは許し、このときに自分の 側近の地位まで与えているのです。 ブルータスが共和主義にこだわった理由は? カエサルから多大な恩義を受けていたブルータス。 どうして彼はその恩義を差し置いても、共和主義にこだわっていたのでしょうか。 叔父小カトーの影響 一つは叔父の 小カトーの影響です。 ブルータスの政治のキャリアは、キプロス島の知事をしていた小カトーの補佐官から始まっています。 つまり小カトーはブルータスに政治のイロハを教え込んだ人物なのです。 小カトーは共和制を強く支持しており、このころにブルータスもその思想を植え付けられます。 ローマ内戦後、小カトーは自害。 彼は独裁政治に屈するぐらいなら死を選ぶぐらい、共和制に対する支持が強かったのです。 そしてローマ内戦の後、ブルータスは小カトーの娘であるポルキアと結婚しています。 ポルキアはカエサルに対して、小カトーが死んだことの恨みもあり、また父譲りで共和主義の思想も強く持っていました。 政治の師匠である小カトー、そして妻ポルキアの影響が、ブルータスの反カエサルの想いを強めていたのです。 祖先がローマに共和制をもたらした人物だった ブルータスが共和制にこだわった理由はもう一つあります。 それは自身の 祖先がローマに初めて共和制をもたらした功績を持つ、ルキウス・ユニウス・ブルータスだったということ。 これを得てガイウス・カッシウス・ロンギヌスによって、ブルータスはカエサルの側近であるにも関わらず、暗殺のリーダーに仕立て上げられます。 ロンギヌスは、ブルータスがその血筋を持っていることが、リーダーとしてふさわしいと睨んだわけですね。 また、祖先がローマに共和制をもたらした人物だということが、ブルータスに誇りを抱かせ、共和主義の思想をさらに強めていたのです。 そして紀元前44年3月15日、元老院議場にて、ブルータス率いる元老院議員たちによってカエサルは暗殺されてしまいます。 暗殺に成功したブルータスはどうなったのか 以上のようにブルータスをリーダーとして、元老院議員たちはカエサルの暗殺に成功するわけですが、そのあと彼らはどうなったのでしょうか。 市民から反感を買って逃亡 カエサルはローマ内戦のあと、終身独裁官の地位を手に入れてローマの長として君臨していました。 しかし独裁とはいっても、彼は自分一人が私腹を肥やすようなことはしなかったのです。 カエサルは利益を得れば市民にも平等に分け与える気構えを持っていました。 さらにガリア征服の功績などもあり、市民からの支持は厚かったのです。 それに対し、ブルータス率いる元老院議員たちは、カエサルをだまし討ちにしました。 カエサルは自分に反感を持つ元老院議員さえも信用し、周囲が引き留める中、暗殺が行われた議場に護衛もつけずに現れたのです。 カエサルの潔さを前にして、元老院議員たちは卑劣極まりないとして、市民から反感を買うことになります。 これを経て、ブルータスを含む暗殺の首謀者たちはローマから東方へ逃げることを余儀なくされました。 カエサルの後継者たちが揉めている隙をつこうとするも失敗 ブルータスも諦めが悪いといいますか… 市民の反感を買って逃亡したあとも、独裁政治の体制を崩すチャンスをずっと伺っていたのです。 そしてそのチャンスは訪れました。 カエサルの遺言で後継者となったオクタウィアヌスと、カエサルの元腹心であったアントニウスが、権力を巡って仲間割れを始めたのです。 「待ってました!」といわんばかりに、ブルータスはその混乱に乗じてローマに攻め入ろうとします。 しかしブルータスが攻めてくることがわかると、オクタウィアヌスとアントニウスは一時休戦。 ひとまず手を結ぶことにします。 結果ブルータスはまたしても敗北。 結局最後は捕虜にされることを嫌って、自害することになるのでした。 きょうのまとめ カエサルから多大な厚意を受けながらも、それを裏切ったブルータス。 二人を取り巻くしがらみを簡単にまとめると、以下のような感じでしょうか。

次の