千曲 川 地図。 千曲川決壊の長野市 コロナで復興に遅れ(日テレNEWS24)

洪水・土砂災害ハザードマップ

千曲 川 地図

浜口です。 テツの話を。 の続きを。 青海川から信越本線を乗り継ぎ、直江津からは南に。 日本海をどんどん離れ、内陸の山、妙高へ。 さらに南下すると、豊野に到着。 ここから飯山線に乗って千曲川・信濃川の旅に出る。 飯山線は長野県と新潟県をまたいで走る典型的なローカル線。 沿線駅近にめぼしい金融機関はほとんどなく、ゆえにこれまで、出張でこの線に乗るご縁はなかった。 だから今回の初乗車・初完乗が楽しみ。 まずは以下にこの線に関する、wikiの説明を: 飯山線は、長野県内では千曲川に沿い、新潟県内に入ると千曲川から名を変えた信濃川に沿って、 日本有数の豪雪地域を通る。 沿線には野沢温泉などの温泉地やスキー場が多い。 路線のほとんどが谷沿いの山間部を通るため、主に夏季は大雨による土砂災害、冬季は大雪による雪崩や除雪作業等により、しばしば運休することがある。 森宮野原駅は1945年(昭和20年)2月に駅における 最高積雪量7m85cmを記録し、それを示す標柱が駅構内に建つ・・・とのこと。 以上からわかるとおり冬は大変なようだが、そういう路線に限って、それ以外の季節は風光明媚。 当方が旅した秋10月は、たいへん穏やかで綺麗だったな。 飯山線の位置関係。 マイナー過ぎて、路線がGoogle map上に出てこない。 正確には長野県長野市 の豊野 から飯山・十日町を通り、新潟県長岡市 の越後川口 に至る。 越後川口はこの地図の、南魚沼あたりかな。 で出てきた、南魚沼産コシヒカリの産地ですね。 飯山線豊野駅にて。 鈍行だが、車両は飯山線観光列車「おいこっと」用が使われていた。 この車両はJR東日本のHPによれば、以下の説明が: 千曲川沿いに里山、田畑、民家などが連なる飯山線。 日本人の心の故郷を代表するローカル線として、訪れる人すべてに安らぎと癒しを提供したいと言う思いをイメージにしたコンセプト列車です…とのこと。 車内はこんなムード。 レトロな味わいがあるな。 のどかな田園風景だよな。 津南のあたりは、世界有数の豪雪地帯。 写真のような、金属製の急角度の屋根が目立つ。 屋根は表面がつるつるしており、少々の雪なら滑り落ちていくようにできている。 確かにこんな急角度の屋根の家見るのは、初めてだな。 長野を過ぎてしばらく後、飯山あたりから越後鹿渡あたりまで。 1時間40分程度、右側に千曲川を望むことになる。 こんな車窓。 ちょっと感動的なくらい、綺麗だよな。 長野方面から飯山線に乗るときは、席は右側が良い。 千曲川が堪能できるから。 今回紹介している写真も、千曲川に関しては全て、右側の車窓で撮ったもの。 ちなみに越後鹿渡の先以降は千曲川は左側に移り、森宮野原からは新潟県に入るので名称が信濃川に変わる。 さて: 今回の旅行は奇跡に近いものがあったと思う。 二泊三日の旅だったが、どの日もほぼ、快晴だった。 これは秋とはいえ、日本海側では本当に珍しいこと。 こんなに天気に恵まれた旅のチャンスはなかなかない。 なんとも嬉しい限り。 テツの一人旅はいいな。 1人ぼっちでも、テツが勝手に行きたい所に連れて行ってくれるし、きれいな車窓を楽しませてくれる。 ローカル線は車両が古いと窓が汚れていて、外が綺麗に見えないこともたまにはある。 今回は新型の観光列車「おいこっと」車両だったので問題なかった。 もし不幸にも、 景色は綺麗だが窓が綺麗でない場合は、窓を開けてしまうか、一番前もしくは一番後ろから車窓を見るしかない。 この場合にはもちろん、立ったままでいることになるが・・・ 当方、今回の旅をもって、国内については北海道以外は、日本のめぼしいところ、かなり行き尽くした気がする。 でも2度目3度目の旅と言うのも、それはそれでいいもの。 季節や天気によって、その土地の印象は劇的に変わるし、2度目の旅は慣れもあり、要領よく効率よく回ることができる。 これからもこんな旅を続けていきたいな。 人生、悪くないって。

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千曲川

千曲 川 地図

信濃川(新潟県) 信濃川(しなのがわ)は、およびを流れるで信濃川の本流である。 でに注ぐ。 このうち信濃川と呼ばれているのは新潟県域で、長野県に遡ると 千曲川 ( ちくまがわ )と呼称が変わる。 この項目では千曲川と呼称される上流部を合わせ記述する。 全長367 のうち、信濃川と呼ばれている部分が153 kmで、千曲川と呼ばれている部分は214 kmと、60 kmほど千曲川の方が長い。 ただし、上は千曲川を含めた信濃川水系の本流を信濃川と規定しているため、信濃川は長い川となっている。 のうちの1つである。 11,900は日本で第3位 、新潟と長野の2県でほとんどを占めるが、信濃川水系の一次支川(いちじしせん)であるの源流部がの付近にあるため、信濃川水系の流域は群馬を含む3県に及ぶ。 名称 [ ] 古くは「大きな川」として「大川」(おおかわ)と呼ばれていたが、のちに下流部ではから流れてくる川として、 信濃川と呼ばれるようになった。 長野県内の名称である 千曲川の名前の由来については諸説がある。 字の通り、川が千の数ほど曲がっている様子から名付けられた。 旧から下流の千曲川は狭窄部が連続し、両岸は崖状の地形を呈していることから、「チク(崖)・マ(袋状の湿地)の川」という説がある。 水源地域である長野県の伝説によれば、大昔にに住む神々の間で大きな戦いがあり、この時に流された血潮によってできた川とされており、その血潮があたり一面隈なく流れた様子から「血隈川」と言うようになったという伝説もある。 なお、千曲川の支流であるは長野県西部の(ちくま)地方を流れているが、筑摩は古くは「つかま」と呼ばれたため、直接の関係はないと見られる。 千曲川は『』の頃から多くの詩歌に歌われ、近代になっても流域の・周辺を(『』『』)が、周辺から新潟付近の(現・)周辺を(『』『』)が歌にしている。 地理 [ ] 千曲川は・・長野県の県境に位置するの長野県側斜面()を源流とし、、などを源流とする諸河川と合流しつつ(佐久平)、(上田平)を北流する。 (善光寺平)のの北端に該当する場所で、を源流とし(松本平)から北流してきたと合流する。 なお合流地点には(おちあいばし)が架橋されている。 この橋はT字型の特殊な形態の橋である。 その後、川は北東に流れ、新潟県に入って 信濃川と名前を変える。 信濃川は、を通って(新潟平野)に出て、群馬・新潟県境のから流れてきたと合流、でに注ぐ。 はの河口に近く、時代によっては新潟の地で合流して河口を共有していたこともあった。 勾配の変化を見ると、上流部の佐久地域で 7. 3、上田地域で、5. しかし、長野市周辺では、0. こうした勾配の変化をもたらしている原因は後期のと隆起に伴い形成されたによる物である。 隆起としては中野市から飯山市付近の高丘丘陵などが影響を与えて、断層としては立ヶ花付近にはの一つである長丘断層が河を横切っている、また西大滝ダム付近には重地原断層、北竜湖断層があり、長野新潟県境付近には津南断層がある。 長野県にある水位標。 地面が水位約6. 9m で、一番上が、2年の氾濫水位 10. 7 mを示す。 千曲川流域ので最も古いものは、文献(『』)などに4年(888年)が記録されている。 歴史上、最大の洪水は(2年)に起き、「」と呼ばれている。 そして治世の時代を通じて64回の水害が記録されていたとされる。 6月20日(仁和4年)に発生したでの山麓がして形成された()が303日後に決壊し、発生したが原因と考えられる洪水。 大月川に出来た河道閉塞の湛水量は5. 8億 と推定されている。 (12年)千曲川大洪水で船山郷が流失。 (7年)千曲川大洪水で黒彦郷が流消分散。 (2年) 、 千曲川で史上最大の大洪水 立ヶ花水位(36 10. 9 m)。 死者 2,800名• (4年) による土砂崩れが犀川をせき止め、崩壊して下流に大きな被害。 立ヶ花水位 8. 2 m• (6年) 現在の千曲市の戸倉大西、千本柳下河原堤防が決壊。 () 千曲川、この年合計7回の出水、4月と5月は甚大な被害。 家屋流出102戸。 (15年) 9月、10月堤防決壊、浸水700戸。 (明治29年) 千曲川、寛保以来の大洪水。 「」流出、浸水家屋は10,000戸以上。 (明治30年) 千曲川、犀川ともに洪水、千曲川流域で浸水家屋599戸。 (明治31年) 現在の千曲市の粟佐堤防決壊、浸水7,300戸以上、死者6名。 (明治43年) 千曲川をはじめ、各河川が氾濫。 流失259戸、床上・床下浸水12,800戸以上。 (3年) 死傷者36人、流出家屋30戸、浸水家屋339戸。 (20年) の影響による低気圧による大雨、死者42人、床上浸水2,204戸、床下浸水4,843戸。 長野市綱島と大倉崎で破堤。 (昭和24年) による。 全壊家屋45戸、半壊家屋187戸、浸水家屋1,478戸。 長野市丹波島と須坂市村山で破堤。 (昭和33年) 21号により中小河川が氾濫決壊、死者9名、全壊家屋9戸、半壊家屋62戸、流出家屋19戸、床上浸水564戸、床下浸水2,807戸。 (昭和34年) 台風7号 による、死者・行方不明者65人、全壊家屋1391戸、半壊家屋4091戸、床上浸水4238戸、床下浸水10959戸。 立ヶ花水位10. 44m• (昭和36年) 6月 による大雨により千曲川流域の死者107人、全壊家屋903戸、半壊家屋621戸、床上浸水3170戸、床下浸水15351戸。 (昭和40年) 長野県内死者2人、床上浸水265戸、床下浸水2815戸。 (昭和44年) 犀川支川高瀬川流域に被害が集中。 観光客、登山客が高瀬、梓渓谷に約500人取り残され、3日後に救出。 (昭和56年) 昭和34年以来の大洪水、死者11人、床上浸水4906戸、床下浸水3683戸。 (昭和57年) 6月、梅雨前線とによる。 死者4人、全壊流出家屋23戸、半壊44戸、床上浸水80戸、床下浸水1384戸。 立ヶ花で昭和34年に次ぐ戦後第2の水位。 9月、台風18号による。 千曲川支川の樽川が決壊、死傷者54名、床上浸水3794戸、床下浸水2425戸。 (昭和58年) 梅雨前線 によりの千曲川本流が破堤、死者9名、全壊家屋7戸、半壊家屋8戸、床上浸水3891戸、床下浸水2693戸。 立ヶ花で既往最高水位を記録。 13m• (昭和60年) 犀川で被害発生、床上浸水171戸、床下浸水1032戸。 (7年) 梅雨前線 による。 家屋浸水765戸、JR飯山線に大きな被害。 (平成10年) 床上浸水8戸、床下浸水110戸。 (平成11年) による、死者1名、浸水家屋779戸、道路寸断、列車運休が多発。 (平成16年) による。 床上浸水31戸、床下浸水432戸立ヶ花において既往第4位の水位を記録、浸水家屋139戸。 立ヶ花水位10. 32m• (平成18年) 7月梅雨前豪雨。 床上浸水4戸、床下浸水50戸。 立ヶ花及び陸郷において既往第2位の水位を記録、避難勧告4市11地区。 立ヶ花水位10. 68m• (元年) 10月、(台風19号)による。 長野市穂保(左岸)で千曲川本流が約70 m にわたって決壊。 北陸新幹線などに大きな被害。 上田市諏訪形でのが崩落した。 後述の河川改修・治水工事により、同じ規模の増水では堤防の決壊などは起こらなくなっていることが読み取れる。 立ヶ花観測点(1951年観測開始)は旧(現・長野市)と中野市の境にある国土交通省による水位観測点で、千曲川河床の勾配が緩くなると共に1,000 mを超える川幅が210 mにまで狭窄する部分。 これより下流は、後半から始まる地盤の隆起のため川の流れは蛇行して流速が落ちる。 立ヶ花水位観測点の計画高水位は10. 75 m、氾濫危険水位は8. 6m、普段の水位は2 - 3 m程度。 新潟県の水害 [ ]• 1620年 ( 6年) 西北地方で氾濫。 1868年(明治元年)流出家屋10戸。 1896年(明治29年)「」。 流出家屋 2500戸、大川津水位 4. 1913年(大正2年) 小阿賀野川北岸の木津池点が破堤(「木津切れ」)、浸水1440戸、死者2名。 1914年(大正 3年)死者55名、床上浸水7154戸、床下浸水1881戸。 1917年(大正 6年)「」。 曽川水門補修箇所で破堤。 死者76名、流出家屋19戸。 大川津水位 4. 1917年(大正15年)死者1名、流出家屋3戸、床上浸水250戸、床下浸水120戸。 1935年(昭和10年)家屋浸水425戸。 1949年(昭和24年)キティ台風による洪水、家屋全壊1戸、床上浸水45戸、床下浸水307戸。 1952年(昭和27年)死者3名、流出家屋1戸、床上浸水156戸、床下浸水1858戸。 東台通川で破堤。 1956年(昭和31年)死者7名、床上浸水730戸、床下浸水1605戸。 1958年(昭和33年)死者9名、流出家屋19戸、床上浸水4429戸、床下浸水7723戸。 1959年(昭和34年)死者3名、床上浸水44戸、床下浸水859戸• 1960年(昭和35年)死者4名、全壊家屋2戸、半壊家屋2戸、床上浸水1474戸、床下浸水4602戸。 1961年(昭和36年)8月台風による大雨により、死者3名、全壊家屋2戸、半壊家屋2戸、床上浸水1474戸、床下浸水4602戸。 1964年(昭和39年)全壊家屋20戸、半壊・床上浸水2730戸、床下浸水13970戸。 1967年(昭和42年)全壊家屋21戸、半壊・床上浸水5072戸、床下浸水12496戸。 1969年(昭和44年)高柳川で破堤。 死者9名、全壊家屋122戸、半壊・床上浸水839戸、床下浸水7447戸。 1978年(昭和53年)全壊家屋21戸、半壊・床上浸水4217戸、床下浸水9035戸。 1981年(昭和56年)魚野川()で破堤。 死者2名、床上浸水1446戸、床下浸水1502戸。 1982年(昭和57年)9月、半壊家屋1戸、床上浸水52戸、床下浸水322戸。 1983年(昭和58年)床下浸水12戸。 1985年(昭和60年)床上浸水1戸、床下浸水13戸。 1998年(平成10年)8月梅雨前線 により、半壊家屋3戸、床上浸水1422戸、床下浸水8842戸。 9月台風により、床上浸水3戸、床下浸水183戸。 2004年(平成16年)(7・13水害)。 前線により、とで破堤。 死者15名、全壊家屋169戸、半壊家屋810戸、床上浸水10712戸、床下浸水6359戸。 2011年 平成23年 により信濃川水系五十嵐川が破堤を中心に被害をもたらした。 2019年 令和元年 (台風19号)により信濃川が増水して内を流れる浄土川が氾濫し、長岡市今井地区で浸水被害を受けたほか・でも信濃川の氾濫により浸水被害が発生した。 にあるでは過去最高水位17. 06mを記録した。 生態系 [ ] 「」も参照 信濃川水系開発史 [ ] 為政者達の治水 [ ] 、新潟市を中心としたの一部は日本海であった。 その後、徐々に信濃川やが運搬してきた土砂と、が運んできた土砂がを形成して。 現在の越後平野を形成したがで方々にが存在し、水捌けの悪い地域であった。 又、洪水によって幾度も流路を変えた。 (2年)、春日山城主の執政で名将と謳われたは・付近の洪水調節を図る為を開削。 これが近世信濃川史の端緒となる。 上杉氏転封後の、主となったは中ノ口付近も領していた為に代々の藩主は河川改修を実施していた。 第9代藩主のは信濃川の河川改修に特に力を入れた。 開削の大事業を行って蒲原平野に存在していた3つの潟の悪水を日本海に排水し、蒲原平野のを成功させた。 信濃国・千曲川でも江戸時代を通じて64回の洪水を記録し、犀川との同時洪水ですら11回を記録するという。 この間にや主・の親子や、松代藩へ国替えとなった歴代が築堤や掘割、河道の付替えなどを度々行った。 だが、度重なる治水事業を行っているにも拘らず、信濃川は氾濫を繰り返して為政者の頭を悩ませた。 こうした中で浮上して来たのが計画である。 近代の治水 [ ] およびと信濃川を結ぶ (昭和23年)からは千曲川第二期補修事業が(現・北陸)の手によって着手され現在も進行中である。 しかし、数年に一度は洪水による被害を流域は受けており、根本的な治水対策としてによる洪水調節が図られた。 信濃川水系においては建設省直轄事業よりも先に新潟県・長野県によるが推進され、()、(笠堀川)等が建設された。 建設省は(昭和35年)にの建設を計画したが、(昭和39年)のによって新潟市内が広範囲にわたり浸水したことからの排水計画に着手した。 この後、が(昭和44年)に完成。 関屋分水路は(昭和47年)に通水し、・中の口川水門も建設が開始された。 だが1969年8月のは流域に大きな被害をもたらし、対策として建設省は(昭和49年)、「 信濃川水系工事実施基本計画」を改定。 この中での建設を計画し、()が(昭和61年)に、(三国川)が(5年)に完成した。 県営でも(五十嵐川)や()が新潟県に、()や(裾花川)が長野県に完成した。 又、人口が急増しているに上水道を供給するため(信濃川)が(平成2年)に完成している。 治水整備は進められている一方、その後も水害は繰り返し起こり、(平成16年)には(7・13水害)が・等に被害をもたらした。 この様に古来より洪水と治水は「」の状況で、信濃川の治水の難しさを物語っている。 2010年代に入ってもダムの建設は進められ、(和田川。 2011年竣工)、(晒川。 2012年中止)などが挙げられる。 前述の(台風19号)による被害を受けて、2020年代にかけて『信濃川水系緊急治水対策プロジェクト』が進められている。 日本屈指の水力発電地帯 [ ] を水源に持つ支流の湖、湖 一方、信濃川は水量が豊富でかつ上流部は・・である事から急流であり、には絶好の適地であった。 大正時代には高瀬川の高瀬川発電所が建設されていたが、昭和初期に入ると各地で水路式発電所が建設された。 特に、旧・(現・)は信濃川に大規模水力発電所を建設。 信濃川本川にを(昭和13年)に建設、新山本・浅河原調整池や千手・小千谷・新小千谷発電所を建設しの鉄道運転の為の電力を供給した(詳細はを参照)。 後、大規模な所が各所に建設された。 特に梓川の・や高瀬川の、南相木川の、清津川のは日本有数の規模を誇り、首都圏に電力を供給する上での重要性は大きい。 公共事業見直しと「脱ダム宣言」 [ ] この様に信濃川は治水・利水の為の施設が多く存在する。 だが、1990年代以降見直しの機運が全国的に高まり、・等全国の主要河川においてダムを始めとする河川施設の建設中止が相次いだ。 信濃川水系も例外ではなく(平成12年)に信濃川水系では最大規模の総貯水容量を擁する予定であった(清津川。 国土交通省北陸地方整備局)が、(平成13年)には戦前から連綿と続き戦後「」でも取り上げられた『只見川水力発電新潟分水案』に基づく「湯之谷揚水発電計画」、その根幹である佐梨川ダム(。 新潟県)が上池と共に中止となり長年に亘る新潟分水案はここに潰えた。 県営ダムでも三用川ダム(三用川・新潟県)が建設中止となっている。 又、国土交通省北陸地方整備局(当時は建設省北陸地方建設局)は(昭和56年)の信濃川洪水を機に、(昭和29年)より構想のあった「 千曲川上流ダム計画」をに計画した。 これは洪水調節・上水道等を目的とした多目的ダムとして、信濃川本川上流に堤高約80. 0 m、総貯水容量が約70,000,000 tという本格的なダムを建設しようとしたものである。 「千曲川上流ダム」が完成すると南牧村を中心に250戸が水没する他、JRが水没する。 (昭和59年)に実施計画調査の為の予算が付いたが住民の強硬な反対に遭い、その後地元南牧村を始め南佐久郡5町村が建設推進を撤回して反対に回り、計画が凍結した。 その後公共事業見直しの機運の中で計画は再検討され、2002年に「千曲川上流ダム計画」は国土交通省によって白紙撤回となった。 こうして日本最長の河川に建設される予定であった唯一の多目的ダムは中止されたが、ダムに代わる治水代替案は確定されていない。 (平成14年)に入ると、長野県知事・の『』によって長野県内に計画中の信濃川水系のダム計画が纏めて中止となった。 ()、角間ダム(角間川)、黒沢ダム(黒沢川)、清川ダム(清川)が対象となり、有無を言わさぬ形での中止であった。 この宣言には「先進的な思想」「環境保護を重視した良策」「公共事業と利権の癒着を抉り出す第一歩」と賞賛する声が多い。 その一方で「治水対案が根拠薄弱」「住民の安全を無視した愚策」との批判もある。 代替案である「河道内」が結局は名前を変えたダムであるとの指摘もあり、浅川ダムの様に下流住民の合意を得ずに中止した面もあるため、洪水の多発する信濃川で今後洪水が起こったときに知事がどのような対応を取るのか、注目されていたが、(平成18年)7月ので天竜川流域が豪雨による被災を受けた。 『脱ダム宣言』が直接災害に関係していたわけではないにしろ、治水対策の不備を含め田中県政に対する様々な不満が表面化。 県知事選挙に敗北し、田中は野に下った。 田中に代わりが知事に就任した。 『脱ダム宣言』については当初は批判的発言を繰り返していたものの就任後は性急なダム建設回帰には慎重な姿勢を示したが、2007年(平成19年)2月、河道内遊水池(穴あきダム)を是とする判断が出された。 信濃川水系の主要河川 [ ] この節はなが全く示されていないか、不十分です。 して記事の信頼性向上にご協力ください。 ( 2018年1月) 信濃川の利水に関しては、本流と支流で異なった特徴を持つ。 信濃川本川には高さ50メートルを超える・は存在しないが、その分、が多い。 一つの河川に放水路が2か所も建設されているのは信濃川だけである。 それだけ治水に苦労していることをうかがい知ることができる。 また、や、ほど水資源確保のための系統的利水施設が多く存在しないのも特徴で、主眼はあくまでも治水とに置かれている。 逆に支流には大小数多くの治水・治山・利水ダムが建設されている。 一方、水力発電施設においては全国屈指の発電量・発電施設を誇る。 所だけでも梓川、相木川、高瀬川、黒又川、清津川の5か所に建設された実績があり、これも全国屈指の数である。 また、新潟県内ではが首都圏の鉄道網を支える電力供給を信濃川から得ている。 その歴史の中でも起きた。 河川施設一覧 [ ] ダム 一次 支川名 (本川) 二次 支川名 三次 支川名 ダム名 堤高 (m) 総貯水 容量 (千m 3) 型式 事業者 備考 千曲川 - - 14. 2 335 小堰堤 千曲川 - - 14. 2 770 重力式 東京電力ホールディングス 小堰堤 信濃川 - - 16. 4 970 重力式 信濃川 - - - - 東日本旅客鉄道 信濃川 - - - - 国土交通省 信濃川 - - - - 可動堰 国土交通省 信濃川 - - - - 放水路 国土交通省 信濃川 - - 信濃川水門 - - 国土交通省 (河道外) - - 浅河原調整池 37. 0 1,065 東日本旅客鉄道 土木遺産 (河道外) - - 新山本調整池 42. 4 3,640 東日本旅客鉄道 相木川 南相木川 - 136. 0 19,170 ロックフィル 東京電力ホールディングス 抜井川 - - 48. 5 2,200 重力式 抜井川 余地川 - 42. 0 523 重力式 長野県 湯川 - - 50. 0 3,400 重力式 長野県 金原川 - - 36. 5 388 ロックフィル 長野県 依田川 - 51. 3 2,000 重力式 長野県 神川 - - 41. 8 3,451 重力式 長野県 - - - - 東京電力ホールディングス 小堰堤 犀川 - - 29. 0 - 国土交通省 犀川 - - 155. 0 123,000 アーチ式 東京電力ホールディングス 犀川 - - 95. 5 15,100 アーチ式 東京電力ホールディングス 犀川 - - 60. 0 10,700 アーチ式 東京電力ホールディングス 犀川 - - 5. 8 - 可動堰 小堰堤 犀川 - - 19. 5 3,100 重力式 東京電力ホールディングス 犀川 - - 20. 0 3,033 重力式 東京電力ホールディングス 犀川 - - 25. 3 4,248 重力式 東京電力ホールディングス 犀川 - - 19. 3 2,755 重力式 東京電力ホールディングス 犀川 - - 21. 3 2,546 重力式 東京電力ホールディングス 犀川 セバ川 - 22. 7 46 重力式 東京電力ホールディングス 犀川 - 60. 0 8,000 ロックフィル 長野県 犀川 - 176. 0 76,200 ロックフィル 東京電力ホールディングス 犀川 高瀬川 - 125. 0 32,500 ロックフィル 東京電力ホールディングス 犀川 高瀬川 - 107. 0 33,900 重力式 国土交通省 犀川 会田川 水上沢川 38. 0 276 重力式 長野県 犀川 麻績川 宮川 43. 0 213 重力式 長野県 犀川 麻績川 別所川 36. 5 1,930 重力式 長野県 犀川 - 59. 0 5,400 重力式 長野県 犀川 裾花川 - 83. 0 15,000 アーチ式 長野県 犀川 裾花川 - 18. 0 330 重力式 百々川 灰野川 - 81. 0 2,580 重力式 長野県 - - 44. 0 28,700 ロックフィル 東京電力ホールディングス 中津川 - - 20. 7 220 重力式 東京電力ホールディングス 中津川 - - 55. 3 630 重力式 東京電力ホールディングス 中津川 (河道外) - 33. 0 560 ロックフィル 東京電力ホールディングス 清津川 - - 87. 0 18,300 ロックフィル 清津川 カッサ川 - 90. 0 13,500 ロックフィル 電源開発 清津川 カッサ川 - 20. 5 104 アーチ式 東京電力ホールディングス 清津川 釜川 - 大谷内ダム 23. 2 1,206 アース 三国川 - 119. 5 27,500 ロックフィル 国土交通省 魚野川 - 93. 5 15,800 重力式 魚野川 破間川 - 薮神ダム 23. 0 1,857 重力式 土木遺産 魚野川 破間川 黒又川 82. 5 60,000 アーチ式 電源開発 魚野川 破間川 黒又川 91. 0 42,850 重力式 電源開発 魚野川 破間川 黒又川 24. 5 1,454 重力式 東北電力 土木遺産 魚野川 破間川 和田川 80. 5 12,400 重力式 新潟県 大河津分水 - - - - 可動堰 国土交通省 中ノ口川 - - 中ノ口川水門 - - 水門 国土交通省 刈谷田川 - - 83. 5 4,450 重力式 新潟県 - - 75. 5 20,000 ロックフィル 新潟県 五十嵐川 笠堀川 - 74. 5 15,400 重力式 新潟県 下条川 - - 下条川ダム 31. 0 1,530 重力式 新潟県 関屋分水 - - - - 可動堰 国土交通省 注 :黄欄は建設中もしくは計画中のダム(2006年時点)。 頭首工・取水堰 一次支川 (本川) 所在地 堰名 管理主体 備考 千曲川 長野県 上田農水頭首工 土地改良区 - 千曲川 長野県埴科郡 埴科頭首工 土地改良区 - 信濃川 新潟県 大島頭首工 新潟県 - 水位観測点 [ ] 国土交通省 河川事務所の観測点は、下流側より 新潟県• 西港 新潟市入船町• 帝石橋 新潟市山田• 新酒屋 新潟市花ノ牧• 臼井橋 新潟市堀掛• 保明新田 保明新田• 荒町 三条市荒町• 尾崎 三条市栄町尾崎• 大河津 燕市大川津• 長岡 長岡市信濃1丁目• 小千谷 小千谷市元町433-2• 岩沢 小千谷市真人町• 十日町所在地 新宮乙• 宮野原 津南町上郷寺石 長野県• 立ヶ花 中野市立ヶ花52-1• 大倉崎 飯山市常盤• 殿橋 中野市大字江部632-1• 杭瀬下 杭瀬下• 生田 上田市生田下梨平• 塩名田 佐久市御馬寄1538 主な橋梁 [ ] この節はなが全く示されていないか、不十分です。 して記事の信頼性向上にご協力ください。 ( 2018年1月) 河口より記載• 信濃川• () - () - - () - - - 信濃川橋梁() - - - - - 第二信濃川橋梁() - () - - - - - - - - - - 鉄道橋 - -- 第一信濃川橋梁(上越新幹線) - (北陸自動車道) - - - - - (北陸自動車道) - - - - - - 信濃川橋梁() - - - - - - - - () - - - - - - 信濃川橋梁() - - - 信濃川橋梁() - - - - -• 千曲川• 百合居橋 - 東大滝橋 - 市川橋 - 湯滝橋 - 柏尾橋 - 常盤大橋 - 大関橋 - 中央橋 - 綱切橋 - 第五千曲川橋梁() - 古牧橋() - - 北千曲川橋() - - 第四千曲川橋梁(北陸新幹線) - - (との併用橋) - - - - - - - - - 千曲川橋梁() - 第三千曲川橋梁(北陸新幹線) - 千曲川橋() - 粟佐橋 - 千曲橋() - - - - - - 昭和橋 - - - 鼠橋 - (国道18号) - - - () - - - (北陸新幹線) - - () - 田中橋 - 羽毛山橋 - 境橋 - 布引大橋 - 大久保橋 - 戻り橋 - 小諸大橋 - 大杭橋 - 宮沢橋 - 浅科大橋 - 第一千曲川橋梁(北陸新幹線) - 中津橋 - 琵琶島橋 - 佐久橋 - 御影橋 - 浅蓼大橋() - 佐久大橋 - 野沢橋 - 住吉橋 - 臼田橋 - 三条大橋 - 八十巖橋 - 栄橋 - 栄海橋 - 南佐久大橋() - 下畑橋 - 宮前橋 - 天神橋 - ちくま橋 - 高岩橋 - 東馬流橋 - 馬流橋 - 清流ふれあい橋 - 小海大橋 - 第七千曲川橋梁() - 箕輪橋 - 第六千曲川橋梁(小海線) - 海尻橋 - 第五千曲川橋梁(小海線) - 海ノ口大橋 - 第四千曲川橋梁(小海線) - 古屋敷橋 - 第三千曲川橋梁(小海線) - 向橋 - 第二千曲川橋梁(小海線) - 広瀬橋 - 第一千曲川橋梁(小海線) - 樋沢新田橋 - 男橋 - 本郷橋 - 赤顔橋 - 大深山橋 - 横沢橋 - 金山橋 - 小坂橋 - 下木戸橋 - 居倉橋 - 秋山3号橋 - 秋山2号橋 - 秋山1号橋 - 室屋橋 - 黒巌橋 - 日本基橋 - 蓬1号橋 - 蓬2号橋 - ()• 蓬2号橋• 蓬1号橋• 日本基橋• 黒厳橋• 室屋橋• 秋山1号橋• 秋山2号橋• 秋山3号橋• 居倉橋• 下木戸橋• 小坂橋• 金山橋• 横沢橋• 大深山橋• 赤顔橋• 本郷橋• 樋沢新田橋• 第一千曲川橋梁()• 広瀬橋• 第二千曲川橋梁(小海線)• 第三千曲川橋梁(小海線)• 古屋敷橋• 第四千曲川橋梁(小海線)• 海ノ口大橋• 第五千曲川橋梁(小海線)• 海尻橋• 第六千曲川橋梁(小海線)• 箕輪橋• 第七千曲川橋梁(小海線)• 小海大橋• 清流ふれあい橋• 馬流橋• 東馬流橋• 高岩橋• ちくま橋• 天神橋• 宮前橋• 下畑橋• 南佐久大橋• 栄海橋• 八十厳橋• 三条大橋• 臼田橋• 住吉橋• 野沢橋• 佐久大橋• 浅蓼大橋• 御影橋• 千曲川橋• 佐久橋• 琵琶島橋• 第一千曲川橋梁()• 浅科大橋• 宮沢橋• 大杭橋• 小諸大橋• 戻り橋• 大久保橋• 布引大橋• 羽毛山橋• 田中橋• (北陸新幹線)• 大望橋• 千曲橋• 粟佐橋• 千曲川橋(長野自動車道)• 第三千曲川橋梁(北陸新幹線)• 千曲川橋梁()• 合流点• (供用橋)• 第四千曲川橋梁(北陸新幹線)• 北千曲川橋()• 上今井橋• 古牧橋• 第五千曲川橋梁(北陸新幹線)• 綱切橋• 中央橋• 大関橋• 常盤大橋• 柏尾橋• 湯滝橋• 市川橋• 東大滝橋• 百合居橋• 信濃川• 千曲川• 宮野原橋• 上郷橋• 田中橋• 信濃川橋• 豊船橋• 信濃川橋梁()• 宮中橋• 姿大橋• 信濃川橋梁()• 川井大橋• 川口橋• 西倉橋• (合流点)• 牛ケ島大橋• 信濃川橋梁()• (大河津分水分岐点)• 本川橋• 萬盛橋• (中ノ口川分岐点)• 蒲原大橋• 栄橋 北陸自動車道• 第一信濃川橋梁()• 信濃川橋梁()• 景雲橋• (中ノ口川合流点)• 北陸自動車道• 第二信濃川橋梁(上越新幹線)• (関屋分水分岐点)• 信濃川橋梁()• 河口 この節のが望まれています。 千曲川水系の長野県内の。 ただし、犀川水系を除く。 漁業組合名 流域 南佐久・南部 南佐久郡八千穂村から上流の千曲川本支流 佐久 小諸市から南佐久郡佐久町の千曲川本支流 上小 小県郡と上田市の千曲川本流、依田川、神川 更埴 長野市松代町から埴科郡坂城町の千曲川本支流 千曲川 小布施町から長野市松代町の千曲川本支流 北信 鳥居川・夜間瀬川と千曲川本支流 高水 水内郡栄村から飯山市の千曲川本支流 志賀高原 の本支流• 漁業者により捕獲が行われる主な魚種は、、、、、、、、。 特徴的な漁法は「つけ場漁」で、川の流れの中に人工的に整備した産卵床を整え、そこに集まってくるウグイを捕獲する漁法である。 オイカワは1929年に始まったアユの稚魚放流に伴いから移入された。 かつて流域で漁獲量は1万8千〜4万尾の漁獲量を誇った(シロザケ)、マス(サクラマス)は、やの完成により遡上がほとんど無くなり、(昭和15年)を境に漁業としては成立しなくなった。 長野県では「カムバックサーモン」キャンペーンを昭和55年から展開し、21年間で1億6,000万円かけて899万匹を放流したが、西大滝ダム下流まで遡上したのは48匹であった。 放流が行われる主な魚種は、アユ、、、コイ、サケ、、、。 千曲川ではかつて、、、、(の一種)の放流も行政の主導で行われていた。 として生息が確認されている魚類は、カムルチー、、、、、、、、。 「水系全体の流域面積は新潟県の面積 12,584. 18km 2 とほぼ等しい11,900km 2で、利根川、石狩川に次いで第3位となっています。 」(参考)• www. hrr. mlit. 2019年9月6日閲覧。 www. hrr. mlit. 2019年9月6日閲覧。 信州発考古学最前線• 『歴史地震』 26 , 19-23, 2011• 国土交通省 千曲川河川事務所• 国土交通省北陸地方整備局. 2019年10月13日閲覧。 東日本旅客鉄道株式会社 2019年10月13日• 電子版. 2019年10月13日閲覧。 国土交通省 2020年5月11日. 2020年5月11日閲覧。 国土交通省 北陸地方整備局 千曲川河川事務所• 亀田郷土地改良区. 2018年4月11日時点のよりアーカイブ。 2017年6月15日閲覧。。 国土交通省北陸地方整備局 河川部 河川計画課・水災害対策センター(2020年6月16日閲覧)• 2014年11月7日閲覧。 農地部農地建設課施設管理係. 2014年11月7日閲覧。 片野修、中村智幸、山本祥一郎、阿部信一郎「長野県浦野川における魚類の種組成と食物関係」『日本水産学会誌』第70巻第6号、公益社団法人日本水産学会、2004年11月15日、 902-909頁、 :、。 国土交通省千曲川河川事務所• 魚沼漁業協同組合. 2020年6月24日閲覧。 参考文献 [ ] は列挙するだけでなく、などを用いてしてください。 記事のにご協力をお願いいたします。 ( 2019年10月)• 寒川典昭、山下伊千造、南志郎「」『土木史研究』1992年 12巻 p. 251-262, : 関連項目 [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 (大正期の怪事件)• - ・五木ひろしの代表曲。 「」では1975年末の「」と、の前年に控えた1997年末の「」と、2回歌唱披露された。 の1番艦。 艦名は 筑摩川 千曲川、信濃川の上流部 に由来する。 の2番艦。 の5番艦。 外部リンク [ ] 国の機関及び自治体• - 国土交通省水管理・国土保全局• 2002年3月 監修:赤羽貞幸(信州大学教育学部) 発行:北陸建設弘済会 長野支所• 国土地理院• - 国土交通省 国土技術政策総合研究所 NILIM その他• :千曲川源流• (日本河川協会)•

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【台風19号】長野県千曲川が欠壊した場所はどこ?現在の浸水状況やライブカメラ情報

千曲 川 地図

千曲川が決壊!決壊場所、被害状況 長野市穂保で千曲川が決壊したと報道がありました。 【NBS台風19号関連情報 13日午前7時半】千曲川が決壊した長野市穂保です。 多くの住宅が浸水被害に遭っている模様です。 自衛隊が救助活動を行なっています。 上空からの観測によると、堤防は約70メートルにわたって決壊しているとみられる。 引用: 長野市の千穂の堤防で決壊が発生 千曲川の決壊が発生した野田地区はココ! 被害状況は? 国土交通省北陸地方整備局は、長野市穂保の千曲川の堤防の一部が「決壊したもようだ」と午前6時に発表しました。 午前7時ごろの映像です。 堤防が決壊し、水が町の方へと流れています。 新幹線の車両基地も浸水し、新幹線も水に浸かっています。 (午前8時20分頃) — TBS NEWS 防災 TBSNEWS6 北陸新幹線の長野車両センターが水没し、住宅街にも広範囲で水が広がっているようです。 千曲川水位の最新情報、ライブカメラ 入間川の水位・氾濫情報など、最新情報をリアルタイムで確認できるサイトを紹介します。 千曲川 千曲川長野市の避難場所とハザードマップ 台風第19号に対する入間市の避難所情報 【開設避難所】 長野市内 体育館、各公立小・中学校 詳しい状況はでご確認ください。 下記サイトでも避難場所を確認できます。 長野市の(Yahoo! 天気・災害) 長野市の(NAVITIME) 長野市のハザードマップ 千曲川堤防決壊のSNS情報 の が落ちてしまいました。 別角度から。 会社水没… — keita shimizu 555keita 午前8時 信濃川 十日町市の姿橋の様子です 恐ろしいほど水量が増えています 上流の千曲川では氾濫も発生しています 皆様、十分にお気をつけください! 台風が過ぎた後も危険な状況ですので、十分に注意してください。

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