ヒトラー の 時代。 「ヒトラーの時代」池内紀著|日刊ゲンダイDIGITAL

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ヒトラー の 時代

「ナチス」とは国民社会主義ドイツ労働者党Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterparteiの通称です。 1933年1月に政権を奪取してから、第二次世界大戦で敗北し崩壊する1945年までの間、ドイツを戦争に導き、人種主義によるユダヤ人の迫害を強行しました。 ナチスの母体は1919年1月5日ミュンヘンで結成されたドイツ労働者党です。 反ユダヤ主義と、労働者および中産階級の救済を目的としていました。 1919年9月にヒトラーが入党します。 彼は演説がうまく、しだいに支持を拡大させていきました。 1920年2月には、25ヶ条からなる党綱領(二十五ヶ条綱領)を公布し、このころから党名を国民社会主義ドイツ労働者党と改称しました。 ヒトラーはその後党首となりましたが、1923年に企てた反乱が失敗し、投獄されます。 一時党勢は弱体化しますが、短期間で彼が釈放されて復帰すると、再建され急拡大。 1925年の得票数はわずか2万7000人だったのが、その後群小右翼団体を吸収して膨張、1929年には17万6000人、1931年に80万6000人、1933年に390万人に膨れあがります。 1930年9月の総選挙でナチスは得票率18%を獲得し、第2党になります。 それに続く1932年7月の総選挙では 37%を得て第1党に躍進。 ヒトラーは軍部や財界との関係を強くしていきました。 その結果、1933年にはついに政権を奪取することに成功、ナチス・ドイツを誕生させたのです。 アドルフ・ヒトラーはオーストリア・ハンガリー帝国の税関吏の子として1889年に誕生しました。 両親を早くに失い、ウィーンで画家になろうとしましたが、叶いませんでした。 オーストリア・ハンガリー帝国内の民族闘争に関わるうちに、政治的な野心が芽生えていきます。 1913年の春に、ウィーンからドイツのミュンヘンに移住します。 このころにはドイツ民族至上主義者となり、国際主義的なマルクス主義を憎み、ユダヤ人を目の敵にするようになりました。 第一次世界大戦が始まると母国のオーストリア軍には入らず、ドイツ軍に志願して入隊します。 軍隊生活は彼に適したものであり、一級鉄十字章を授かるような功績をあげ、軍隊内の戦友愛や規律、団結の精神が人生の規範となるべきだと考えるようになりました。 1919年9月、ナチスの母体となるドイツ労働者党に入党します。 当時から演説を得意とし、聞くものを虜にする才能を発揮しました。 宣伝活動を主導し、党勢力の拡張に貢献、そして1921年7月に党首の地位を得ます。 1923年11月8日から9日にかけて、「ミュンヘン一揆」と呼ばれるクーデターを起こすものの失敗し、1924年12月まで投獄されます。 その間、彼は自らの主張を書物にまとめることに着手。 後に『我が闘争』というタイトルとなり、1925年に1巻が出版されました。 この本の中で、東ヨーロッパを征服して生存圏を東方に大拡張するプランが明らかにされています。 ヒトラー率いるナチスは1930年9月の総選挙に大勝して第二党に躍進、1932年春の大統領選に立候補し、ヒンデンブルクに敗れはしたもの得票率で33%となり、無視できない存在であることを示しました。 同年7月の総選挙で第一党となり支配勢力各層の有力者が彼を支持するようになったので、1933年1月、ヒトラーはついにヒンデンブルグから首相に任命されました。 すぐに議会で全権委任法を成立させ、独裁制の樹立に成功します。 翌年はヒンデンブルクの死とともに大統領を兼ね、総統と称するようなり、生涯その地位に居続けました。 彼は和戦両様を使い分け、巧みな外交を展開し、第一次世界大戦におけるベルサイユ条約を無効化。 ドイツが失った領土を回復するとともに、並行して再軍備を進め、強いドイツの復活に国民は狂喜しました。 しかし各国の譲歩は長くは続かず、1939年のポーランド侵攻により第二次世界大戦が勃発。 ヨーロッパのほとんどを占領しましたが、連合国からの反攻が始まると急速に戦況が悪化します。 1945年4月30日、ベルリンを包囲され、陥落直前に自殺。 ナチス・ドイツは崩壊しました。 戦後ドイツは東西に分割され、再統一されるまでに40年以上かかっています。 ドイツでナチスが支持された理由 第一次世界大戦に敗北したドイツにとって、その講和条約は屈辱的なものでした。 領土は縮小され、植民地は戦勝国のものになり、軍備は制限されました。 なにより莫大な賠償金が課せられ、国内経済は破綻状態になり、国民の生活は長期に渡り混乱したのです。 1929年に起こった世界恐慌も、さらにその状況を悪化させました。 ナチスはドイツ民族の優秀さを説き、失っていた自信と誇りを取り戻すための政策は、政府に不満を持つ中産階級を取り込んでいきます。 具体的にはベルサイユ条約の破棄、植民地の再配分、ユダヤ人の排斥を唱え、当時の国際秩序に挑戦し、他民族を攻撃する手法を取りました。 表面的には社会主義政策をかかげて、国民生活の安定を約束します。 こうして選挙のたびに票を伸ばしていきました。 しかし支持したのは、民衆だけではありません。 ナチスとともに、政府への不満を吸収していたのは共産党も同じでした。 共産党の台頭を恐れた資本家や軍部はナチスを支援することに傾き、それもナチスの急速な勢力拡大に寄与する形となりました。 ナチスのユダヤ人迫害 ヒトラーは首相になると、従来から主張していたユダヤ人の排斥の実行に着手します。 ゲルマン民族は優秀な民族でユダヤ民族は劣っているという極端な民族主義で、ユダヤ人という理由だけで、ドイツ社会から強制的に排除しようとしました。 ヨーロッパには伝統的に反ユダヤの感情があり、ドイツ国内が一致してナチスを支持させるために利用したのです。 同時に、ユダヤ財閥が所有する多額の資産を没収する狙いもありました。 初期においては、ユダヤ人を集めて拘留するための強制収容所を建設します。 ナチスと対立する政治思想の人たちも対象とされました。 1933年から1945年にかけて、ナチスが建設した収容所の数はおよそ2万にものぼり、強制的に収容されたユダヤ人の数は数百万人に達しました。 1938年11月、「水晶の夜」と呼ばれる大規模なユダヤ人迫害が起こります。 ドイツ各地でユダヤ人の居住する住宅や店舗が次々と襲われました。 ユダヤ人住民が殺害されたり、強制収容所に送られる異常な事件でした。 これ以降ユダヤ人の強制収容は厳しくなり、ドイツが統治する領土全体でその活動が展開されます。 1939年9月にドイツはポーランドに侵攻、第二次世界大戦がはじまりました。 ナチスは占領したポーランドに絶滅収容所を作り、占領地帯のユダヤ人を集めて送り込むようになります。 ポーランドはユダヤ人の人口が多く、効率的に「最終的解決」を進めていきました。 「最終的解決」とは、ユダヤ人を絶滅させることです。 絶滅収容所は大量殺戮を効率的におこなうために建設されました。 アウシュビッツ収容所の一部として作られたビルケナウ絶滅収容所のガス室では、毎日6000人ものユダヤ人が殺されたといわれています。 ドイツがポーランドから撤退するまでの数年間で、絶滅収容所では300万人以上のユダヤ人が殺害されたそう。 人類の歴史上でも前例のないこの大規模な虐殺を「ホロコースト」といいます。 生き延びた人はごくわずかでした。 ホロコーストについて詳しく知りたい方はコチラ 1944年、アメリカ・アイゼンハウアー総司令官を中心とする連合軍が、総力を結集して反攻作戦を開始しました。 フランスのノルマンディーにて史上最大規模の上陸作戦を決行し、8月までにパリがドイツの支配から解放されます。 連合国にノルマンディー上陸を許したという知らせはドイツ軍幹部に衝撃を与え、クーデターによりヒトラーを排除する計画が実行されます。 しかしこれは失敗に終わり、彼に反対する者は粛清されました。 この事件はヒトラーの独裁政権をより強固なものとし、本土決戦によるドイツ国内の破壊は避けられないものとなりました。 その後もヨーロッパの西から米英軍は進撃を続け、翌年の1945年3月にはライン川に到達します。 一方で東側では、ポーランドのドイツ軍もソ連によって追い払われ、バルカン諸国も次々と解放。 さらに東方からドイツ本土に進入し、ベルリンを目指して進撃を続けます。 1945年2月、クリミア半島のヤルタで米英ソの首脳がナチス敗戦後のドイツの処理について会談し、分割占領、非軍事化、非ナチ化、戦犯裁判などを合意しました。 しかし、ヒトラーはあくまで戦争継続を主張し、3月にはあらゆる軍事施設などの破壊を命じる焦土作戦の決行を命じます。 4月になるとソ連軍がベルリンに迫り、1945年4月30日、ソ連軍の包囲網のなかヒトラーは地下壕で拳銃自殺。 側近たちにも自殺者が相次ぎ、ナチスの指導層が崩壊します。 5月、東西から連合軍に包囲されたベルリンは陥落。 ドイツは連合軍に対して無条件降伏し、ナチス政権は完全に終焉しました。 ヒトラーについて詳しく知りたい方はコチラ ナチスに関する歴史をよく知るための本 ナチスの人種主義はユダヤ人の迫害だけでなく、他の劣った民族の殲滅であり、それはドイツ人であっても能力が欠如していれば生存を許さなかったというくらい徹底していました。 ヒトラーは戦争が必要な表向きの理由を、ドイツ人のような優秀な民族がヨーロッパを統治し、ソ連のある東方の地域を植民地として経営することとして国民に示します。 第一次世界大戦の敗戦により貶められたドイツの復讐、戦争に大義があるのは当然です。 しかし裏でおこなわれた経済運営はすべて対外戦争のためであり、軍拡で喜んだ軍人と資本家たちもナチスの恐ろしい野望の本心を知ることありませんでした。 戦争が進んでそれに気づいてから反対してみても、排除されるだけでした。 戦争終結期になると、劣った民族が滅びることが必然であれば、戦争に負けたドイツは破滅するしかなく、降伏するのではなく滅びるまで戦うという狂信者のみが軍を指導していた、という恐ろしい事実を本書は語っています。 ナチスのイデオロギーの実践がどのような惨劇を生んだのかを知るためには、本書を丹念に読むことで事足りるでしょう。 最後に、タイトルを『ナチスの戦争1918-1949』とした著者の意図はどのようなものでしょうか。 彼によれば、ドイツ民族の最大の悲劇は、終戦を迎えた1945年では終わりませんでした。 その理由を知ることこそ、この本の価値であるといえるでしょう。 創造者としてのナチスドイツの思想がわかる本 ヒトラー政権がドイツ国民の熱望により誕生したという言説が誤解であることを説きながら、少数内閣であったナチスが、議会制を破壊することで強引に全権委任法を成立させた過程を振り返ります。 この全権委任法は、ナチスの政府がワイマール憲法を停止し、議会を経由せずに無制限に立法権を行使できることを認めており、これによりナチスの独裁が可能になったのです。 ワイマール憲法に代わり、彼らがすべての法律を支配しました。 憲法の定め以上に重要なのは、議会制民主主義が機能しているかを常に国民がチェックすることです。 それは選挙であり、選挙を通じて国民が政治に関心を持つことで、独裁は防げることを本書は示唆しています。 各国での「緊急事態条項」は 厳格な運用プロセスが定められており、ここでも立憲主義の堅持が前提であることが国民に十分浸透していることが述べられています。 つまり国家権力の強化だけに使われることがないよう、国民が監視できるのです。 この点において日本がどのような状態であるか問うことを、本書は求めています。 「緊急事態条項」の制定を企図する政権の問題点を整理し、あらためて立憲主義と議会制民主主義が危機にさらされていること認識すべきだと警鐘を鳴らします。 日本の将来を憂い、未来に何らかの貢献をすることを望むのであれば、この本は大いに参考になる内容です。 ナチスとヒトラーに関する歴史的検証は、ドイツそのものが破滅し戦後は東西に分割されていたため、いまだに謎を残したままです。 今後はさらに研究が進み、歴史の闇が晴れることが期待されます。 たくさんの教訓がこれからも発掘され、それを知り現代に生かすことこそが、戦禍に斃れていった多くの人々の弔いになるはずです。 冷酷で悲惨な事実も多いナチス関連の本ですが、風化させてはいけない記憶であることも忘れてはいけません。 日本で言うと、阿倍謹也、網野善彦、系の影響を強く受けました。 海外だとアナール学派で、封建世界ですかね、何度も読んだのは。 地中海は高くて手が出なかった。 大学では西洋法制史を専攻し、山内進とその上に連なる泰斗からの流れに属してきています。 ほとんど落第な学生で、全然関係のないとは言えませんが、ハイデガー、ポンティ、フッサールの現象学の流れにどっぷりつかった時期もあり、時代の流行でポスト構造主義もほうぼう読みました。 デリダなんかも読んだなあ。 ところが長谷川宏さんの影響でヘーゲルにもいあったりましたが、最後は木田元にもどり、その後は仕事も忙しいってことで、司馬遼太郎と山田風太郎を通勤電車で読むということなりました。 すると高校時代に読んだドストエフスキーに移り、小林秀雄を読み返し、並行して鶴見俊輔などいを読んで、いるのが現在です。 いろいろそのあいだも、小林信彦、半藤一利、三島由紀夫、小室直樹を多く読みました。

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ナチス時代の被害者: ナチスの人種的イデオロギー

ヒトラー の 時代

ドイツ文学の大家である池内紀氏が7月末に上梓した新刊が、思わぬ波紋を広げている。 『』、それは80歳を目前にした池内氏が、〈「ドイツ文学者」を名のるかぎり、「ヒトラーの時代」を考え、自分なりの答えを出しておくのは課せられた義務ではないのか〉とあとがきに記す通り、入魂の一冊になるはずだった。 発売されるや否や、ドイツ近現代史の研究者を中心に、「初歩的誤りが多すぎる」「ドイツ現代史をなめている」といったなどの非難がSNS上を飛び交った。 そうした声に対し、「池内氏が伝えようとしたメッセージを、彼ら研究者たちはまったく読めていない」と怒りの声を上げるのは、ほぼ同時期に『』を上梓した国際政治学者・舛添要一氏である。 なぜ池内紀氏『ヒトラーの時代』が出版されたのか 先日、私は『ヒトラーの正体』(小学館新書)を上梓した。 その2週間前、池内紀氏が中公新書から、『ヒトラーの時代』を出版している。 同じタイミングでヒトラーに関する書籍が出版されたということに興味を持って、購入した。 池内氏の著書を読んでまず感じたのは、執筆した氏の立ち位置が私と同じだということである。 氏はヒトラーやナチズムの専門研究者ではない。 ドイツ文学が専門だ。 ちなみに私は政界入りする前は、ヨーロッパ政治外交史を学んでいたが、専門を聞かれれば、フランス外交史と答えていた。 それだけにドイツについての知識は、私よりも遥かに抜きん出ている。 そして、自分の専門を基礎にして、当時のドイツ人がなぜヒトラーを政権に押し上げたのかを考えている。 行間からは、氏の現代社会に対する危機感が読み取れた。 専門外分野での執筆は勇気がいることだが、この危機感がその原動力になったのだと思えば、氏の心境はよく分かる。 私が、いまヒトラーを書いたのも、まさにその理由からだったからだ。 『』(中公新書) ところが、池内氏の『ヒトラーの時代』に対して、ネット上では「炎上」と言えるくらいに非難、罵詈雑言のオンパレードである。 しかも、それは素人からのものではなく、ドイツ近現代史の専門家たちによるものである。 確かにドイツ語の翻訳などについて細かいミスがあり、これらが編集段階で発見できなかったことは残念だ。 たとえば、ヒトラーの党、NSDAPを「国民社会主義労働者党」と訳しているが、「社会主義」と「労働者党」の間に「ドイツ」が抜けている。 「ナチス」も通称と書かれているが、敵陣営による蔑称に過ぎない。 また、党の機関紙名も、カタカナ表記に小さなミスがある。 なぜドイツ文学の大家である池内氏がこのようなミスをおかしてしまったのか。 池内氏の息子で、イスラム研究者の池内恵氏は、今回の件を「万年筆で書いているので今の編集者が判別できなくなった+気力体力が落ちて推敲・校正が十分にできなくなっているなど、様々な原因が考えられます。 」とツイッターで述べているが、真相は分からない。 校閲体制など、出版社側の問題もあるのだろう。 私も、これまでに何十冊も出版しているが、編集者とともに何度もチェックして上梓しても、出版後に細かい誤記などがよく見つかる。 拙著『ヒトラーの正体』にしても、既に誤りが指摘されている。 版を重ねる際に直したいが、この本を買った人にとっては、その本がすべてである。 その点は大いに反省したい。 一方で、責任逃れをするわけではないが、人間だからミスは必ず生じる。 だからこそ、親切に間違いを指摘してくれる研究者仲間や読者にはいつも感謝しているし、逆に著者のミスを見つけたときには知らせてあげることにしている。 とくに研究者仲間ではそれが礼儀である。

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『ヒトラーの時代』を読む|Markover 50 〜人生後半戦を愉しむ|note

ヒトラー の 時代

SNSを駆使して過激発言を連発するトランプ大統領がなぜ大衆を引きつけるのか。 自身の経験も織り交ぜながら、明快な文章で独裁者ヒトラーの実像に迫る入門書だ。 長年にわたりヒトラーを研究し続けてきた舛添要一氏に、なぜヒトラーについて知らなければならないのか語ってもらった。 (清談社 村田孔明) ヒトラー研究は 政治学者の原点だった ヒトラーについて「独裁者」「ユダヤ人の大虐殺」「親衛隊」など、断片的なワードを知っている人は多い。 しかし全体像を把握できている人は意外に少ないのではないか。 実は舛添氏も、かつてはそうだったという。 「初めてヒトラーに興味を持ったのは1965年公開の映画『サウンド・オブ・ミュージック』。 オーストリアの退役軍人の家族がナチスから逃れるために、徒歩で山を越えてスイスに亡命するストーリーです。 主演ジュリー・アンドリュースの美声と豊かなアルプスの自然に魅せられ、ヨーロッパへ留学するきっかけにもなりました。 多感な高校生のときに見たこともあり、ヒトラーが憎くてしょうがなかったですね」(舛添氏、以下同) 舛添氏は長年にわたり、ヒトラーを研究してきた ところが30歳手前の頃、留学先のミュンヘンで下宿屋のおじさんから「ヒトラーの時代が一番よかった」と告げられた。 「下宿はアメリカの研究者が多く、日本人は私だけでした。 70歳ぐらいのおやじは『ヤパーナー(日本人)、ちょっと来い』と、私をお茶に誘ってくれる。 日本とドイツは同じ枢軸国だったので気に入ってくれたみたいで、古いアルバムを開いて、『俺の人生の中で、ヒトラーの時代が一番よかった』とうれしそうに話をしてくれたんです。 ミュンヘン郊外にはダッハウ収容所跡があり、見学するたびに、あまりにも悲惨なユダヤ人虐殺の歴史を教えてくれました。 それなのに下宿に戻れば、おやじはヒトラーがよかったという。 このギャップがずっと頭から離れませんでした」 それから50年間近くヒトラーの研究を続けてきた舛添氏だが、なぜ今になって、専門書ではなく入門書というかたちで発表したのだろうか。 「子どもが大学生と高校生になりました。 父として、子どもたちが社会に出る前に、どうしてもヒトラーのことを語り聞かせたかった。 民主主義の対極は独裁です。 それなのに民主主義から独裁者が生まれてしまった。 この歴史を知らなければ、民主主義は守れません。 現代はトランプ大統領の誕生、ブレグジット、移民排斥を主張する極右政党の躍進など、世界中でポピュリズムが広がっている。 ヒトラーが誕生した時代に似てきています」.

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