ズームインサタデー司会者。 日本テレビ系列『ズームイン!!サタデー』人気キャスター、望月理恵さんの著書が4月19日発売!

ズームイン!!朝!

ズームインサタデー司会者

全般 [ ]• 朝のテレビはである。 いや、新番組が酷すぎてとに流れたよ。 つい司会者と一緒にズームインポーズをしてしまう。 歴代司会者のポーズの違いもわかる。 あのポーズが無ければ「ズームイン」とは言えない。 NNN系列局の名前はすべて覚えてしまった。 それぞれの局の担当レポーターも、局名とセットで覚えている。 沖縄と言って最初に思い浮かぶのはだ。 ではに勝ったが、では負けた。 SUPER・サタデーファンにとっては天敵。 も天敵。 それも最近顕著になってきた。 も天敵。 でも辛坊さんファンは例外。 2011年3月をもって「ズームイン!! SUPER」終了の知らせに涙。 4月以降は「サタデー」のみが心の拠り所に。 後番組の「」は認めない。 あまりにもズームインから変わってしまったので見放されている。 Zoom In Peopleの頭文字でZIPらしい。 1でも既に出ている通り、羽鳥アナがフリーになって番組を始めたのでテレ朝の方を見ている。 「ZIPPEI」なんて明らかにのパクリなので、からもソッポを向かれている。 マイスタでやってないし、最後に視聴者を入れたりしないから、ズームインに比べて番組が「遠くなった」感じがある。 ちなみにZIPの前にはヒルナンデスのスタジオが組んである。 「めざましがチャラいからズームインを見ていたのに、ZIPに変わってからめざましをみたらZIPのほうがチャラかった」というのは、よく聞く評。 ズームイン時代は地方の情報もよく流れていたが、ZIPになってからは地方の情報は流れなくなり殆ど東京の情報だらけになってしまったのも変わってしまった点だと思う。 それぐらい2010年代以降はが顕著になったわけだ。 各番組別ファン [ ] ズームイン!! ファン [ ]• 外人と言えばウィッキーさんだ。 「~区」を意味する「Ward」という単語はここで覚えた。 「」のCM(6代目)を見て懐かしさを覚えたと同時に「老けたなぁ」と感じた。 毎日、天気リレーでどこが出るか楽しみである。 懐かしむためにを見てしまう。 では天気リレーはおろか、中継自体も減ってしまってつまらなく感じてしまう。 に親近感がある。 それも単行本ではなく雑誌のほうだ。 月曜日以外の文庫本紹介の時のOPがなんといっているかわからなかった。 一応 「Morning Books 集英社」と言っていた。 パ・リーグがほどよく分散した今こそ、「イレコミ情報」は価値があるのだと思う。 STVやミヤギテレビもいれコミ情報参戦はいいな。 でも当時パ・リーグネタは毎週火曜日福岡からしかやってなかったな。 道産子でなくてもを知っている。 も兼ねている。 司会者は留さんじゃなきゃ嫌! 宮川泰作曲のテーマ曲は一度聴いたら忘れられないメロディー。 ここでの福澤アナもまた一味違うと思っている。 朝の詩が趣深くて忘れられない• 鉄道ファンを兼ねる場合、好きなコーナーは「鉄道唱歌の旅」。 「日本の!」• 中継をつなぐ際の「しゅしゅしゅしゅしゅー」が好き ズームイン!! SUPERファン [ ] 地元のも食べましたよね?• 占いといえば「あかさたな占い」だ。 もちろん、BGMはデパペペだ。 と同じく、女性向けのコーナーの内容が実はである事に気づいている。 「東京にはこんなものがある」程度に思った方が精神的に優しい。 新春ズームイン!! での羽鳥のヘタレっぷりには苦笑いしている。 普段からヘタレだから気にしない。 むしろ微笑ましく見守っている。 あっちむいてズー! のあの歌は、もうどうにもならないんだなと諦めている。 とりあえず地元のは食べた。 それに飽き足らず、他のブロックのズーむすびまで食べに行った。 間寛平さんを全面的に応援している。 岡田准一さんも応援している。 全国ニュースで、巨人戦より楽天戦を多く報道している。 オレンジ色のズーミンは黒歴史。 石原ヨシズ—ミンの発売希望• 「もう、羽鳥アナもいい加減」と思っている。 とはいえ、見ていて可哀想だ。 「ズーミンのしっぽ作戦」はあからさま。 該当球団に限らず、「実はなのでは」とも疑っている。 2009年の紅白でファンモンの応援に行った時に間違いなくニアミスしているはず。 それから一月も経たずにエンタメコーナーで特集され、「マルQ」のコーナーで声優特集が組まれた際には「なんといっても 紅白出場歌手ですから」と不自然なプッシュ。 2010年12月の特番で元素記号と元素名を言える天才少女が登場したが、「将来大きくなったら何になりたい?」の質問に。 キャラ表示に留まらずOPの歌い出しまで流すなんて…、あれってひょっとして肝煎りの演出?• 羽鳥さんのゲストに対する無茶振りは、見ていて楽しい。 西尾さんの、羽鳥さんに対する冷たいあしらい方も見ていて楽しい。 福澤時代、大桃時代を黒歴史だと思っている。 季節の変わり目になると、次のお天気テーマが楽しみになる。 もちろん、「朝うた」は買った。 綾瀬はるかがゲスト出演したときは「羽鳥アナと誕生日が同じ」• レディー・ガガといえば 西尾画伯• 「ズーミン」 と言われたらではなく当番組のキャラクター。 ズームイン!! サタデーファン [ ]• 羽鳥のズームインポーズと言えばアンダースロー型である。 いまやオーバースロー型ですからねぇ…。 を兼ねる。 この番組の影響で巨人ファンになった人もいる。 さらには熱ケツ情報の未公開部分見たさにに加入している。 基本的にだが、熱ケツ情報のコーナーだけは別という人もいる。 最近、NHKの朝ドラ対策でか、エース上重は見た!と順番が入れ替えられた。 「ミヤちゃん」といえばの登場人物ではなく宮本和知氏。 いくら仲良くなったとはいえ、赤いサタボーの像をアル・アハリにプレゼントしたのはやり過ぎだろうと思っている。 メインキャスターが変わるたび、どんな愛称がつくのかが気になる。 今や、公式にズームインポーズが出来る唯一の時間である。 親番組と同様に、番組開始当初はふんだんにあった中継のコーナーが減らされている。 が餃子評論家として登場するたび、藤井恒久アナの無事を祈ってしまう。 平日版終了によりこっちに移ってきたズーミンを拝める唯一の機会でもあった。 2016年3月をもって故郷の島に帰ってしまった…。 関連項目 [ ]•

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ズームイン!!ファン

ズームインサタデー司会者

「ZIP! 」の前身として長らく日本テレビで放送していた朝の情報番組「ズームイン!! 」 そのズームインの土曜日版として放送開始されたのが「ズームイン!! 」)番組の週末版というポジションになっている。 」は「Zoom In People」の略でズームインシリーズの番組だが、扱いはほとんど別シリーズに近い メイン司会は日本テレビの男性アナウンサーが務める流れがあり、過去には福澤朗や羽鳥慎一が担当していた。 もう一人の司会・望月理恵は、2004年から2代目の女性司会として出演を続けており、その間に男性司会者は「矢島学」「藤井貴彦」「上重聡」「辻岡義堂」と移り変わっている。 「プロ野球熱ケツ情報」は、基本的に読売ジャイアンツをフィーチャーした内容となっており、スポーツコーナーというよりはジャイアンツとの連動企画の色合いが強いというテレビ局カラーを全面に押し出している点が特徴だ。 1998年1月~2018年12月までは元・ジャイアンツ投手の宮本和知がサブMC&「プロ野球熱ケツ情報」担当として出演していたが、ジャイアンツの投手コーチ就任に伴い番組を卒業。 2019年1月よりサブ司会は週替わりのゲスト制、「プロ野球熱ケツ情報」はメイン司会の辻岡義堂アナが担当している。 この記事は、「ズームイン!!サタデー」の出演者情報を中心にまとめたものである。 日本テレビの男性アナウンサー 2012年入社 1988年8月27日生まれ、東京都出身の31歳 身長178cm、血液型はB型 慶應義塾大学総合政策学部認知脳科学専攻 卒 大学時代はラグビー部に所属 趣味はゴルフ、サッカーという体型からは意外なスポーツマン 情報番組やバラエティ番組にキャスターを務める他、スポーツ実況もこなす 夢はラグビーワールドカップの実況で、2019年の日本大会では日本テレビの中継に携わっている 日本テレビのサッカー中継では「FIFAワールドカップ」や「クラブワールドカップ」「キリンチャレンジカップ」といった大型イベントで実況やリポート、または番組MCを務める 2012年10月6日から「ズムサタ」出演している 【ニックネーム:ジャストミート】 ノースプロダクション所属のフリーアナウンサ 元・日本テレビの男性アナ 1963年9月14日生まれ、東京都新宿区出身の56歳 早稲田大学第一文学部哲学科教育学専修 卒 身長181cm 1988年~2005年6月まで日本テレビに在籍 日テレ時代はスポーツ中継やバラエティ番組を担当することが多く、ニックネームである「ジャストミート!! 」はプロレス実況に由来するものである また、「全国高等学校クイズ選手権」「アメリカ横断ウルトラクイズ」「ズームイン!! サタデー」など福留功男の後継として様々な番組を担ってきた フリー転身後はテレビ東京「なんでも鑑定団」などバラエティに加え、日本テレビ「真相報道 バンキシャ! 」といった報道キャスターも務めるなど幅広い活躍を見せている 福澤朗アナは卓球好き・日本酒好きとして知られているが、実はこの他にも「鉄道ファン」「メダカ好き」「和菓子好き」なども自称している 1996年4月6日~1998年8月29日まで「ズームイン!! サタデー」に初代司会者として出演した 【ニックネーム:バード】 テイクオフ所属のフリーアナウンサー 元・日本テレビ所属の局アナ 1971年3月24日生まれ、埼玉県出身の49歳 早稲田大学政治経済学部経済学科 卒 身長182cm、血液型はA型 1994年~2011年3月まで日本テレビにアナウンサーとして在籍 退社後はフリーアナウンサーとして活動、テレビ朝日を始め日テレ以外の放送局へも積極的に出演を見せている 現在、テレビ朝日の平日朝ワイドショー「羽鳥慎一モーニングショー」で司会を務め、長らく同時間帯に出演していることから平日午前中の顔となっている この他、局アナ時代からのレギュラー番組「ぐるぐるナインティナイン」で「ゴチになります! 」の進行を務めたり、「人生が変わる1分間の深イイ話」にレギュラー出演 ニュース・情報番組からワイドショーまで幅広い活躍を見せている 「ズームイン!! サタデー」の2代目男性司会者、1998年9月5日~2003年2月1日まで出演 福澤朗が司会の時期にはスポーツを担当していた 【ニックネーム:エース】 日本テレビの男性アナウンサー 2003年入社 1980年5月2日生まれ、大阪府八尾市出身の40歳 身長181cm、血液型はO型 立教大学コミュニティ福祉学部コミュニティ福祉学科 卒 高校時代はPL学園高校の野球部に所属 同チームのエースとして1998年の夏の甲子園大会では松坂大輔をと準決勝で投げ合った末に敗北している 大学でも野球部に在籍、完全試合を達成するなど主力投手として活躍したが肘の故障でプロの道は断念 アナウンサーとしての進路を選択している アナウンサーとしては過去にバラエティや「スッキリ」MCなどを務め、現在は主にスポーツ中継と「シューイチ」「バゲット」などにも出演する 2010年4月3日~2015年3月28日まで「ズームイン!! サタデー」5代目司会者として出演した 「news every. 」(よみ:にゅーすえぶり)は日本テレビ系で放送される夕方のニュース情報番組で2010年3月29日から放送している。 放送する3時間10分は3部構成となっており、3部全てが放送されているのが確認できるのは日本テレビのみ。 系列局は、3部のうちから2部を放送するか、「news every. 」の内容を複数ピックアップして独自のコンテンツとして再編。 出演者の多くは日本テレビのアナウンサーだが、NEWS・小山慶一郎が本格的にキャスターを務めていることでも話題になった。 (なお、小山慶一郎は未成年者との飲酒が報道され謹慎、番組キャスター出演も休止していたが2018年末に正式に降板している)また、土曜日には「news every. サタデー」として放送されるが、30分枠でキャスターも平日とは異なる。 ここでは現在の出演キャスター・アナウンサー、番組情報と歴代の出演アナウンサーを一覧で掲載する。 「スッキリ」は日本テレビ系列で平日の朝に放送されている極楽とんぼ・加藤浩次の司会によるワイドショー。 2006年4月、前番組「ザ! 情報ツウ」終了に伴い、加藤浩次とテリー伊藤、阿部哲子アナの3名体制で放送が開始された。 番組は現在も高い人気を誇って継続中だが、出演者は大きく変遷しており主要キャスターで継続出演しているのは加藤浩次のみである。 他局のワイドショー・情報番組に比べると、キャスターにお笑い芸人を起用する傾向が強く、また特集するコーナーにはアーティストのゲスト出演が多い特徴がある。 視聴率的には長らくフジテレビ「とくダネ! 」とトップ争いを繰り広げていたが、テレビ朝日「羽鳥慎一モーニングショー」開始に伴い情勢が変化。 第3位に落ちるケースも出てきている。 2017年10月から「スッキリ!!」から「スッキリ」へタイトル変更が行われた。 この記事では日本テレビ「スッキリ」のキャスターやアナウンサー、コメンテーターなど主要な出演者の情報を中心にまとめた。 「Oha! 4 NEWS LIVE」(通称「おはよん」)は2006年4月3日から放送されている日本テレビ早朝の情報番組。 いわゆる時事や社会・経済などの報道とスポーツ・生活・エンタメ情報などを複合的に紹介していくオーソドックスな早朝のニュース番組である。 「Oha! 4 NEWS LIVE」は他局の早朝ニュース番組と比較してもキャスターに女性を起用する傾向が強い。 出演者の多くが日本テレビの女子アナ、またはフリーの女性キャスターとなっている。 2019年10月からはメインキャスターを曜日別に5名の日テレ女子アナが担当として就任。 過去の曜日別担当は3名体制で1人あたり1~2日の割り当てだったが、2019年10月以降は初の1人1曜日という担当制にシフトしている。 なお、男性アナウンサーについては同じく2019年10月より1人1曜日の担当となった。 この記事では「Oha! 4 NEWS LIVE」」に現在レギュラーとして出演する日本テレビの女子アナ、女性キャスター、男性アナウンサーといった主な出演者の情報を紹介していく。 「シューイチ」は日本テレビ 日曜朝の情報番組。 日本テレビ系で放送されていた日曜朝のワイドショー番組「THE・サンデー」(および「TheサンデーNEXT」)の終了に伴い、後継番組として2011年4月からスタート。 「THE・サンデー」がどちらかと言えば報道・ワイドショー寄りであったのに対し、「シューイチ」は生活情報やトレンドニュースなども取り入れた若年層をターゲットにした番組内容となっている。 ただし、コメンテーターには政治・経済から教育まで話題を広範囲にカバーできる人材が揃えられているので時事ニュースにもしっかり対応できる体制がとられている。 同時間帯で情報番組を放送しているのは、日本テレビ・TBS・フジテレビの3局だが、「シューイチ」は他局と比べると同ジャンルでも系統が異なっていると言える。 2020年4月より放送時間がそれまでの「7:30~9:55」から「7:30~10:25」へと拡大する。 この記事は「シューイチ」に出演するキャスター&アナウンサー、その他タレント情報をまとめたものである。 「zero選挙2019」は2019年7月21日の第25回参議院議員通常選挙における日本テレビ系列の選挙特番。 正式タイトルは「NNN参院選特別番組 zero選挙2019 ~アナタに迫る! 新時代の大問題~」である。 「zero選挙」シリーズは2007年の第21回参議院議員通常選挙から開始された特番で、現在の日本テレビの選挙特番は「zero選挙」として放送。 同番組は他局の選挙特番に比べると「出口調査」が特徴で、全国50万人規模の出口調査で投票終了と同時に議席予測が報じられる。 出演者は「news zero」と「news every. 」のキャスターが中心である。 令和初というだけでなく、「news zero」が有働由美子時代に入ってから初の国政選挙ということで大きな注目を集めている。 この記事では2019年7月21日放送「zero選挙2019」のキャスター・アナウンサー・解説など出演者の情報を中心にまとめた。

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望月理恵の舌出し画像!舌が長すぎる?

ズームインサタデー司会者

『 ズームイン!! 』(ズームイン あさ)は、で(54年)から(13年)まで(から)にされていた。 略称は「 ズーム」または「 ズームイン!! 」であり、これは後身『』にも引き継がれた。 概要 ()の本社(当時)内オープンスタジオ「(通称:マイスタ)」を拠点に、国内外からの中継を基に構成。 最新のニュースと気象、スポーツ情報から、番組の目玉である日本列島各所の中継、特集を放送した。 その一方、芸能情報は番組開始時から晩年までほとんど扱うことがなかった。 番組の企画段階での仮タイトルは『 今日、あなたは』。 その後『 ズームイン!! 全国的に朝! 』と変更されたが(1970年代初頭のの漫画が元の流行語「全国的にアサー! 」が元ネタ)、当時日本テレビ社長のに伺いを立てたところ「人の真似は良くない」とされた決裁により「全国的に」の部分だけが取れて『 ズームイン!! 』(後身『』も含め、一部の記事を除き以下『ズームイン!! 』と記す)に落ち着いた。 番組の開始を機に、当時新築された1階に「マイスタジオ」を新設した。 マイスタジオは本番組以外にも『』(5月放送開始)や『』(後に本番組の2代目司会者となるが担当)、『日本テレビハイライト』などで使用されたほか、スタジオ特性(外部からの中継回線を通常のスタジオより多く受け入れられる設計であった)を生かし、外部からの中継番組を処理する「受けサブ(リモートサブ)」としても使用された。 日本テレビでの放送時間は7:00 - 8:30()で開始以来不変だった。 ただし、一部ネット局では放送時間が異なっていた事例もあった。 番組マスコットは「ズームくん」という人工衛星を擬人化したキャラクターで、テロップや番組ノベルティグッズ等に使用され、開始当初から1985年頃までのオープニングアニメーションや「プロ野球いれコミ情報」のオープニングCG、1995年から1998年までのオープニングCGにもその姿を確認することができる。 しかし番組終了と共に姿を消し、『ズームイン!! SUPER』ではしばらくの間マスコットは使用されなかった。 2001年より、本番組をリニューアルする形で『 』がスタート。 番組の歴史 前史• にスタートした45分のニュース番組『』はそれまでの『』で伝えられた全国ニュースに加え、特集や地方の話題などを加えて放送するという、当番組の原型となるような内容で放送されていた。 その後、『』との枠統合、ならびにネット局との調整を経て当番組がスタートする。 後述通り、当番組には報道部が関与しないため、報道部制作のニュース枠として『NNN朝のニュース』を放送再開した。 徳光時代• 1979年放送開始。 初代司会者は。 番組冒頭、徳光は「皆さんおはようございます。 徳光和夫、37歳、顔も背丈も標準よりちょっと下回っているようでございますが、そんな私が司会を致します『ズームイン!! 』が今からスタートいたします」と視聴者に挨拶した。 初日最初のニュースは前日に起きたのであった(後に福永と徳光が遠縁の親戚であることが放送の『』で明らかになった)。 開始当初からの企画としては、全国ニュースでは取り上げにくいローカル色の強いニュースを各局のアナウンサーが直接伝える「NSヘッドライン」、各局が地元球団を応援しながら伝える「プロ野球イレコミ情報」、街角からの中継で通りがかった一般の人と英会話を行う「さんのワンポイント英会話」、「朝の詩(ポエム)」などがあり、これらは長寿企画となった。 『ズームイン』開始前の徳光は中堅アナウンサーとして視聴者から一定の支持を得ていたものの、報道に不向きなのが災いし社内の評価は芳しいものではなかった。 徳光の起用を決めた初代総合演出のによると、「プロレスやバラエティで活躍している奴を真ん中に置いて朝の番組で使って、何を考えているんだ」と上層部から猛反対されたという。 しかし、斎藤は徳光の才能を高く買っており、「『ズームイン』の司会には渡された原稿を読むだけでなく、自分の言葉、自分の感性で喋ってもらいたい。 そう考えたら(当時の日本テレビアナウンス部の中で適任なのは)徳光しかいないじゃないか」と押し切った。 結果徳光は番組の成功と共に朝の顔としてお茶の間に定着。 アナウンサーとしても徐々に再評価され、『ズームイン』以外の番組にも多数起用されるなど、活躍の場を広げていくことになる。 前番組である『おはよう! -』からジャーナリストのがコメンテーターとして続投。 ニュースコーナーでは秋元が中心になって仕切っていた。 1980年に第17回・選奨を受賞。 1980年10月22日放送で前日の監督解任に激怒した長嶋ファンである徳光は、視聴者に対し・()の購読打ち切りを行うよう呼びかけた。 1980年、日本テレビが制作担当であったこの年の『』は、本番組のスタッフが実働部隊となり、本番組のシステムで『ゆく年くる年』を制作・放送した。 これには本番組並びにキャスターとしての徳光を全国的に売り出す狙いがあったとされ、そのために(当時アナウンサー)、(当時アナウンサー)、溝口泰男(当時専属キャスター)、(当時アナウンサー)といった各局の看板キャスターを集め、中心に徳光を置くといった演出も行われた。 この年は当番組と同様にマイスタからの生放送となり、各地からの中継レポートも当番組の各局キャスターが担当。 中継を呼び出すときの音も当番組の効果音が使われた。 ネット局関連 開始当時のネット局は日本テレビ、、、、、、、、、、、、(・)、、、、、、の19局ネット。 このうち、山形放送、北日本放送、福井放送では1984年3月まで『』を放送していたため、8時10分飛び降りとなっていた。 このとき、北日本放送はローカル番組『 おはようKNBです』に内包する形をとり、番組後半はローカル編成を組んだ。 このため番組欄では両番組名が併記となったほか、ローカル部分がのちにステレオ放送化されたため、新聞等の番組欄のタイトルにはステレオ放送のマークがついた。 また山形放送では9月までも放送していたことに加え『』があったため、7時30分からの飛び乗りとなっていた。 詳細は「」および「」を参照 1979年4月から、西日本放送のにより岡山県での放送を開始。 同年(実質はのサービス放送から)、前日に開局したにて静岡県での放送を開始。 それまで日本テレビとテレビ朝日とのクロスネット局であったは前番組『』はネットしていたものの、終了後はテレビ朝日系列の『オリンピックニュース』とアニメの再放送枠に充てていた。 同年、当時日本テレビ・フジテレビ・テレビ朝日とのであったでのネットが開始した。 ただし、開始当初はフジテレビの『』も放送していたため、8時飛び降りとなっていた。 、この日に開局したにて長野県での放送を開始。 それ以前は長野県に日本テレビ系列局が無かった。 1981年(実質はのサービス放送から)、この日に開局したにて新潟県での放送を開始。 開局当日は徳光が新潟に赴き、生放送を行った。 同年、上記の『ゆく年くる年』の効果により、それまでフジテレビ系列の番組をネットしていたにて鹿児島県での放送を開始。 4月1日(実質はのサービス放送から)、この日に開局したにて熊本県での放送を開始。 前年の新潟の時と同様に、徳光は熊本に赴き、生放送を行った。 福留時代• 、徳光は同年4月から開始される夕方の報道番組『』のメインキャスターに就任することになり、が最後の担当となった。 から後任にが起用され、同日はバトンタッチを兼ねて二人で進行した。 なお、福留は当時『』( - )・『』( - )の司会を務めており、『高校生クイズ』ロケ期間(7月下旬から8月上旬にかけて)は収録先から福留が中継で出演して番組が進行され、『ウルトラクイズ』ロケ期間(8月下旬、9月から10月上旬までの間の1ヶ月間程)は主に自局および系列基幹局の代理キャスターが担当していた。 徳光から『ズームイン』の司会を引き継いだことについて福留は後年、「当時の社長が日テレ系列局の役員会で『徳光さんの後任司会は誰なんですか』と系列局の社長に突っ込まれて、高木社長が日テレの局アナの中で私と徳光さんしか分からなかったのでやむなく私が抜擢された」と語っている。 なお、『ズームイン』司会就任に当たり福留は『ウルトラクイズ』、『高校生クイズ』はどうするのかを上層部に問いただしたが、双方続投と聞いてあ然となった。 当初は福留ではなく当時読売テレビアナウンサーで関西地区のキャスターも担当したが2代目司会者の最有力候補に挙がっていた。 福留は「最初の1年間は味噌汁の味は変えない(徳光時代の番組カラーはそのまま引き継ぐ)が、1年経ったらその後は自分の色でやる」として、実際に1年後にはスタッフを総入れ替えして報道・情報番組色を強めたという。 最初の1年間は、福留が中心となって、視聴者の朝の生活習慣を調査した。 この調査によると、トイレ・歯磨きなどほとんどの行動が3分以内であることが判明し、1回の中継時間を可能な限り3分以内とするリニューアルを実施した。 同時に、それまで持ち回り制だった中継スケジュールを廃止。 毎月全国の系列局のを集めて企画会議を行い、それを基に中継を実施した。 また「情報トレイン」に至っては会議であらかじめテーマを決め、各局が企画したテーマを持ち帰って取材を進め、中継を放送した。 1990年7月には8時台の「NSヘッドライン(2回目のニュースコーナー)」を「情報トレイン」に変更。 さらには「31分31秒」を「朝生リポート」に変更し、31分31秒に代わる企画「ズームインズーム」を登場させ、「ワンポイント英会話」の開始時間を7時20分から7時45分にする、「プロ野球いれコミ情報」の最後に時間切れの爆弾とGAME OVERの文字を表示させて「朝の詩」に移行するなどの大幅なリニューアルを行った。 また情報番組としてスピーディーな進行を志向した福留の意向により、徳光時代以来長らく続いてきたが不確実性が高くアクシデントの主要因ともなっていたマイスタ前の一般開放を取りやめた(オープニングのみ、エンディングは継続したが来訪者にインタビューするなど絡むことはなくなった)。 3月に福留は日本テレビを退社しフリーアナウンサーに転身したが、本番組の司会は続投した。 福留はこの半年後、の情報番組『』の司会に就任し、以降はTBS側の方針により、『ブロードキャスター』が休止される場合同時に本番組の放送週を休む形をとっていた。 『ウルトラクイズ』、『高校生クイズ』の司会はこの年からに交代したため、前年までのように『高校生クイズ』収録のため福留が地方から出演したり、『ウルトラクイズ』収録のため福留が番組を1ヶ月離れたりするという事はなくなった。 、番組放送開始15周年を記念して日本テレビ開局40周年記念特別番組『 ズームイン!! 』をゴールデンタイムの夜7時から4時間にわたって放送。 徳光と福留のダブル司会により朝と同じスタイルの番組を夜に展開する企画で、好評につき同年秋にも2回目(この時は夜7時からの2時間30分)の放送がなされた。 1993年からに掛けて、長寿企画である「朝の詩」や「ワンポイント英会話」のコーナーを終了させた。 ニュース量・地方中継の量と質の向上などの第2のリニューアルを進め、スピーディーな番組進行の色合いが強まった。 「朝の詩」はのコーナーであり、花王に了承を得てから終了となった。 以後、花王はから降りてPT()扱いとしてCMを流した。 重大な事件・事故が起きた際、その翌朝にはマイスタでの司会を別の者(など)に任せた上で、メインキャスターである福留自ら現場から生放送・リポートを行う手法を多用した。 1993年の発生の際には、被災したを翌朝の番組でからリポートした。 最も有名なのはの発生から2日後の、神戸から番組を生放送し、現地キャスターと被災地や被災者のリポートを行っている。 、に姉妹番組として『』を福澤朗の司会で開始した。 1998年4月1日、前半ネット部分の体制が、それまでの隔日提供から曜日毎の提供に変更された。 これは直前番組の「ジパングあさ6」や「ズームイン!! サタデー」、後番組の「ズームイン!! SUPER」でも同様。 ネット局関連 (実質的にはサービス放送開始のから)、前日に開局したにて石川県での放送を開始。 それ以前は石川県に日本テレビ系列局が無かったため、北日本放送(主に金沢市・能登地方)と福井放送(主に加賀地方)が取材を行っていた。 1991年4月1日、長崎県での放送がこの日に開局したに変更。 テレビ長崎での放送はその半年前に打ち切りになっている。 10月1日、愛媛県での伊予テレビ(現:)開局を期にTBS系列の番組ネットの見直しが行われ、これまでTBSの平日朝7時の番組(最末期の番組は『』)を放送していた(愛媛)とが番組ネットを開始。 最大の28局ネットになる。 1994年4月1日、鹿児島県での放送がこの日に開局したに変更。 なお、それまで鹿児島県でのネット局であった鹿児島テレビは同日フジテレビが開始した『』を本番組の後継番組扱いでネット開始した。 開局当日は福留とNNNの九州地区基幹局である、の中継キャスターのが鹿児島に出向いて番組が放送された。 福澤時代• 1998年の放送を最後に福留が勇退。 代わって放送から『ズムサタ』のメインを担当していたを3代目司会者に起用。 福澤はこれ以前にも、『アメリカ横断ウルトラクイズ』( - 1992年)と『』(1991年 - )において、福留に代わって司会を担当していた。 福留は同年4月に「『ズームイン!! 』をそろそろ若い人に譲りたい」として日本テレビの社長に勇退を申し出ており、それ以降「後釜は誰か」という声は上がっていたが結局『ズムサタ』初代司会者の福澤が横滑りすることになった。 2000年、「ズバリ!! 橋本五郎」放送中に当時のから突然電話がかかり、スタジオと数分間談話した。 この日の前後にも複数の番組に電話をかけ、話題になった(のにも選ばれた「 」の有名な一例である)。 、最終回を迎えた。 22年半の放送にピリオドを打ち、『ズームイン!! SUPER』にリニューアルされる。 福澤は『SUPER』の初代司会者の1人として続投した。 なお、2000年秋には『』で本番組のスペシャルが放送され、歴代の司会者である徳光・福留の両名も福澤とともにマイスタから出演した。 視聴率• における初回視聴率は、2. ところが1979年7月にでが開局したのを機に、基幹地域以外にも民放地方局第3局・第4局が開局。 4月には当時、視聴率で民放1位だった『』を追い抜いた。 1992年4月には1日だけではあるが、NHK総合テレビ『』の視聴率を民放史上初めて上回り、1994年4月には平均視聴率でもNHK総合テレビ『』(上記『モーニングワイド』の後継番組)を上回った。 同年7月には番組最高視聴率である22. 中盤の勢いは福留時代末期から、『おはよう日本』の復調や『』の躍進により、視聴率が頭打ちとなった。 同年6月に『』のプロデューサーであったが編成部長に就任した際、最初に着手したのが早朝時間帯の大改革の断行であり、本番組・『』・『』の3番組を統合する形で、『ズームイン!! SUPER』が始まることとなる。 番組テーマ曲 サンバ調で流れるテーマ曲はの作曲による番組オリジナルで、オープニング、エンディングとも同じ曲である。 原曲は3分00秒の曲だが、番組オープニング部分が長時間のため番組では原曲を継ぎ接ぎして長くし、使用しており のように、何度でも繰り返しできるように構成されていた 、エンディングでは応用として、元日などネット局のが発生する際に、飛び降りポイントで曲が終わるかのように、かつ引き続きネットする局では続けて流されたこともあった。 なお、司会が福澤になってからは宮川が改めてアレンジしたものを使用した。 オリジナル音源は長らくCD化されなかったが、番組の終了および宮川の没後である発売の「宮川泰 テレビテーマ・ワールド」にアレンジ版も含めて収録された。 同CDには、『SUPER』と『ジパングあさ6』のテーマ曲も収録されている。 ネットしていた局 系列はネット終了時のもの。 出演者 総合司会• (1979年3月5日 - 1988年3月7日)• (1988年3月7日 - 1998年8月31日)• (1998年9月1日 - 2001年9月28日) 徳光時代にオープニングのフォーマットが変わってからは名前テロップ上部に必ず「おはようございます」の表記が入る。 「ズムサタ」でも共通だったが、『SUPER』になってからは表記を廃止し『ズムサタ』も途中からやめている。 歴代の司会者はその当時の日テレの看板が務めていたが、いずれも後にフリーに転身しており(後身の『』司会の羽鳥慎一・も)、「ズームイン!! また、司会の3人はそれぞれ『』と『』に関係している。 現在の『高校生クイズ』の司会は『』の司会のである。 また『ズームイン!! SUPER』の司会の羽鳥は『高校生クイズ』の司会を担当せずに彼の後輩であるが担当していた。 司会が休暇の場合は日テレのアナウンサーやネット局のアナウンサーが東京に派遣されての代理司会を務めた。 徳光の休養時は福留など、福留の休養時は福澤、羽鳥など、そして福澤の休養時はや、羽鳥などが司会を務めたことがある(福留時代には代理で徳光の司会が復活したこともあった)。 番組末期はほとんど札幌テレビのが東京での代理司会に定着していた。 マイスタを基点とせず、日本各地の中継先(系列局の開局時や福留時代における『高校生クイズ』の収録、マイスタが機材の更新工事などで使えない場合)から司会を行う場合もあった。 アシスタント(末期のみ)• (月 - 水���• (木・金) お天気キャスター• 和田より子(現:・フリーアナウンサー)• 小池由紀子• 秋山沙織• (1993年 - 1996年)• (1996年 - 1998年)• (1998年 - 2000年)• (2000年 - 番組終了まで) 中継キャスター・アナウンサー 中継時(コーナーの担当時)、画面右上に中継地と放送局名が常に表示されていた。 当初は中継地にあたる箇所には、中継先を問わず局舎所在地が入っていたが、後に「東京・日本テレビ」・「北海道・札幌テレビ」・「静岡・静岡第一テレビ」・「愛知・中京テレビ」・「大阪・よみうりテレビ」・「福岡・福岡放送」というように、中継地の都道府県名と放送局名へと変更された。 このような表示は、全国各地の中継を目玉とするこの番組の大きな特徴であった。 この方式は、初期の各局リレー中継でも踏襲された。 通常は中継地と放送局のエリアは一致するのだが、ごくまれに放送局のエリア外を担当することもあった。 『』に出演のキャスターについては当該項目を参照。 (STV)• (RAB)• (TVI)• (MMT)• (ABS)• (YBC)• (FCT)• 日本テレビ(NTV)• (YBS)• (TeNY、1997年12月まではTNN)• (TSB)• (SDT)• (KNB)• (KTK)• (FBC)• (CTV)• (YTV)• (NKT)• (HTV)• (KRY)• (JRT)• (RNC)• (RNB)• (RKC)• (FBS)• (KKT)• (TOS)• 浜田ふみ子• 石田麻美 お天気コーナー 天気予報のコーナーは当初、徳光の歌う「天気予報の歌」に合わせて天気予報を放送していたが、放送開始から2〜3年した頃、アメリカでは天気予報がウェザーショーとしてショーアップしてきている事に着眼した(仁科俊介)と()がコーナーを一新し、以下の項目に重点を絞った天気予報コーナーを作った。 視覚的にわかりやすい巨大な温度計を使用(視聴者が一番知りたい寒暖などの情報を一瞬で伝える)し、全国各地の中継先から天気予報の概要を伝え、それをリレー形式でつなげる。 東京においてもから外に出る(天気予報をスタジオの外から送る)。 なお、番組中使用していた大型温度計は計測機能のない「温度表示板」で、実際の気温に合わせて赤いテープを手動で上下させる単純な仕組みだった。 番組中にその事を明言することは無かったが、強風で温度計が倒れてテープがずれてしまったことがあり、福留が放送中に堂々と直している様子が映されたことがあった。 従来の天気予報は、各地の気象観測所を中心とした予報であったが、気象協会から送られてくる情報に加工を施しアバウトな形で伝えることに特化した。 日本列島を極めて簡略的に表示した上で主要地のみに天気マークを配置した「きょうの天気」テロップを番組冒頭で用いたり、日本列島上の晴れや雨の場所を大雑把に色分けする形でCGで表示し、それを日中と夕方以降の2パターン用意することで予報推移の概況を伝えた。 関東ローカルの天気でも大雑把な天気予報は同じで、関東地方の場合は関東7都県の地図の上に大雑把な色分けの天気分布と同時に関東7都県の降水確率と東京の最高気温が表示される。 主なコーナー オープニング・天気リレー• 番組開始当初は天気リレーがなく、7時の時報とともに番組テーマ曲とオープニング映像のを流し、アニメーションの終了とともにマイスタ前に映像が切り替わり、総合司会が朝の挨拶及び話題を話した後、最初の提供クレジットの直前に「ズームイン!! 」の掛け声を行っていた。 なおOPには右下に日付が10秒間表示されていた。 表示字幕は変わらず使用され、司会者が「おはようございます! 」と挨拶をしたところでいれられるようになる。 番組開始から数ヵ月後に「ズームイン!! 」の掛け声の前に「全国の朝」と題した全国リレーを行っていた(ただし中継局キャスターへ呼びかけは総合司会の徳光だった)。 その後、前述したようにオープニングのスタイルを変更。 」とカメラに向かって指をさし、同時にカメラが総合司会に向けてズームされつつ最初の中継地に画面が切り替わり、最初の中継地の映像とともに番組のタイトルロゴ及びテーマ曲が流れて番組がスタートする形式となった。 各中継局は番組テーマ曲に乗せて中継地の様子、、番組オリジナルで気温を伝え、次の中継局キャスターへ呼びかけて順次中継をつなぎ、最後は東京(マイスタ前)に戻りが全国の天気を伝える。 その後は再び総合司会にカメラが切り替わり、改めて「ズームイン!! 」の掛け声を行い、最初の提供クレジットが入る。 総合司会が福留・福澤に代わってもこのスタイルを踏襲、番組の看板コーナーのひとつとなったが、福留時代の途中からは最後に総合司会へ戻さなくなり、全国の天気の最後にお天気キャスターが次のコーナー名を読み上げた後(例:「コマーシャルの後は、『N. ヘッドライン』です」)、そのまま最初の提供クレジットに入るようになった 時期不明だが前述通り福留時代末期からアナウンサーの読み上げが廃止された関係で最初の提供クレジットが全国の天気前にテロップで表示される形式に変更され、後に番組中盤にCM明けにテロップで表示される形式に変更された為、全国の天気の後そのままCM入りするようになった。 福留時代末期から福澤時代は、冒頭その日の主なニュースをヘッドライン形式で数項目伝えてからマイスタ前に映像を切り替えていた。 これは、前座番組『ジパングあさ6』からの接続がレスとなり(一部地域を除く)、マイスタジオのセットを『ジパング - 』仕様から本番組仕様に入れ替えるための時間が必要となったためで、その時間をヘッドラインニュースに充てていた。 ただし、大型事件や大災害により番組内容を大幅に変更する際は、オープニングはマイスタ内あるいは現地からの中継となり、アニメーションも自粛、BGMも流さず番組タイトルの表示のみとする。 タイトルアニメーション・CG• 1979年 - 1985年 アニメーション。 夜から朝への移り変わりをイメージしたものとなっている。 まず夜空を模した幕が開いて青空が現れ、ズームくんが日の出のように現れた後、卵、扉の順で現れ、鳩が飛び去った後朝日が昇り、その朝日が「朝」(黒色)に変化し地平線に立つ。 続いて、「ズームイン!! 」(虹色)が��陽光線を伴って左下から右上に向かって表示され、それと同時に「朝」の右側に付帯する「! 」(青色)が表示される(この時点で「朝」は地平線から切り離される)。 1985年 - 1988年 ここからアバンタイトルとなり、最初の中継先の映像を背景に「朝」の青文字がズームアップし、次に右下にズームダウン。 それと同時に右上から「ズームイン!! 」(赤色)と「朝」(紫色)の右側に「! 」(黄色)が表示され、最後にロゴ全体がズームアップされ見切れる。 1988年 - 1990年 画面左下から「朝」(紫色)の文字が跳ねるように登場し、次に「ズームイン!! 」(赤色)と「! 」(黄色)が1文字ずつ右上から表示され、最後にロゴ全体がズームアップされ見切れる。 1990年 - 1991年 「ズームイン!! 」(青色)の文字が1字ずつバラバラに表示され集結していき、続いて画面中央右下からズームアップして「朝」(赤色)が表示されたのちに「! 」(黄色)が表示、ロゴの色がテーマ曲のメロディに合わせ変化し、最後にロゴ全体がズームアップされ見切れる。 1991年 - 1996年 画面内にのグラフィックが表示され、それらが1字ずつタイトルロゴに変化する。 最後にそれらが1つの大きなシャボン玉となり割れる。 ロゴマークとなった際に縁どりがされた時期もある。 初期はシャボン玉の色彩が薄かったが、のちに濃くされている。 1996年 - 1998年 四角形、円形、三角形、太陽、カモメ、波、蜃気楼をイメージしたグラフィックを順に写したのち、タイトルロゴ(「朝」の時計の部分がズームくんの顔となっている)が赤色(グラデーションがあり変化し続けている)で集結されるように表示、直後に「ズームイン!! 」の部分が横方向に1回転し画面外左側へに飛び出し、右側から元の位置に戻る(飛び出す際にロゴが反転するケースとしないケースの2種類あった。 またその際に「朝」が元の時計を模したものに戻る)。 最後にロゴを形成していた赤色がそのまま四散し消える。 1998年 - 2001年 虹をイメージしたグラフィックが画面左右から表示され、それらが輪を形成し右下へ回転しながら泡を表示させつつ消え、その泡がさらに左下から表示された山並みをイメージしたグラフィックと合わさる形で朝焼けとなり、太陽が表示される、その太陽が「朝」のロゴの一部になる午前7時を示すアナログ時計に分針を動かしながら変化し、さらにそれが反転して「朝」のロゴとなり、そして画面左下から「ズームイン!! 」、右上から「!」が表示(いずれもオレンジがかった赤色)、最後はロゴの赤色が中央に集結し泡状に四散して消える。 大型事件や大災害があった場合はアバンタイトルでの司会者挨拶や天気リレーも行われなく、被害地の映像に白抜きで番組タイトルのみ流れて、すぐに司会者に映像が変わり本題に入る。 なお、福留の最終出演回もが直近にあったため同様の流れとなり、番組の最後に福留の降板の挨拶と後任司会の福澤の紹介が行われた以外は全編豪雨被害関連のニュースで持ち切りだった。 NSヘッドライン 開始当初はとの区切りがあったので『』という言葉が使えず、その結果このタイトルにした。 ニュース映像を使用できない時期もあり、新聞記事を紹介していたこともある。 全国各地のローカルニュースを繋ぎあわせて報道した。 それらはマイスタでは全く読まず、放送局名または地方名を東京で告げた直後に中継先(事件・事故現場とは限らない)から各放送局のアナウンサーが直接伝える点が番組で最も特徴的な部分であった。 福留時代に顕著だった傾向として、項目1つあたりにかける時間が短く、矢継ぎ早に次の項目に移るということがあった。 その結果項目数も多く、短時間で情報量の非常に濃いコーナーとなっていた。 ニュース映像は当初映像素材に番組で使うテロップを付けて流していた。 末期になると前夜の『』や『』、約1時間前に放送された『』からのニュース映像を使い回して放送していたため音声・部分はカットして読みにしていた。 ズバリ!! 橋本五郎 読売新聞編集委員(当時)のが主に一般紙朝刊紙面を紹介、解説するコーナー。 福澤が司会となって登場。 橋本が2001年2月に面の理由で休業(復帰したのは次番組の為、実質降板となった)後は、日本テレビ報道局の呉文彦が引き継いだ。 プロ野球いれコミ情報 コーナータイトルは(現・)から発売されていた人形型玩具の『』が由来。 コーナー中でもチーム応援用の小道具として必ず使われていた。 各局の中継キャスターが全国の局でそれぞれ応援している地元球団のハッピやジャンパーを着て、試合結果などを伝えていた。 総合司会が、よみうりテレビが、中京テレビが、広島テレビがを担当し、エリア担当のリポーターであるがを、がの応援役として登場した。 回によっては福岡放送が代表として、札幌テレビが巨人(札幌シリーズ時)の結果を伝えることもあった。 のリポーターが下関発祥の大洋(横浜)の応援役となったこともあった。 リポーターと共に各局専属のプロ野球解説者も参加しており、日本テレビからは、、、、読売テレビからは、、、中京テレビからは、、、、広島テレビからは、、福岡放送からはなどが出演していた。 胸にはその放送日時点のチームの順位が書かれた名札をつけており、Aクラスのチームは赤色、Bクラスのチームは黒色と分けられていた。 各局が情報を伝える時は中継がその局に切り替わっていた。 切り替わるとその応援球団に因んだBGMが流れ、試合結果や喜びの声、ぼやき(敗者の主張)などが繰り広げられた。 (チーム名) ワリコミ情報! 」と声が上がることもある。 伊藤や魁が乱入し、またネット局からの応援合戦が白熱したところで画面右上に15秒からのカウンターが表示され、0になると「GAME OVER」と表示されコーナーは終了喧騒の後は一転しておだやかな「朝の詩」が始まる(1994年まで)。 東京の総合司会が巨人を応援するので巨人の情報に偏りがちになっていた。 なお、総合司会の休養時には日テレのアナが巨人を担当していたことが多かったほか、札幌テレビの森中アナ(滋賀県出身で、大の阪神ファン)が代理の場合、読売テレビと共に阪神ニュースを読んでいた。 阪神が低迷していたには、負け試合を伝える場合に「なんぎやなぁ」というフレーズを言うのが恒例となり、1987年の銀賞を獲得した。 視聴者プレゼントのための「なんぎやなぁステッカー」も作られた。 また辛坊治郎・森武史の両アナウンサーは阪神の応援ソング「」を出版し、阪神のコーナー中は森が当番でかつ前日の試合で阪神が勝利した場合にBGMに「負ける気せんね」を、阪神が負けた場合はカップリングの「ハイハイ敗」を流し、それ以外の時は「」のを流していた。 また、現在『朝生ワイド す・またん! 』で使用している「ハタハタマシーン」の原型というべきものが当コーナー内で使用されていた。 中継リポーターの伊藤と魁をはじめ、中継先から伝えることも多い。 巨人以外の球団を担当するリポーター(と解説者)が試合の開催地まで出張することもある。 対巨人戦(巨人のホームゲーム)の際に東京のマイスタジオに出張した場合、前日の試合で巨人に勝った場合は巨人担当の総合司会(と巨人担当解説者)をスタジオの隅に追いやって(または追い出して)進行した。 ただし、前日に巨人に負けた場合は逆に隅に追いやられるか追い出される。 福岡放送のホークス情報はもともと放送時間・曜日がほとんど確保されていなかった。 また、セ・リーグの情報に時間を割いたため、パ・リーグの結果は字幕のみで終了する日が大部分になっていた。 魁は大洋時代、「 ヒゲクジラ」と称してマスクマン姿でこのコーナーに登場していたが、ヒゲクジラになる前には福留と一緒に巨人のハッピを着て応援していた時期も存在した。 コーナー最後のカウントダウン表示は『ズームイン!! サタデー』の「プロ野球熱ケツ情報」にも引き継がれていた(現在は廃止)。 この方法は他局にも影響を与えた。 その例として10月1日の放送ではこの日、一部が先行開業したの特集にちなみ、イレコミ情報の最中にが、下り始発がに到着するシーンを「ワリコミ新幹線情報」と叫んで割り込んだことがあった。 被害を受けたのは阪神の情報を途中で切られた読売テレビであったほか、その後の中京テレビでは佐藤が「は、ドラゴンズは」と便乗しながら叫んで割り込んだ。 1993年ごろから「いれコミ感動大賞! 」と称して、番組独自の月間MVPをチームごとに選出し、受賞選手にトロフィーを贈呈していた。 選考基準は記録よりも目に見えない活躍をするなど、ファンに感動を与えたかどうかが重要視された。 番宣などで芸能人らがマイスタから出演するときは、ひいきチームの応援役として登場することもあった。 福留時代途中までは、冒頭に司会者が前日の結果について触れた後にカメラ前にいるスタッフが投げたボールをキャッチしてスタートしていた。 その直後に出てくるイレコミ君のかぶっているキャップが一つ目の対戦で勝利したチーム、ないしは中継先が応援しているチームおキャップの色であった。 コーナー開始時のテーマ曲で最も長く使われたのは、テレビアニメ「」の挿入歌「戦え!バイカンフー!」である(前奏〜曲の最後の部分につなぐアレンジが施されていた)。 Jリーグおまかせ情報 プロ野球イレコミ情報とは異なり中継は結ばず、東京のマイスタから試合結果を伝えた。 集英社の雑誌です 当日もしくはその週に発売されるの雑誌を告知する。 あくまでもコマーシ���ルなので、番組のコーナーではない。 集英社の提供エリアが全国ではなく基幹地域やそれに準ずる一部地域のみだったことから、この枠は(集英社が提供していたエリア以外では)PT枠扱いとされ、該当するエリアではローカルなど別スポンサーのコマーシャルに差し替えられていた。 福留時代には冒頭に「 おはよう、今日の一冊」というタイトルCGも表示されていた。 初期の頃は井出ひろし(現:)や、などが担当していた。 (小粥よう子(現:)、、)や、フリーアナウンサーのも出演した。 末期の「」のコマーシャルでは、同誌連載作品で他系列局でアニメとなったものが(『』『』)そのまま流れていた。 当初はスタジオ内やスタジオ前での生コマーシャルであったが、後に生コマーシャルの形態を用いつつも事前収録されたものや、通常のコマーシャル形態で放送されるものも増えていた。 後番組の『ズームイン!! SUPER』でも2001年12月まで集英社は同じ時間帯のスポンサーを継続していた(全国ではなく、基幹地域やそれに準ずる一部地域のみ)。 Wickyさんのワンポイント英会話 ウィッキーさん()が街角で、通りがかった一般の人とを行うコーナー。 途中で時間がなかったり、テレビに映るのを嫌う人が多いため、通りがかりの人を追いかけながら英会話することが多かった。 『』の企画にて、がと一緒に乱入(放送分)した際は、終始ウィッキーさんの邪魔をしたまま、コーナーの時間切れで「朝の詩」に移ってしまった事もある。 朝の詩(ポエム)(1979年3月 - 1994年9月) が提供。 番組開始当時は朝の番組に固定スポンサーがつくことはめずらしかったため、ネット局開拓の際にはこのコーナーの存在が大きなセールスポイントになったという。 なおこのコーナーは後に「詩の樹」と言うタイトルに名前を変えて放送番組センター供給の番組となった。 花王自体は当時の前半30分の全国スポンサー枠の筆頭扱いとなっていたが、花王のCMは全てこのコーナーの後に集中させていた。 テーマ音楽のは、広瀬量平()。 31分31秒(1985年4月3日 - /ズームインズーム/おもしろ発見 各局が持ち回りで担当する特集枠。 読売テレビのみ地元ローカル枠差し替えの関係上、しかコーナーを担当できなかった時期がある。 チェック 8時前後に放送していたニュースコーナー。 末期にはバンヅケと併せて放送。 北日本放送で『おはようKNBです』を放送していた頃は、ここで、ローカル枠に飛び降りていた。 情報トレイン 数ある中継の中心企画。 共通のテーマで各局から中継を行う。 企画を考えた放送局がホスト局を務め、進行を担当する。 当初は8時ジャストにスタートしていたが、時々前後した。 天気リレーとともに番組の看板コーナーとなった。 『』をネットしていた系列局は、1984年3月まで8時10分で飛び降りていた。 エンディング 天気リレーのあと、日本テレビの正面玄関前から総合司会が締めくくる。 観客とともにその日の放送が終了する。 観客は一般人に限らず、やイベント・本など告知や、演歌歌手やバンドなどの新人アーティストや赤ちゃん筆センターなどの企業がPRをしたり、当日夜に放送する日本テレビの番組の宣伝など多岐に渡り、時には番宣などでゲストが現れる事もあった。 福澤時代の途中からは天気リレーを廃止かつ観客を原則として入れなくなり、総合司会とお天気キャスターのみで締めることが多くなった。 日テレでは、放送終了後に徳光時代はCMを挟んでマイスタ前で徳光が観覧者にインタビューをしていて、福留時代はCMを挟んで次番組の『』のスタジオとの掛け合いが放送されていたが、それ以外の局では『ルックルック』の放送がある無し関係無く自社送信で提供とエンドカードが流されていた。 福留時代の読売テレビではその日の中継先からキャスターが挨拶するローカル向けのエンディングをエンドカードとしていた。 また、次の番組が『』だった時代には天気リレーの前に予告テロップをローカルで出していた。 この他のコーナー• 今朝のキーワード• なるほどエブリデイ• 見て聞いてホント! こだわりの逸品• 名物・日本の味• 衛星中継世界は今! あどべんちゃあレディ• おはよう新婚さん• 日本一• の健康一番! 花とおじさん• 日本列島・聞いたら答えて! 紳助・竜介のOSAKAあっちゃこっちゃ• 深夜の出来事 シリーズ企画• 毎年の元旦は時間を拡大して『新春・ズームイン!! 』として放送し、全国の名産品をお年玉として視聴者へプレゼントしていた。 なお、や非マストバイ局では途中(大方は8時30分)で飛び降りていた。 フルネット局でも広島テレビが飛び降りを行う場合があったが、ネット枠の後のCM終了とともに自社の中継地点に切り替えて独自のエンディングの挨拶を行う形を取っていた。 1月2日・3日は休止し、曜日配列によって異なるものの、4日以降から年始の放送を本格開始していた。 この体制は、現在の「ZIP! 」にも引き継がれている。 毎年にはのに合わせ、富士山頂からの生中継を特集にして放送した。 これは『ズームイン!! SUPER』においても数年間は引き継がれた。 毎年には「特集」として、広島テレビとの二元中継で放送時間すべてを原爆についての特集にあてていた。 なお8時からは「報道特別番組」としてを生中継していたので、厳密には本番組としての放送時間は1時間である。 小学生チャレンジランキング大会(通称:チャレラン)• 年数回、祝日(特に)などに行われた全国各地の対抗の運動大会。 空き缶積み・背中渡り競争・靴とばし・ぞうきんがけリレー・9人10脚等の競技で順位を争い、優勝校を決定した。 その日は90分間の放送がまるまる利用され、通常のコーナーを休止して(「NSヘッドライン」と場合によっては「プロ野球イレコミ情報」だけは放送)大々的に開催された。 ネット局同士の連携が高技術の同番組ならではの企画だった。 後年、この企画は他局の企画(フジテレビ『』や、テレビ朝日『』)にも影響を与えたとされる。 投稿ビデオ大賞• 「チャレラン」に代わる企画として登場。 視聴者から面白いビデオ募集して、大賞や個人賞等を決定した。 審査委員長は(鈴木の代役としてが出演したこともある)が務め、『ジパングあさ6』放送終了後居残っていたなどが審査員として加わっていた。 この企画は『SUPER』や枠のスペシャル番組として『SUPER』が終了するまで年数回放送されていた。 全国妙なモノ図鑑• 中京テレビの企画制作で不定期に放送されていた。 街で見かける妙な道路標識・看板・建造物などをノンストップで紹介していくもので、テレビ版ののような企画だった。 一部の局の担当では事前に収録したものを放送した。 路線別の旅• 「情報トレイン」の中で特に人気が高く、後に・化されたシリーズであった。 初登場は1997年()の「鉄道唱歌東海道編」であり、その後各主要路線ごとに放送された。 各放送局のアナウンサーが受け持ちエリア別(一例として「編」ではのではなくから��タートしで日テレから静岡第一テレビ、で中京テレビ、で読売テレビと沿線の系列各局でリレーされた)にに乗って鉄道唱歌にちなんだ場所を巡る。 歴代スタッフ 制作 総監督• 、渥美光三、()、佐藤一 チーフプロデューサー• 横山正悟 テレビドラマ 1988年に、でこの番組を舞台とした「 ズームイン!! 殺人事件」が放送された。 キャストは(主演)、、、、ほか。 当時のネット局であるが舞台で、福留も出演し、エンディングには「31分31秒」が行われる流れだった。 関連項目• - 『ズームイン!! 』の歴代司会者である徳光、福留、福澤が出演(徳光はリポーター、福留と福澤は司会を担当)。 - 『ズームイン!! 』の歴代司会者である福留、福澤、桝が司会として出演。 『ズームイン!! 』担当前の羽鳥も福澤のアシスタントとして番組に携わった。 - 福留を除く『ズームイン!! 』の歴代司会者である徳光、福澤が出演(徳光は解答者、福澤は司会者の一人として出演)。 - 素人投稿ビデオ番組で、「投稿ビデオ大賞」審査委員長の鈴木清順も審査員の一人として出演。 - 福澤、大桃、西尾を除く『ズームイン!! ZIP! を除く 』の歴代司会者である徳光、福留、羽鳥が出演(徳光、福留は出演者、羽鳥は司会を担当)。 - 福留、大桃を除く『ズームイン!! ZIP! を除く 』の歴代司会者である徳光、福澤、羽鳥、西尾が出演(徳光、福澤、羽鳥はゲストとして出演、西尾は司会を担当)。 - 2011年12月19日の放送で平日の歴代『ズームイン!! 』の歴代男性司会者が出演(徳光、福留、福澤、桝はゲストとして出演、羽鳥は司会を担当)。 - 本番組の特集を映画作品にした『』(公開)でナレーションを担当。 - 『ズームイン!! 』の歴代司会者である徳光、福留、西尾、羽鳥が総合司会を担当。 桝も番組に出演しているほか、『ズームイン!! 』をベースにした全国リレーなどを日曜の朝に行うのが恒例となっている。 第40回(2017年)以降は歴代男性司会者が生放送でそろって出演している。 - 番組名付け親の小林與三次の義兄で、『ズームイン!! 』放送開始当時の日テレ取締役。 徳光、福留の後ろ盾でもあった。 外部リンク•

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