スペイン 風邪 に 感染 した アメリカ 大統領 は。 史上最悪のパンデミックだったスペイン風邪の大流行(2020年4月25日)|BIGLOBEニュース

余録:「大統領は昨木曜、重病になった…

スペイン 風邪 に 感染 した アメリカ 大統領 は

第1次世界大戦の終結を早めたスペイン風邪 昨日お伝えしたスペイン風邪は、第1次世界大戦の終結を早めたと言われています。 フランス、イギリス、そしてアメリカの連合国とドイツ軍との戦いでしたが、双方とも兵士の実に半数以上が感染したからです。 つまりスペイン風邪によって、戦争どころではなくなったのです。 これとは逆に、スペイン風邪が戦争を始める要因の1つになったという指摘があるのが、第2次世界大戦です。 アメリカのウィルソン大統領がスペイン風邪にかかったことが、まわりまわって第2次世界大戦に結びついた可能性があるのです。 ウィルソン大統領が感染したのは、ちょうど1919年4月のパリ講和会議の最中でした。 第1次世界大戦の戦勝国のリーダーたちが、ドイツへの賠償金などを話し合っていた時です。 パリ講和会議では、アメリカがフランス、イギリスと対立しました。 アメリカのウィルソン大統領は、ドイツに賠償金を求めないスタンスでした。 一方、フランスとイギリスの首相は、ドイツに巨額の賠償を求めました。 とりわけフランスは強硬でした。 ドイツと国境を接し、甚大な被害を受けたからです。 第2次世界大戦へと操ったスペイン風邪 パリ講和会議で対立が深まる中、ウィルソン大統領が突然スペイン風邪に感染します。 生死をさまよい、4日間ベッドに臥せました。 その後、会議に復帰しましたが、もう持論を展開する気力はありません。 結局、フランスやイギリスの主張が通りました。 ドイツに対する巨額の賠償金が決まったのです。 その結果、ドイツの経済は危機的な状況となり、国民の間で不満が高まりました。 そこで台頭してきたのが、ヒトラー率いるナチスです。 第2次世界大戦を引き起こしました。 スペイン風邪は、歴史を悪い方向に操ったのです。 前回のニュース検定.

次の

人類と感染症4 第一次大戦とスペイン風邪

スペイン 風邪 に 感染 した アメリカ 大統領 は

スペイン風邪に罹った兵士で溢れかえるアメリカのカンザス州の陸軍基地(Wikipediaより) 第一次世界大戦のさなかの1918年、世界中を強烈な疫病が席巻しました。 いわゆる「スペイン風邪」です。 スペイン風邪はインフルエンザの一種なのですが、1918年に初めて感染が確認され、それから約2年間のうちに、世界で5億人が感染したとされています。 当時の世界の人口は約20〜30億人と推計されているので(15億人という説もあります)、世界の約4分の1から6分の1の人々が感染したことになります。 そしてスペイン風邪が原因で亡くなった方は、2000万〜5000万人にのぼったとされます。 まさに史上最悪のパンデミックでした。 その伝染スピードは、前回この連載で紹介した黒死病(ペスト)よりもずっと速く(ただし、新型コロナウイルスと比較するとはるかに遅いですが)、疫病の伝播とグローバリゼーションの間に密接な関係があったことがわかります。 当時、スペイン風邪に効く特効薬はありませんでした。 そのため感染防止が最大の対策となり、人々はマスクをし、学校、劇場、企業までもが閉鎖されることになりました。 その対策法は現在とほとんど変わりません。 感染力が強いウイルスに対抗するためには、それ以外の対応策がないのかもしれません。 2009年流行のインフルエンザと同型だったスペイン風邪 前述のようにスペイン風邪はインフルエンザの一種で、医学的にはH1N1に分類されます。 これは、2009年に世界的に大流行したインフルエンザA型と同じです。 インフルエンザウイルスは、呼吸器を攻撃します。 そのため感染した人が咳やくしゃみをすると呼吸器病原体が飛沫となって空気中に拡散し、周囲の人に感染するのです。 またウイルスが付着したものに触ると、そこからウイルスが手先に付着することになります。 その手で口や鼻などの周囲を触ったりすると、そこからウイルスを体内に取り込んでしまいます。 そうした感染の仕方は、今回のコロナと全く同じです。 判明していないスペイン風邪の発生源 スペイン風邪の発生源は確定していません。 ただ、大きな流行はまず1918年3月にアメリカではじまり、同年の夏まで続いたとされます。 これがアメリカにおける流行の第一波でした。 第一次世界大戦は、1918年11月18日に終わります。 開戦当初は中立の立場にあったアメリカも、ドイツが無制限潜水艦戦を開始すると、1917年4月にドイツに宣戦、連合国軍に加わりました。 こうして、アメリカ本土は戦場になりませんでしたが、多くの兵士がヨーロッパに派遣されたのです。 スペイン風邪が流行し出したのはまさにこの頃でした。 アメリカ国民の目は、この第一次世界大戦の戦況に向けられており、当初、新しいインフルエンザに対してさほど関心が払われなかったのかも知れません。 感染は一気に広がっていきました。 この時には、ニューヨーク市の健康管理センター長が、企業に対し、時間差勤務をして、超満員の地下鉄を避けるよう命じています。 現在と同じような防止策が、当時すでに知られていたことに注目すべきでしょう。 アメリカを飲み込んだ大流行 インフルエンザとは、一般に冬に流行します。 スペイン風邪が最初に流行したアメリカでは、インフルエンザのシーズンは、それは秋の終わりから春にかけてです。 通常であれば、インフルエンザは、子ども、65歳以上の高齢者、妊娠している女性、基礎疾患(例えば、糖尿病や心臓病、喘息など)がある人などの死亡率が高くなります。 ところが1918年のスペイン風邪は、感染力が非常に強く、アメリカでは若い人たちから老人に至るまで感染率、死亡率ともに高かったようです。 特に注目すべきは、18〜40歳くらいの働き盛りの人たちの死亡率が高かったことです。 スペイン風邪と他のインフルエンザの根本的な違いでした。 つまり生産年齢人口に属する男性が最大の犠牲者でした。 このことが、経済に大きな打撃となりました。 第一波より第二波 そもそも1918年春に起こった流行の第一波は、さほど感染力が強いものではありませんでした。 病気になった人たちは、寒気、発熱、倦怠感などの典型的なインフルエンザの症状が現れたに過ぎませんでした。 そのため死者の数は少なく、まだ危機的状況にはなっていません。 ただ、この時、アメリカからヨーロッパに感染が広がっています。 おそらくヨーロッパに派遣された兵士たちとともにウイルスも大西洋を渡ったものと思われます。 アメリカが、より強力な、かなり感染力の高い第二波に襲われたのは、その年の秋、ちょうど第一次世界大戦の終結前後のことでした。 このときは病原性が高まっていたようで、多くの患者が重症化しています。 さらに、1919年には第三波が起こりました。 重篤な患者は、症状が出てから数時間以内、あるいは数日以内で死亡したといいます。 それほど強い感染力を持ち、重い症状を引き起こすウイルスだったのです。 身体は青みがかり、肺には水分がたまり、窒息死しました。 病人が急増したアメリカでは、第一次世界大戦で負傷した兵士のために働かなければならない医師が多くなっていたため、スペイン風邪を治療する医師が不足し、十分な医療を提供することが困難な状況になっていました。 そのことがさらに死者数を増加させることとなったのです。 1918年のアメリカの平均寿命は、なんと前年よりも12年も縮まりました。 ちなみに、このインフルエンザが「スペイン風邪」と呼ばれるようになったのは、スペインから発生したためではありません。 第一次大戦当時に中立国であったスペインは、非常に多くの感染者が出て、その被害を報道しました。 一方、他の欧米諸国は、戦争中で報道管制を敷いていたので感染被害を報じませんでした。 そのため、スペインの被害だけがクローズアップされ、ついには「スペイン風邪」の名まで冠せられてしまったのです。 1919年になると、世界の多くの地域でスペイン風邪が蔓延するようになります。 アメリカ大統領のウッドロウ・ウィルソンも、スペイン風邪に感染しました。 ちょうどこの時は、第一次世界大戦を終わらせたヴェルサイユ条約の交渉中でした。 平和主義者のウィルソンは、敗戦国のドイツに多額の賠償金を追わせることに反対していました。 ところが結局は、イギリスやフランスの主張に引っ張られ、ドイツに巨額の賠償金を課すことになってしまいました。 その背景には、ウィルソンが病気のため、各国を十分に説得できなかったためとも言われています。 その重い賠償金の苦しさから「ヴェルサイユ体制打破」を訴えたヒトラーがドイツに生まれてしまうのですから、第二次世界大戦はスペイン風邪が生んだ、とも言えるのかもしれません。 若者に多かった犠牲者 スペイン風邪によって若い男性が多く亡くなったと述べましたが、それは世界経済にとっても大打撃となりました。 働き手がいなくなってしまったからです。 大戦で多数の若者が戦死しただけでなく、スペイン風邪によってもまた多くの若い命が失われたのです。 第一次世界大戦によって世界各国で都市や生産設備が破壊される被害が生じていましたが、そうしたマイナスに加え、スペイン風邪による人的被害が世界を苦しめました。 疫病は単に健康面だけではなく、経済の面でも、戦争以上にもわれわれを苦しめる存在なのです。 筆者:玉木 俊明 外部サイト.

次の

新型コロナ、封じ込めの「最大の敵」は情報操作だ スペインかぜの教訓:朝日新聞GLOBE+

スペイン 風邪 に 感染 した アメリカ 大統領 は

第1次世界大戦の終結を早めたスペイン風邪 昨日お伝えしたスペイン風邪は、第1次世界大戦の終結を早めたと言われています。 フランス、イギリス、そしてアメリカの連合国とドイツ軍との戦いでしたが、双方とも兵士の実に半数以上が感染したからです。 つまりスペイン風邪によって、戦争どころではなくなったのです。 これとは逆に、スペイン風邪が戦争を始める要因の1つになったという指摘があるのが、第2次世界大戦です。 アメリカのウィルソン大統領がスペイン風邪にかかったことが、まわりまわって第2次世界大戦に結びついた可能性があるのです。 ウィルソン大統領が感染したのは、ちょうど1919年4月のパリ講和会議の最中でした。 第1次世界大戦の戦勝国のリーダーたちが、ドイツへの賠償金などを話し合っていた時です。 パリ講和会議では、アメリカがフランス、イギリスと対立しました。 アメリカのウィルソン大統領は、ドイツに賠償金を求めないスタンスでした。 一方、フランスとイギリスの首相は、ドイツに巨額の賠償を求めました。 とりわけフランスは強硬でした。 ドイツと国境を接し、甚大な被害を受けたからです。 第2次世界大戦へと操ったスペイン風邪 パリ講和会議で対立が深まる中、ウィルソン大統領が突然スペイン風邪に感染します。 生死をさまよい、4日間ベッドに臥せました。 その後、会議に復帰しましたが、もう持論を展開する気力はありません。 結局、フランスやイギリスの主張が通りました。 ドイツに対する巨額の賠償金が決まったのです。 その結果、ドイツの経済は危機的な状況となり、国民の間で不満が高まりました。 そこで台頭してきたのが、ヒトラー率いるナチスです。 第2次世界大戦を引き起こしました。 スペイン風邪は、歴史を悪い方向に操ったのです。 前回のニュース検定.

次の