踊る阿呆に見る阿呆 我らそれを端から笑う阿呆。 おじさんに見て欲しい!米津玄師「LOSER」の歌詞の意味を徹底解釈

【勝手に喧嘩裁判】アブローラーは意味がない?メンタリストDaigoと筋トレYoutuberサイヤマングレートの喧嘩を裁判してみた【case.1】

踊る阿呆に見る阿呆 我らそれを端から笑う阿呆

カテゴリ• アップテンポな曲調、MVでの米津さんの孤独でありながらも激しいダンスなど、この楽曲を聴くと身体全体が動き出しそうになります。 歌詞には隠喩が多く、その意味に思わず考え込んでしまいますが、ゆっくりと聴きこみ、今の自分と重ね合わせたり、歌詞に登場する「イアン」「カート」について知っていけば、この楽曲がより深くしみ込んできます。 いつもどおりの通り独り こんな日々はもはや懲り懲り もうどこにも行けやしないのに 夢見ておやすみ いつでも僕らはこんな風に ぼんくらな夜に飽き飽き また踊り踊り出す明日に 出会うためにさよなら いつもどおり…皆さんのいつもどおりの日々とはどんなものでしょうか。 ここで語られるのは、毎晩続く夜に飽き飽きしつつも、どこにも行けない状態です。 行けない…つまり本当はどこかへ行きたい。 お酒を飲んで運転も出来ないのか、24時間営業のファミレスへもコンビニでも、どこでも行けばいいのに、行けない。 具体的に行きたい場所も思い付きません。 絶望感や喪失感とも違う、己で己をコントロールできない姿が冒頭に描かれます。 そして自分が続けてきた日々に「さようなら」を告げる方法を考えます。 生まれて生きた結果が、これか? アイムアルーザー どうせだったら遠吠えだっていいだろう もう一回もう一回行こうぜ僕らの声 アイムアルーザー ずっと前から聞こえてた いつかポケットに隠した声が 負け犬とは、全てを失い、誰からも関心を持たれていない、と「自分で思っている人」のことでしょう。 けれど、負け犬にも、大切なことがあるのです。 負け犬には負け犬にしか分からないことがあります。 負け犬には負け犬にしか出せない声があります。 負け犬には負け犬にしか聞こえない音があります。 負け犬には負け犬にしか思い付けない言葉があります。 己を負け犬と称しながら、欲や夢や希望、最悪命までもを踏み潰すかもしれないという恐れのために、自分にしか出せない声を自分で封じ込めたのです。 生きるか死ぬかの中間地点で ああだのこうだの知ったもんか 幸先の空は悪天候 ほら窓から覗いた摩天楼からすりゃ塵のよう イアンもカートも昔の人よ 中指立ててもしょうがないの 今勝ち上がるためのお勉強 朗らかな表情 知ったもんかと言いながらも、そこへの強い執着。 気になってたまらない、気分の変動や違和感。 イアンもカートも昔の人だとここで語られます。 しかし、 イアン・カーティスとカート・コバーンは、実は今の人なのです。 私たちと同じなのです。 二人とも、人気絶頂期に自害し、この世を去ってしまいました。 カリスマロックスターとして偶像化されることもあります。 けれども、彼らはロックのアイコンとして語られるべきではない。 誰でも、いろいろな理由で自分で自分を殺してしまうことが実際にありえるのです。 二人とも、持病であるてんかんや双極性障害という病気に加え、人気ゆえの過密なスケジュールに疲れ果て、精神のバランスを失い、薬に依存し、自分で自分をコントロール出来なくなってしまい最期は誰にもみとられず自分で自分を殺してしまいます。 彼らは中指を立てて生き歌っていたのではなく、誠実に、懸命に、生きて歌おうとしたはずでしょう。 勝ち上がるとは己を取り戻すということなのです。 そのためには、コントロールが出来ない= もしかしたら自殺してしまうくらい酷い状態の自分を認め、反芻を繰り返すのみなのです。 疲れ、まだ「生きていない」という想い 踊る阿呆に見る阿呆 我らそれを端から笑う阿呆 デカイ自意識抱え込んでは もう摩耗 すり減って残る酸っぱい葡萄 膝抱えてもなんもねえ ほら長い前髪で前が見えねえ 笑っちまうねパッと湧き立って フワッと消えちゃえるこんな輪廻 愛されたいならそう言おうぜ 思ってるだけじゃ伝わらないね 永遠の淑女もそっぽ向いて 天国は遠く向こうの方へ ああ分かってるって 深く転がる 俺は負け犬 ただどこでもいいから遠くへ行きたいんだ それだけなんだ 野望や欲望、強い自己顕示欲。 何もせずこのまま死んでいくことへの恐怖と生への無関心。 「消えちゃえる」という言葉からのぞく、己で己を殺せてしまう現実の暗示。 愛されたいなら言葉にしなくては伝わらない、しかし、持っている大きな自意識の割には自己肯定感を失っている。 ただ遠くへ行きたい、それだけ… その先は「生」なのか「死」なのか。 自嘲と共に、目の前に広がるのは、生きている人間にしか見ることのできない心の「天国」と「地獄」です。 もしかしたら、自分はこのままイアンやカートのように、最期を自分自身の手で選んでしまうのではないか。 必死に生きることもできないまま。 昨日までの死んだ日々と表裏一体の明日 耳をすませ遠くまで今 響きだした音を逃がすな 呼吸を整えて いつかは出会えるはずの 黄金の色したアイオライトを きっと掴んで離すな 失った自分のコントロールを自分にしか聞こえない音で取り戻します。 アイオライトは天然石で、物事の二面性を顕しています。 「生と死」「善と悪」「幸福と不幸」「安堵と不安」…全てのことに表と裏があり、実はそれは同じ存在である、ということが示唆されます。 アイオライトは日光に当てると、色が3つに変わるという伝説があり、安定・不安を取り除く作用があるとも言われていました。 昔、バイキングが羅針盤代わり、そして目標を達成するためのお守りとして持っていた神秘的な石なのです。 生きる炎に、願いの炎に焼かれたい 私たちの愛が火葬場の灰になっても、火をつけてほしい。 怖がって何もしないより願いを追って自滅する方がマシ。 今更躊躇わず、夜が明けるまで燃やされることへ挑もう 『Light my fire』歌詞一部引用(訳ゆりはるな) と歌われる『Light my fire』。 恋愛の歌とも取れますが、『LOSER』の歌詞にあるような、 ポケットに隠していた音、響きだした声と自分自身に向けて「私たちの愛」と表現していると受け取ることができます。 このThe Doors の『Light my fire』、『LOSER』とともに聴いてみると、そのメッセージに不思議な結びつきを感じられます。 負け犬から阿呆へ 愛されたいならそう言おうぜ 思ってるだけじゃ伝わらないね 永遠の淑女もそっぽ向いて 天国は遠く向こうの方へ ここいらでひとつ踊ってみようぜ 夜が明けるまで転がっていこうぜ 聞こえてんなら声出していこうぜ 先ほど述べた『Light my fire』のように、夜が明けるまでというフレーズが表れます。 踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊りゃな損損、そんな言葉もあります。 歌詞で示唆されていた「阿呆」のくせに「阿呆に見えないように生きてきた自分」とさようならをします。 「踊る阿呆」を選ぶのです。 それは、とても大変で難しいことです。 夜が明けるまで踊る「阿呆」は、他人から見れば負け犬のままかもしれません。 「愛」や「本音」を語っても伝わらないかもしれません。 聞こえたものを声に出しても理解されないかもしれません。 「自分」へと立ち戻るのです。 いつか、朗らかな表情を浮かべて。 まとめ 米津玄師『LOSER』、「ジョイ・デヴィジョン」のイアン・カーティスや「ニルヴァーナ」のカート・コバーンの人生を絡め、アイオライトという石になぞらえた生と死、恐怖と勇気などの相反するものを描いています。 だからこそ生まれる苦悩を「踊る」という言葉に集約させ、失った自分自身のコントロールを取り戻す物語。 この楽曲をきっかけにイアンやカート、ドアーズなど、新旧問わず洋楽に触れてみることもすごく素敵なことだと思います。 最後までお読みいただきありがとうございました。

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LOSER(米津玄師) / コード譜 / ギター

踊る阿呆に見る阿呆 我らそれを端から笑う阿呆

いつもどおりの通り独り こんな日々もはや懲り懲り もうどこにも行けやしないのに 夢見ておやすみ いつでも僕らはこんな風に ぼんくらな夜に飽き飽き また踊り踊り出す明日に 出会うためにさよなら 歩き回ってやっとついた ここはどうだ楽園か? 今となっちゃもうわからない 四半世紀の結果出来た 青い顔のスーパースターがお腹すかしては待ってる アイムアルーザー どうせだったら遠吠えだっていいだろう もう一回もう一回行こうぜ 僕らの声 アイムアルーザー ずっと前から聞こえてた いつかポケットに隠した声が ああだのこうだの知ったもんか 幸先の空は悪天候 ほら窓から覗いた摩天楼 からすりゃ塵のよう イアンもカートも昔の人よ 中指立ててもしょうがないの 今勝ち上がるためのお勉強 朗らかな表情 踊る阿呆に見る阿呆 我らそれを端から笑う阿呆 デカイ自意識抱え込んではもう 磨耗 すり減って残る酸っぱい葡萄 膝抱えてもなんもねえ ほら長い前髪で前が見えねえ 笑っちまうねパッと沸き立って フワッと消えちゃえるこんな輪廻 愛されたいならそう言おうぜ 思ってるだけじゃ伝わらないね 永遠の淑女もそっぽ向いて 天国は遠く向こうのほうへ ああわかってるって 深く転がる 俺は負け犬 ただどこでもいいから遠くへ行きたいんだ それだけなんだ 耳をすませ遠くで今 響きだした音を逃すな 呼吸を整えて いつかは出会えるはずの 黄金の色したアイオライトを きっと掴んで離すな アイムアルーザー なんもないならどうなったっていいだろう うだうだしてフラフラしていちゃ今に 灰 左様なら アイムアルーザー きっといつかって願うまま 進め ロスタイムのそのまた奥へ行け 愛されたいならそう言おうぜ 思ってるだけじゃ伝わらないね 永遠の淑女もそっぽ向いて 天国は遠く向こうのほうへ ここいらでひとつ踊ってみようぜ 夜が明けるまで転がっていこうぜ 聞こえてんなら声出していこうぜ アイムアルーザー どうせだったら遠吠えだっていいだろう もう一回もう一回行こうぜ 僕らの声 アイムアルーザー ずっと前から聞こえてた いつかポケットに隠した声が ここいらでひとつ踊ってみようぜ 夜が明けるまで転がっていこうぜ 聞こえてんなら声出していこうぜ ひいらぎの解釈 あーだのこーだの責任やら家庭なんて知ったもんか。 これからの人生は(自分にとっちゃ)厳しいものかもしれない。 ほら、目の前にある高い頂までの道のりは厳しいじゃないか。 イアン・カーティスとカート・コバーンはもう昔の人だから 逆らってもいいじゃないか。 それがすごく満たされているんだ。 踊る阿呆に 見る阿呆 我らそれを端から笑う阿呆 でかい自意識を抱え込んでは もう 磨耗 すり減って残る酸っぱい葡萄 膝抱えてもなんもねえ ほら 長い前髪で前が見えねえ 笑っちまうね パっと沸き立って フワっと消えちゃえる こんな輪廻 ひいらぎの解釈 愛されたいなら口に出そう。 思ってるだけじゃ何にも変わらない。 ここいらで一つ、新しいことを初めて見ないか? 今の自分が変わるまで止まらずに進んでみよう。 新しい音が聞こえるなら、声に出して自分を変えていこう。 今回の解釈は めちゃくちゃかもしれません。 (いつもだろっていうツッコミはなしね) でも、そんな僕も思うところがあってこの解釈にしました。 最初は、「LOSER」って米津さんのことを歌ってるんだろうなぁ。 なんて漠然と意識して解釈を始めました。 でも、途中でその意識を捨てました。 なぜなら普段「この曲いい」と言わない父が 「LOSER」はいい曲だと言っているのを思い出したから。 なぜ「LOSER」はいい曲だ。 と言ったのか... 解釈しながら僕なりに考えて見ました。 おそらく父、いや、世の中の多くの人生の先輩は 新しいことに挑戦したい そう思っているのではないかと。 でも、人生の先輩、特に家庭を持っている人は リスクが大きすぎて 新しいことに挑戦することができない。 そんな、どうしようもない状態を脱してもいいんじゃないか。 と 米津玄師は「LOSER」という物語を通して 伝えているから 父は「LOSER」はいい曲だ。 と言ったのだろうと。 こんな未熟な僕を大学に行かせてくれ、 自分のことは置いておいて 新しいことにチャレンジさせてくれている両親。 そんな両親に敬意じゃない。 最高の敬意を払い、 早く自分のことに集中させてあげなくてはならない。 と これを見た僕と同じくらい年齢の人にも この気持ちが伝わって欲しいと強く願っています。 全然まとまってない文章で、 「LOSER」の歌詞について書いてないじゃないかって言われるかもしれませんが 許してください。 それくらい僕は歌詞解釈をして衝撃を受けました。 こんな大事なことに気づかせてくれた「LOSER」と 米津玄師に感謝を。

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米津玄師『LOSER』歌詞の意味と考察。歌詞の意味がやばい4つの理由とは。

踊る阿呆に見る阿呆 我らそれを端から笑う阿呆

最初にMVを見た時、あまりのダンスの表現力と技術にびっくりしました! ちなみに、MVの振付を担当されたのは、かの有名なシルク・ド・ソレイユや、Siaの「アライヴ」で土屋太鳳さんが踊るダンスの振付も担当された 辻本和彦さん。 しかも、そんな経歴を持つ辻本さんが、なんと米津さんのダンスを絶賛しているんだそうです。 指先の繊細さと長い手足を活かしたダンスに「惚れ惚れするほど美しい」と、辻本さんがコメントもしています。 裏話ですが、米津さんはこの撮影のために2、3週間毎日レッスンを受けていて、激しい運動をするのは中学生ぶりだったらしく地獄の日々だったそうです。 笑 ただ、かっこいい映像を撮るために妥協はしない米津さんだからこそ、納得するまで諦めなかったそうで、撮影の最終段階で議論が白熱していたとか。 実際、ダンスの種類としては型にはまらないようなものなのですが、ジャンル的にはPOPやアニメーション、一部ブレイクのステップなどが取り入れられています。 特に、足を滑らせるムーンウォークの類のあの振りや、途中で自分の身体を制御できなくなるような勢いに押されたような振りは前衛的で、とても数週間で得た技術とは思えません。 曲もすごくて、ダンスもすごい・・・どうなってるんだ米津玄師…。 米津玄師「LOSER」歌詞の意味を考察! ちょっと熱くなりすぎましたが、ここからは「Loser」の歌詞の意味について考察していきたいと思います。 ちなみにこの曲、ノリの良いテンポとダンスの魅力が光る一方で、歌詞の意味が難解で良くわからないと言う声も聞きます。 そんな難解な歌詞も読み解きつつ、意味について掘り下げていきたいと思います。 いつもと同じ一人きりの帰り道。 どこかに行きたいのにどこにもいけない。 変えたいのに変えられない苦しみ。 米津玄師さん自身うつ病や一部障害を抱えていたことがあり 子供の頃にも味わっていた孤独や辛さが表現されているのかもしれません。 変えるには、逃げてしまえばいい。 明日へ逃げてしまえばいい。 目を閉じて暗闇に溶けてしまえば、明日は自然と踊りくるのだから。 とにかく逃げるために、ベッドで今日にさよならを告げるのです。 米津玄師「LOSER」Bメロ 歌詞の意味 歩き回ってやっとついた ここはどうだ楽園か? 過去の辛い経験を乗り越えて、歌手として道を歩んできてやっとここまで辿り着いた。 ファンもできて居場所もできて評価もされて、自分の道を定めることができた。 他人から見ればうらやまれるような成功を手にした立場であるはずなのに、なぜか疑問を抱きます。 「 ここは楽園か?今となっちゃもうわからない」 自分の音楽とは、作り出すべき音楽とは、求められる音楽とは・・・ 居場所が用意されている恵まれた状況を捨てたくなる、音楽をやめたくなる、全て捨てて遠くに行きたくなる・・・ 時にはそんなことも考えると言う米津玄師さん。 今に満足することができないのは、過去の経験があるからかもしれません。 どこまでいってもあの恐怖が迫り来るかもしれない。 また逃げたくなるかもしれない。 何が正解なのか、どうすれば自分に疑問を持たずに自信を溢れることができるのか・・・ 「四半世紀の結果出来た 青い顔のスーパースターが お腹すかしてはまってる」 当時米津玄師さんは25歳だったこともあり、自身のことを示しているようです。 青い顔のスーパースターはこの後の歌詞であきらかになりますが、 いわゆる ロック界の反逆者としての存在を比喩しています。 自分にも、そんな反逆者とも似た精神がどこかに残っていると歌う米津玄師さん。 喰われぬように、どう自分を動かすか、日々戦っているのかもしれません。 繰り返される「アイアムルーザー」と言う歌詞は、米津玄師さん自身の心の声のようです。 どこまでいっても自信など無い、自己肯定感の低さが自分をルーザーと呼ぶ意味なのでしょう。 ただ、自分には聞こえていたのです。 心のなかには伝えたいものがあることを。 子供時代に言いたかったことがここの目的語なのかもしれません。 ずっと、溢れては心の内に秘めていた想いを、たとえ負け犬の遠吠えに思われたっていいから もう言ってやろうぜ。 変えてやろうぜ。 そんな、彼自身を変えるような強い意志を感じるサビです。 世間は賛否両論。 彼の楽曲についても良くも悪くも様々な意見が飛び交って来ました。 彼自信を楽曲で展開する、と言うことは、ある意味彼自信を晒すことでもあります。 心に積もった塵もあるが、一歩引いた世界から見ればそんなものちっぽけなものです。 何万本売れたとか、そう言うことに重きをおいていない、 米津玄師さんの音楽に対する考え方と重なる部分があります。 1990年代にロック界で名を残し、2人とも20代で若くして亡くなりました。 イアンは、ライブ演奏時には人が変わったように痙攣するような動作をしたりとカルト的な一面があったよう。 死の直前には英チャート6位を記録しますが、精神状態がかなり不安定になっており 普段は落ち着いているにも関わらず突然激しい口調になったりしていました。 カートは、メジャーで最初のアルバムから大成功を収めるも、元々アングラな世界をルーツとしていた彼は、その成功をうまく受け止めることができず 精神を病んでいきます。 その後も思い通りの作曲ができず、うつ病、薬物依存に苦しみ、最後には自殺でこの世を去りました。 やはりどこか米津玄師さんに重なる部分が見受けられますね。 「彼らに中指を立ててももういない。 」 彼らは過去の人。 今賛否両論しても意味がない。 意味があるのは、ここから立ち上がるための教訓にすることだけだ。 この対象は、イアンとカートのことを言っているのでしょうか? それだけでは無い様な気がします。 「踊る阿呆に見る阿呆」「我らそれを端からわらう阿呆」 大衆受けする音楽問題。 ありますよね。 ミュージシャンとはきっといつの時代も、受けるか受けないか、作りたいか作りたくないか その狭間でひしめき合っているものだと思うのです。 作られた楽曲で踊り狂い好きに楽しむ大衆と、それを端から笑うのも阿呆だと。 提供側である自分たちのことを言っているのかもしれません。 結局そんな意志のひしめき合いは自意識の過剰が招いているのではないか。 そのせいで心をすり減らしたあとは、結局エゴでファイナライズするのです。 「酸っぱい葡萄」と言うのはイソップ童話の一つで、 お腹をすかせた1匹の狐が木の上になるよく実った葡萄を見つけて、 必死でジャンプするもどうしても届かなかった時「 あれはどうせ酸っぱいに違いない」といって取るのをやめる話です。 自分のものにしたくてもどうしても叶わないとき、人はその対象を価値のないものとして見直して、 心の平安を保つと言う話です。 この比喩を使うあたり、流石のチョイスですね・・・。 「前髪」と「前が見」で韻を踏んでいるところも面白いですね。 小さな悩みに囚われたり、評価を気にして一喜一憂しているうちに人生なんてフワッと消えちゃえる。 その繰り返しである。 と謳っています。 少し表現に前向きさが出てきています。 「愛されたいならそう言おうぜ」 今までの米津玄師さんであればこんな言葉を使ったでしょうか。 過去の米津さんを考えると、以前の彼からは浮かんでこない歌詞だったでしょう。 何か、変わらなくてはならない。 このままではいけない、と言う強い意志を感じます。 ここで出てくる「 永遠の淑女」とは、永遠の女性としても有名な、ベアトリーチェというイタリアの女性のことを指していると思われます。 特に 「LOSER」を作曲するきっかけとなったルーヴル美術館特別展にもかけているのでしょう。 前向きな歌詞を歌った後で、これです。 「ちょっとまった。 本当に大丈夫なのか?」と。 暗闇は心の何処かにあるものです。 心のストッパーは自分を守るために影に隠れて出番を待ち構えています。 しかし、ここでは更に強く言い返します。 わかっている。 自分はLOSER。 負け犬だ。 そんなことはわかっているけれど、知った上で、変わりたいんだ。 変わる必要があるんだ、と。 遠くから少しずつ聞こえる様になった音を、気持ちを、本性を、逃すな、と。 「アイオライト」ですが、宝石の名前の様で、「本質」といった意味合いがある様です。 ずっと探している彼の人生、音楽における本質はきっとどこかで出会えるはず。 一度見つけたら逃すな! といった覚悟が感じられます。 何も行動しなければ、いまにさよならだよ、と。 この歌詞ですが、歴史上の人物十返舎一九の 『 この世をば どりゃ おいとまに せん香の 煙とともに 灰左様なら』から引用されているようです。 「行動を起こさずうだうだしていると、線香の煙とともに灰になってしまうよ」と言う意味だそうです。 「ロスタイムのそのまた奥へ行け」 ロスタイムとはサッカーなどのスポーツの延長戦のことですが、ここでは人生のロスタイムの様に聞こえますね。 何もせずただ願うだけのLOSERでいたら、人生のロスタイムの先に行ってしまう。 このまま人生を無駄にしたいのか? そう警告しているかの様です。 感じてることがあるなら声に出さないと意味がない。 この声が聞こえてるなら返事をしてくれ! 過去の米津さんを打ち勝とうとしている歌詞が多くありましたが、 ここでは踊ってみようぜ、転がっていこうぜ、声出していこうぜ、と複数人に声をかけているかの様な歌詞になっています。 自分だけでなく、きっと米津さんのリスナーに向けたメッセージでもあるのではないでしょうか? 自分の音楽を聴いている人たちは、きっと自分に近い感覚を持っているだろうし 同じような人生を歩んできたかもしれない。 孤独に泣く夜もあるけれど、打ち勝っていこう、一人ではないのだから。 そんな風に勇気付けられているようです。 そして、ラスサビへ。 米津玄師「LOSER」歌詞の意味を考察 まとめ ここまで「LOSER」の歌詞を考察して来ましたが、いかがでしたでしょうか? やはり米津玄師さん自身の 心の声を描いた部分が多く見られましたね。 過去の苦しみ、乗り越えた自分、輝かしい現在の自分、見え隠れする逃げたい自分や自己肯定感の低さ・・。 正解を模索し続ける彼の人生とこれからの縮図を見せられたような気分になりました。 さて、ラスサビが終わったあとの米津玄師さんの表情。 気づきましたでしょうか? MV中一度も見せなかった、口角を少し上げた、ホッとした方なニヤリとしたような表情をしています。 この曲の歌詞にも出てくるように、LOSER、である自分を認めて変わっていく・・・ ある意味割り切って、 変わろうとしている米津玄師さん自身の感情を表していたのかもしれません。 彼は今後、どんな楽曲をどんな意味を込めて作っていくのか、どんな人生を描いていくのか・・・ 米津玄師さんのこれからの音楽を、そんな視点から見つめてみるのもいいかもしれません。

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